青嵐が駆け抜ける
夏空ぼんど
1
怪談話じゃないけど変な女の子の話ならある。
僕がそう言うと通話相手のペタが低く
「怖い話が聞きたいんだよなぁ」
「ネタ切れだよ。だいたい百も怖い話を知らないし」
今日の雑談ネタは"この夏やりたいこと"で始まったのだけど、ペタは根っからの引きこもりで海にも山にも祭りにも興味がないと言う。せっかくなんだから夏っぽいことをしろよと進言したところ、百物語を始めようときた。とはいえ僕自身怖い話に詳しいわけでもなく、むしろ全方位博識のペタとあっては有名な話はだいたい知っていた。
それで苦し紛れに、僕は最近身の回りで起きた話を口にしたのだ。
「まぁよしとしよう。で、タイトルは何だ?」
「ええっとそうだな……『個人情報を狙う、乗り鉄の女』とか」
「都市伝説かよ」
想像してた変な女を超えてくるなよとペタは笑った。
「するとあれか。正体不明の謎の女が『個人情報よこせ』と夜な夜な電車に乗って徘徊してるのか」
「……まぁ事の発端から話させてくれよ」
その女の子の名前は君塚さん。正体ははっきりしていて、同じ高校の同級生だ。僕とは一年の時に同じクラスだったけど、二年になってクラスが離れた今は接点がない。
君塚さんの人となりは謎に包まれている。目立った見た目をしているわけでもなく、制服も指定通りに着こなしている。成績は良くも悪くもない。口数は少なく、話し相手も親しい友人もいそうにない。それ故彼女の噂を聞くということもなかった。
唯一聞いた話といえば、父親が転勤族らしく全国各地を転々としているということ。僕たちの地域には中学三年の秋に引っ越してきたらしく、そのため彼女のことを知る中学時代の友人もいないものと思われた。
大人しい、影が薄い、というのが君塚さんを形容するのに適切な表現だった。
「そんな目立たない普通の女の子が個人情報を求めているとはどういうことだ」
「まぁ急かさないでよ。まず彼女の噂が立ち始めたのが――」
君塚さんが噂の矢面に立ったのは先月――七月に入ったばかりの頃だ。僕の所属する水泳部で、同学年の女子部員たちが口々にこう言った。
――四組の君塚さんが水泳部に入りたがっているみたい。
君塚さんは水泳部の女子部員を捕まえると次のように問うた。
どれくらいの時間練習しているのか?
期末テストの期間中も同じくらい練習を行うのか?
夏休み中も同じ練習内容か?
女子部員への声掛けは数日おきに行われ、必ず前回とは違う女子部員がターゲットになる。そしていずれも女子部員が一人でいるところに彼女は現れた。まるで怪談話のような盛り上がりで、僕と同じ学年の水泳部員の間でその噂は共有されることとなった。
「高校二年のこの時期に部活動に興味が湧いたのか。彼女はそれまで部活には入っていないのかい?」
「うん、帰宅部だって。彼女に声を掛けられた女子がそう言ってたよ」
「ふうん。今のところただの入部希望者の話ってだけだ。これは盛り上がるのかい? せめて君と彼女の接触でもあればいいんだが」
「それが……僕も彼女に話しかけられたんだ」
「ほう」ペタの声がにわかに明るくなった。「何を聞かれたんだい。使う水着は青がいいか、赤がいいかとか?」
「無理やりホラーにしなくていいんだよ」
七月中旬、期末テストが終わり授業も午前中までとなっていたある日、僕は駅の改札前で君塚さんに声を掛けられた。
その日僕は家の用事があって、午後の部活には参加せず真っすぐ電車に乗って帰る必要があった。クラスでの終礼が終わると僕は一目散に駅を目指した。走れば予定の電車に乗れるはず。しかし正午過ぎは太陽の盛り。駆け足で校舎を飛び出したものの、夏の日差しは凶悪だ。みるみるうちに汗が吹き出し足取りが重くなる。気持ちだけが急いてしまい、むせかえる湿気と日差しを呪った。駅へと続く下り坂。並木道の日陰を
その日はいつも降りる最寄り駅の一つ手前で降車することになっていた。電車に乗って冷房の快さに一息をつきつつ、時間に間に合うかやきもきしながらやりすごした。乗車すること十数分で目的地だ。
この駅には改札が一つしかない。なので降りた乗客は必然的に同じ通路に向かって歩くことになる。その通路も半ばを過ぎた時、横並びの改札が目に入ったところで後ろから声が掛かった。
――あの……鶴森くん……
僕の名を呼ぶ君塚さんを見て、僕は噂の妖怪を目にした驚きと彼女の間の悪さに悪態を吐きたくなる思いだった。水泳部の何を聞かれるのか――そんな興味より用事へ急ぐ気持ちが勝っていた。
「ごめん、今急いでるんだ。水泳部のことならまた明日に」
なるべく申し訳なさが伝わるように言ったけど、君塚さんはひるんでしまったみたいだった。あの、えっとと目を泳がせた後、ごめんなさいと駆け足でホームの方向に引き返してしまった。
「せっかく噂の渦中に入れるチャンスだったのに惜しいことをしたね。悪霊退散というわけだ」
「で、ここからが本題だよ」
君塚さんが個人情報を集めているという噂に変わったのは、僕が彼女に声を掛けられた同じ週のことだ。
