第4話

 人の気持ちってもんを考えろよ。疲れてんのかストレス溜まってんのか知らないけど。俺がアイツの家に行かないから部屋散らかってたし、そりゃそんな高級マンション一人で掃除できるわけないからプロに頼めって、それぐらい金あるだろって。無理矢理呼びつけられて部屋に入ったら当てつけみたいに汚くて、アイツのこだわりのさらさらなストレートヘアも崩れてた。ベッドに無理矢理押し倒されて、いや、押さえつけられて、最近生意気だとか言われても知らねえよ。他に男が出来たんだろうって、そりゃアンタが言えた話じゃないだろ。何人も替えが存在してるくせに、その独占欲だけは性欲と同じぐらいご立派だな。

 痛いからやめろって言いたくても相性だけはいい。だからすぐに快楽に変わって何も言えなくなる。事が終わってアイツが「悪かった」って言ってたけど、賢者タイムもほどほどにしろというかなんつーか、それで俺を抱きしめてきてももう遅いってなんでわからないかな。不器用なだけで、本当は俺のことが好きなんじゃないかとか思って。コイツが寝落ちしたタイミングで部屋の片付けをする。アイツ、セックスしたんだからシャワーぐらい浴びろし。家の掃除が終わったタイミングで俺はシャワーを浴びて、コイツの財布からまた金を盗んでタクシーで帰る。

「それでアタシの所に来たってわけね、マオちゃん好きよお~! 店閉めてホテル行く?」

「もうこりごりなんだわ」

 さっきしたところだし。

「アタシならとびっきり優しくしてあげるわよお、どお?」

 いつもこう言ってくる。ただの冗談だ。

「リュウちゃんもひどい男よねえ、ひどいっていうか、人との付き合い方がわかってないのよ。金が動くか損得か、そんな物差しでしか人を見れてないわあ」

「不器用なだけなんです、ってのを信じちゃ、駄目か」

「駄目ってわけじゃないけどお、マオちゃんはそれで幸せなの?」

 俺はから笑いした。

「先生、俺死にたいんすよ」

「あらあ、アタシは先生じゃないけど、マオちゃんったら、死んじゃ駄目よお。元も子もなくなっちゃうじゃない」

 アゲハはグラスを傾ける。

「マオちゃん、アンタ最近大丈夫なのお? お酒の量もそうだし、タバコもそれ何本目なのよお」

 俺はラッキーストライクの煙を吐く。銘柄にこだわりはない。多分誰かからもらっただけのやつ。

「でも最近いい感じの子がいるのも本当なんでしょお? リュウちゃんってばそういう勘だけは鋭いわねえ」

「ただのフォロワーだ。たまたま近くに住んでたから最近よく会うだけだ」

「アイルちゃんだっけ? 可愛い~お名前! しかも男の子なんでしょお?」

「男の子って歳じゃねえよ。俺の二個上」

「じゃあアタシとは一回りぐらい違うわねえ」

 冗談だ。一回りも下ならまだ高校生で酒すら飲めない年齢だろう。未成年で黒服やってた俺が言えたことでもなければ、女装子でおじさん釣ってたアゲハに言うことでもないが。そういえばアゲハの年齢はちゃんと聞いたことがない。まさか一回り上だとは言うまい。だとするとアゲハは本気で絶世の美人で国でも傾けられるだろう。

「んで、アイルちゃんのこと、好きなの? どおなの?」

「はあ?」

 俺は飲んでたハイボールの炭酸を少し溢してしまった。

「それでもまだリュウちゃんが好きっていうの? 誠実そうなんでしょ。女遊びしてる感じもなければ、浮気もしなさそうだし、嘘も吐かなそうじゃないのお。アタシ達が一番嫌なのは結局異性に逃げられることだもんねえ。アイルちゃんって、男だからマオちゃんのことが好きなの? ノンケだけどマオちゃんだから好きなの?」

「そこまではわからない」

「今月会ったばっかって言ってたもんね」

 店の扉がカランコロン鳴って、二人組の、もうすでに出来上がってるサラリーマン二人が入って来た。

「アゲハちゃーん」

「はぁ~い!」

 その二人組は俺と二つほど席を離してカウンターに座った。アゲハが二人におしぼりを出している間、俺は氷の溶けたハイボールを飲んだ。

 男だってわかったら会ってもらえないかと思って。愛瑠は確かにそう言った。俺が女と会いまくってるってのも知ってる。そりゃツイッターに上げてるから。たまたまパトロンが女ばっかりなだけで俺も鬱陶しいとは思ってる。

