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 君塚さんが乗り鉄――電車に乗ることを楽しむ鉄道ファンという表現はおそらく適切ではない。しかし君塚さんは通学のために電車に乗っているようには見えなかった。まるで、電車に乗り降りすることが目的であるかのような利用方法なのである。


 まず第一に、君塚さんは利用する駅が一定ではない。


 夏休みに入る前後――君塚さんの名前と顔と噂話が水泳部員に浸透していた頃、僕といつもの帰宅メンバー三人(佐山、柳川、田嶋)はあることに気づいた。


 君塚さんは僕たちと同じ時間帯の電車に乗って下校していたようだ。


 今までもそうだったかもしれない。けれど例の噂で君塚さんを意識するようになり、その存在が蜃気楼しんきろうのように浮かび上がってきたのだ。そういうわけで、何とはなしに君塚さんがどこまで電車に乗るのかを観察することになった。


 その日僕たちは、僕の最寄り駅の二つ手前で降りることになっていた。その駅の特徴といえば駅前から伸びる商店街。どんな店も揃っており、カラオケやゲームセンターで遊ぼうとなるといつもその駅で降りていた。正直言えば、もう何駅か進むと大型商業施設が併設された駅があり、そちらの方が遊びのバリエーションは増える。だけど、あいにく僕たち全員その駅は定期券の範囲外だった。追加の乗車料金は数百円とはいえその出費は高校生には痛い。そういうわけでこの商店街の駅を好んで利用しているのは、全員の定期券で降りれることが大きかった。


 目的の駅に着いた時、全員がさりげなく君塚さんの方に一瞥いちべつをくれたと思う。そのまま改札を抜けるまで不自然なくらい僕たちは無言だった。そして長い潜水からの大きな息継ぎをするように声を発したのは、お調子者佐山だった。


 ――君塚さんはこの駅で降りるんだな。


 その時はだからどうしたという話で終わったのだが、問題は次の日だった。


 君塚さんは別の駅にも降車するようだった。


 僕たちは部活終わりにそのまま真っすぐ家を目指した。柳川と田嶋は僕の最寄り駅の一つ手前で(二人は同じ中学出身だ)、そして次の駅で僕と佐山が降りる。そのつもりだったので、昨日降りた商店街の駅をやり過ごそうとした時、佐山が気づいた。


 ――あれ、君塚さん降りねえぞ。


 僕たち四人が並んで座る席から少し離れた場所に彼女はいた。乗り過ごした風でもない。車窓の外を一瞥し、手に持ったスマホに視線を戻していた。

 その日は結局、そのまま僕の最寄り駅にたどり着いて僕たちは電車を降りた。すると君塚さんは昨日もそうしていたかのように僕たちに続いて降車したのだ。


「その二駅が、彼女のいつも降車する駅なのかい」

「いや、それだけじゃないんだ。彼女の出没する場所は」


 ここからは人づてに聞いた話である。


 最初の証言者はいつもいっしょに帰る柳川と田嶋だ。

 時をさかのぼり夏休み前、場所は僕の最寄りの一つ手前の駅だ。ちょうど同じ駅で僕が君塚さんに声を掛けられた翌日のことである。


 その駅は柳川と田嶋の最寄り駅であるから、いつものように彼らは僕と佐山と別れて電車を降りた。すると改札へ向かう通路のすぐそばの待合室から君塚さんが出てくるのに気づいた。彼女は柳川と田嶋の方に歩みを進めてきたらしい。二人はぎょっとした。水泳部のことを聞かれたらどうしよう。なぜか恐れに近い感情を抱いた二人だったが、そんな思いも杞憂きゆうに終わった。君塚さんは彼らの横を通り過ぎると、今出発したばかりの電車の後姿を眺めていた。


 さらに別の証言を重ねたのは同じ水泳部の男子部員だ。彼は僕と同じ二年生だから君塚さんの顔も名前も、そして奇妙な噂も知っている。

 彼いわく、君塚さんは僕たちと逆方面の電車にも乗っているという。


 それは夏休みに入ってしばらくしてからのことだ。その日彼は部活が終わってから一人残り、帰りの時間が五十分ほど遅くなっていたという。僕たちが郊外方面の電車に乗る一方で、彼は都心方面へ向かう逆の路線を利用していた。そんな彼が電車に乗った時、座席に座る君塚さんを見つけたという。


「ハヤトの利用する路線は、今スタンプラリーでもやっているのかい」

「いやそんな話は聞いたことがないよ。だから不思議なんだ」

「じゃあ本当に電車に乗るのが好きな乗り鉄なのかもしれないな……」


 身も蓋もないことを言ってペタは再び黙った。キーボードの音が短く聞こえる。何単語か連ねて止まり、また打ち始め、再び止まる。


「ハヤトはいつも、三人の愉快な仲間たちといっしょに帰っているのかい」

「ほとんどね。特に謎QRコードにほいほい返信する彼(佐山)がいるだろ。あいつは同じクラスだし帰る方向もいっしょだから、学校内外で常にいっしょにいる。そういうわけで、一人で寂しく帰ることは滅多にないよ」