その日も午前中で授業は終わり、教室内は帰り支度をする者と午後の部活動に備える者とで賑やかだった。僕は部活動組なので自席で弁当を広げていた。同じクラスの水泳部員、佐山が僕の向かいに座って同じく昼食の準備をしていた。
その時教室前方の入口を見ると君塚さんがいた。近くの女子生徒――それまでと違い彼女は水泳部員ではない――と何かを話しているようだった。僕は佐山を小突いて入口を指差した。佐山は満面の笑みで叫びだしそうな気配だったが、僕がそれを制した。
やがて君塚さんが教室を去ると、佐山は意気揚々と女子生徒の元へと向かった。僕も好奇心を抑えられず彼の後を追う。君塚さんに何を聞かれたのか。佐山らしい気安い問答に当の女子生徒は不思議そうな顔をしていた。
君塚さんは、彼女にこう尋ねたという。
――このクラスの出席簿を見せてほしいんです。
出席簿は教室の所定の位置にあるか職員室の棚にまとめて入れてある。女子生徒は出席簿がその場にないことを確認してそう伝えた。
すると君塚さんはこう重ねた。
――出席番号がわかるものはありませんか。
「個人情報というと氏名や生年月日が一般的だが、出席番号を知りたいとはまた珍しい」
「そう、不思議だよね。そして彼女は、出席番号を手に入れるためのさらに大胆な手を使うことになるんだ」
残りの登校日を消化すること数日、終業式の日にそれは起こった。
その日も水泳部終わりに、僕はいつも連れ立つメンバーで駅への下り道を歩いていた。彼らは三人共同じ水泳部員――同じクラスで中学からの付き合いの佐山と、クラスは別だが水泳部きっかけで仲良くなった柳川と田嶋だ。
駅は午後の中途半端な時間帯ということもあり、ホームに人はまばらだった。特に郊外へと向かう僕たちのいる方面は、僕たち四人ともう一人――君塚さんがいるのみだった。ベンチに座る彼女の前を素知らぬふりで通り過ぎ、僕たちは少し離れたところで電車を待つことにした。
電車到着まであと五分ちょっと。そのわずかな時間にそれは起こった。
僕のスマホがポケットの中で震えた。何の通知だろう。そう思ってスマホを取り出した時、他の三人も次々とスマホを取り出している。なんだみんなして。そう笑い合ったのも束の間、異変を察知した僕たちはお互いにスマホの画面を見せ合った。
僕たち全員のスマホに同じ画面が表示されていた。
画像データを受信したのでその受け取りを許可するかどうか問いかける画面だった。
「あれか、近くの端末にデータを送れる機能か」
「そう。誰かが僕たちに謎の画像を送り付けてきたんだ」
興味本位で僕たちは受け取った画像を受信した。
それは、通話アプリのアカウントを意味するQRコードだった。
「で……ハヤトはそのQRコードを読み込んだのか」
「僕はペタの教えを忠実に守ったよ」
出所の知れないQRコードはウィルスの可能性があるから無暗に読み込むな。プログラマ・ペタからの情報教育は僕の骨身に染みている。だから僕はそのQRコードはその場で削除した。
だけど一人、意気揚々とQRコードを読み込んで通話アプリの連絡先を手に入れた者がいる。同じクラスの佐山だ。僕と柳川と田嶋が呆れ果てても彼は気にせず、謎の連絡先をアプリ内の友達として登録した。
すると即座に相手からのメッセージが来た。
――突然ごめんなさい。クラスと出席番号を教えてほしいです。
僕たちはすぐさま同じ方向に振り返った。先ほどまでいた君塚さんの姿はそこにはなかった。
「それで、その情報リテラシーガバガバくんはメッセージに返答したのかい」
「ああ、律儀に自分のクラスと出席番号を送ったよ」
「さすがだね。そうして晴れて金銭の要求でもされたのか」
「いや何度かメッセージを送ったけど応答なしだって。目的の情報を手に入れられて満足したんじゃないかな」
「ふうん……なるほどそれは不可解だね」
ペタはしばらく黙っていた。キーボードの音も聞こえてこない。プログラミングをする手は止まっているらしい。
「ちなみに彼女がクラス名簿を探していたのは全クラスに対してなのか」
「僕が見たのは自分のクラスだけだよ。他のクラスは分からないけど、僕たち以外の人から同じ話は聞かなかった。でも無差別にQRコードを送り付けてくるくらいだから、とにかく情報の数は欲しかったんじゃないかな」
「しかしQRコードを送り付ける作戦は、情報収集としては手法が悪いな。そのスマホのデータ送受信機能はせいぜい十メートル以内が有効範囲だ。ハヤトの話を聞く限り、彼女の周囲には君たち以外に人はいないかったんだろう」
ううむとペタは唸り、キーボードで何かを入力する音が聞こえた。いつものリズミカルな音ではなく何かを捻りだすようにキーを打っていた。
「以上が謎の女が個人情報を集める話だよ」
「なるほどねぇ」ペタは何かを考えているようだ。「個人情報、もといクラス番号と出席番号を集めているのは分かった。で、彼女が乗り鉄というのは一体どういうことだ」
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