でも「レイ」って名前も知ってた。どの「レイ」を知ってんのか、俺にはわからないが、男娼時代の俺を知ってるって話ならキモ過ぎるにも程がある。流石に顔が割れやすいホストの俺であってほしい。源氏名を変えなかったのはただの俺の迂闊さと言うべきか、別に身バレする身もなかったからと言うべきか。期間も空いてたし、俺は名前が変わるのがそんなに好きじゃなかった。それだけだ。

SNSでは別にゲイの素振りを見せてるわけじゃなかったから、普通にノンケだと思われてたんだろう。だから会ってもらえるか不安だった。いやまあ愛瑠じゃなくてもたまに冷やかしの男に会ってたりしてたけど。だから愛瑠は同性愛への理解で悩んでたはずで。でももう俺の好きな人が男だってわかってるし、女なんてこれっぽっちも興味がないのも知ってる。

 本当はノンケだけど、俺だから好き。そういう線は無いと言っていいだろう。

性的指向がもうすっかりわかってるから、俺のことが好きってずっと言ってくるのか。いや、最初からそう言ってきてたか。インターネットでちょっと俺のことを知った気になったぐらいで調子に乗るんじゃねえ。馬鹿。大馬鹿。俺に振り向いてでもほしいのか。性欲じゃ、駄目なのか。

 そう思ってると結構酔いが回って来たみたいだ。俺はアゲハを呼んでもう一杯ハイボールを頼んだ。

「マオちゃんだぁめ、アタシが飲むわよ~」

 アゲハはハイボールを作って自分で飲んだ。畜生、俺の会計だってのに。結局アゲハのドリンク代かよ。

「またリュウちゃんからお金引っこ抜いて来たんでしょお? アタシにも恩恵あったっていいじゃない」

 そう言って自称無敵の肝臓はロンググラスの炭酸を一気に飲み干した。

「もう疲れたんだから、お家で寝なさい。アイルちゃんは……夜勤なんだっけ。流石に迎えには来れないわねえ~。でも、この前みたいに泥酔して逆方向に歩いちゃ駄目なんだからね」

 時刻はちょうど一時を過ぎた頃だった。俺は今日は栄一を出して、アゲハからお釣りをもらった。

 今日こそはちゃんと家に帰れる。人のことをなんとも思ってないクソ野郎の家になんか泊まってやるものか。アイツのことが好きな自分が嫌いだ。嫌いだ。でも時折見せてくる表情が、俺を愛してくれているみたいで、それだけは偽物だって疑いたくなかった。

 バーを出て右手に小さい交差点があって、向かいにはセブンがあるからそこを目指して信号を待つ。なんか腹減ってるからコンビニで飯でも買うかと思って、その入り口を目指す。信号が変わったのに二秒遅れぐらいで気が付いて、酔っ払いは歩く。

 下を向いて歩いていたから気が付かなかった。ぬりかべみたいな男がコンビニの入り口から現れて、しかも俺は今日捻挫して厚底を履いていないんだから、尚のこと大きく思えた。

「んだよ、お前かよ。脅かすなよ」

 愛瑠だった。

「すみません」

「お前、夜勤は」

「ちょっとシフト間違えていたみたいで、今日はお休みでした。でもこの時間のために昼間は寝ているものですから、中々眠ることも出来ず……」

 つまり、

「暇ってことか」

「いいえ、厳密には、会いに来ました」

「バー・ピエロにか」

「ええ。いるだろうと思って。私にそんな場所は似合わないし、お酒もあまり飲まないので場違いでしょうが、会いたくて。ちょうど店から出てきたところってことですよね」

 ご明察だ。

「夜食とか、買ってありますので。マオさんの家で食べましょう」


 マオが買ってきてたのはカップ麺におにぎり、あとは俺のつまみになりそうな牛タン。最近好きだって言ってたからか緑茶割りまでご用意してある。もう一杯飲むか、と思って俺は牛タンの封を開けて、付属の割り箸で一枚つまむ。タバコしか置いてないテーブルの上をとりあえず、買ってきてくれたものを置けるようにする。つってもタバコをテーブルの下に置くだけで、まあ散らかってるゴミは、知らないうちに愛瑠がゴミ箱に捨ててくれたみたいだ。