「彼女が反対路線に現れた日もかい」

「そうだね。遊びに寄らず、真っすぐ各々の最寄り駅で降りて帰ったよ」


 カタカタとペタはまた何かを打ち込んでいた。


「彼女が目撃された駅は次の四つだな。学校の最寄り駅A、ハヤトの最寄り駅二つ手前の駅B――商店街のある駅。最寄り駅一つ前の駅C――ハヤトが彼女に声を掛けられ、友人二人が彼女をホームで目撃した駅。そしてハヤトと陽気な友人(佐山)の最寄り駅である駅D。ちなみに彼女は電車を降りた後何をしていたんだろう」

「何度か待ち伏せしたことがあるけど、彼女の行方は分からなかった」

「煙のように消えたというのかい?」

「僕たちは駅Bと駅Cで降りて、彼女の行方を探ろうとしたんだ。改札を出てから物陰に隠れて、彼女が来ないか見張っていた。どちらの駅も改札も出口も一つしかないからそこに現れるはずなんだ。けれども一向に姿を現さななかった」

「ハヤトたちより先に出ただけじゃないのか」

「いや、必ず彼女は僕たちの後ろを歩いていた。そのことを確認して足早に改札を出て待っていたんだよ」


 ペタはそうかそうかと納得がいった様子で頷いていた。


「もしかして何か分かったの?」

「一つ聞きたい情報があるけどいいかい」

 ペタは何やら自信ありげな気配を感じた。

「学校の最寄り駅からハヤトの最寄り駅(駅D)まではどのくらいの時間で移動できるんだい?」

「二十分くらいかな」

「では電車は何分間隔でやってくるんだ」

「十分に一本だよ。学校の最寄り駅だと毎時一分、十一分、二十一分……という風に到着するから学校を出る時の目安にしている」

「なるほど、ハヤトが郊外――それも大都市圏の郊外に住んでいることが分かったよ」


 僕はぎょっとして言葉が出なかった。確かに郊外方面という表現はしたが周辺地域のことは話してないはずだ。


「地方都市ならもっと緩やかな運行ダイアが組まれているだろうからね。十分に一本なら中心の駅まで三十分から一時間といった範囲か……」


 ペタとはお互いの年齢と趣味くらいしか分からない間柄だ。ペタが自分のリアルの生活を晒さなかったことから僕も自然とそうしていた。だから僕のリアルに触れられると居心地が悪くなる。


「まぁこういうものも個人情報になりうるということだよ。心配するな。何か悪事をたくらもうってわけじゃない。もしその中心駅が同じなら、ひょっとしたら会って遊ぶのも容易かと思ってね」


 ペタは少し笑った。悪意がないと知れたことよりネット越しの遠いところにいると思っていたペタを身近に感じられたことに僕は安堵した。


「あ、そうそう。最後に一つ」ペタはもとの口調に戻っていた。「もう八月に入ったが、彼女はまだいろんな駅で降りることを繰り返しているのかい」

「たぶんそうじゃないかな。少なくとも僕たちが部活の帰りに駅に着いた時、彼女はいつも座っているベンチで電車を待っていたよ」


 ふむふむ、とペタは満足げに頷いていた。その度に通話アプリ上のアイコンが明滅する。


「とんだ青嵐が吹いたものだね」

「青嵐?」

「初夏に吹く強い風のことだよ。新緑を揺らす新鮮な夏の風だ。そんな夏の嵐として彼女はハヤトたちの前に吹き込んだってわけさ」


 妙に詩的な表現をするペタだった。言われてみると確かに君塚さんの登場は突然で、今も僕の心をざわつかせていた。


「ずばり言うと」ペタの口調は神妙なものに変わった。「その女の子は今困っているんだと思う。彼女の手助けをしたいと思うんだけど、ハヤトはどう思う?」

「困っている」


 君塚さんは困っている。僕の頭に青嵐に揺れるか細いこずえの姿がよぎった。彼女は頼れる人もいないんだろう。転勤族だからこれまでの人間関係も散り散りになっているのかもしれない。

 そんな中、君塚さんは孤軍奮闘、何かを成そうとして、今困っている。


「何かできることがあるなら、僕は手を差し伸べたい」


 僕が彼女のことを気にしているのは、その不可解な行動故にというのが正直なところだ。けれども、なぜそういう行動に出たのか、彼女は何を思っているのかということに思いを馳せると、僕は大海にぽつりと浮かぶ小舟のような気分になる。

 同じクラスだったよしみ――僕と君塚さんを繋ぐ糸はあまりにも細い。でもその糸を手繰り寄せてもいいものなら、僕は彼女のことを近くで理解したい。おせっかいとも言われるけど、それが僕の性格だ。


「じゃあハヤトの話を進展させるためにアドバイスを送ろうか」


 ペタはあっけらかんとした口調でこう言った。


「個人情報には個人情報を。彼女の連絡先を聞くんだ」

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