 まだ前の水が入れっぱなしのケトルを愛瑠は軽くゆすいで、また水を入れてお湯を沸かした。俺はカップ麺までは要らないから、ありがたく明日の昼飯にでもさせてもらう。

 コンビニのつまみも中々美味いな、と思うのは俺が馬鹿舌だからか、アルコールで判別がつかなくなってるからかわからない。美味い飯、ってのはほとんど記憶にない。塩味がしてりゃなんでも食える。他人のゲロだって食ったことがある俺だ。あれはなんで食ったんだっけか。ホスト時代、路上でなんか土下座させられて、食わされた気がする。流石にその味を忘れるわけなんてなく、俺の中じゃその味がしなけりゃ飯は美味いことになってる。

 愛瑠がご丁寧に手を合わせてカップ麺を食いだした。普通の、カップヌードル。

 ロング缶なのにもうなくなりそうな緑茶割りを片手に俺はまたその牛タンを貪る。

「不味くはない」

「それはコンビニの企業努力のおかげですね」

 愛瑠はちょっと笑った。

 コイツもこんな風に笑うのか、と思った。

 ベッドとこの折り畳みのローテーブル以外まともに家具がないこの家。愛瑠の後ろには俺が床に平積みしてある岩波文庫やちくま文庫。愛瑠はそれに触れないように、倒さないように配慮して座ってるらしかった。要らないものは家に置きたくないから、そろそろそいつらも売りに行かなきゃいけないんだけど、どの本を読んで、どの本が面白くて、どんな内容だったかは忘れてしまった。小学生の頃読んだ本の内容は今でも覚えてるのに。ほら、マジックツリーハウスとか、あったろ。今でこそ学歴もないけど、本だけは読める。それが誇りのはずだったが、もう記憶も掠れてきてんなら、どうしようもないんじゃないか。

 文学をわかった気でいるけど、どうせ金持ちのボンボンが鬱病気取った貴族文学なんだから、誰も俺の気持ちなんてわかってくれるはずもなかった。だから、哲学、思想に逃げた。それでなんとか理論武装して、自分自身を強くして、強くなった気でいた。

 愛瑠は別にそんな趣味なさそうで、別にこれといって熱中してる感じでもなく、緩く、広く浅くオタクをやってるだけらしかった。

「プラトンとか、教科書でしか見たことありませんでしたが、本、売ってるんですね」

「なんでも売ってるさ。俺もよくわかってねえけどな」

 ロング缶を飲み干した俺は、もう寝るからと言って自分のベッドに上がって横になった。毛布は冬用じゃないと眠れなかった。だからその分厚いのを頭から被って、電気の明かりを遮った。あとは勝手にしろと言って、愛瑠を放っておいた。だって、なんか、うざいし。愛瑠が後ろでカップ麺をズゾゾって音立てながら食ってる音がした。そして袋がガサガサ鳴って、ゴミを片付けてるんだとわかった。

「おにぎり、冷蔵庫に入れておくので、朝にでも食べてくださいね」

 朝なんて起きるわけねえだろと思って返事はしなかった。

 部屋の電気が消えた気がした。背後から人が迫って来る気がした。ソイツは重苦しい身体を俺に乗せて、背中から力強く抱きしめてきた。またセックスしなきゃいけないのかよって心のどこかで思うけど、愛瑠は一度だって俺に手を出してきたことはなかった。

「私がお嫌いですか」

 耳元で直接聞こえる。喉仏が鳴ってることすらわかる距離だった。

「うぜえよ、離れろよ、床で寝てろよ」

「私がいても、まだ、死にたいですか」

 何もわかってねえくせに調子に乗るんじゃねえ。

「お前に何がわかるってんだ」

「何もわかりませんよ。それでも、マオさんを愛しています。それじゃ、駄目ですか」

 性欲じゃ、駄目なのか。性欲で相手にして、それで満足するもんじゃねえのか。ガチ恋で刺してきたりしたら怖いんだけど。だからさっさとそれで満足してほしいんだけど。俺がそういうことしようとしたら「もっと自分を大切にしてください」とか宣って来やがるんだから、本当に、心の底から、鬱陶しくて、面倒臭い。

「じゃあ、私のことを突き放したらどうですか」

「……………………」

「私に期待してくれているんだって、勘違いしてもいいですか」

 俺の心が揺れていることなんてポーカーフェイスで隠し通してるんだから愛瑠如きにわかるわけがなかった。俺に振り向いてもらえないから、こう言って試してるだけだ。

「私はマオさんに生きていてほしいですよ」

「……………………」

 もう早く眠りたかった。それは永遠の眠りを望んでいた。愛瑠の身体は温かかった。生きている、体温を感じた。筋肉がずしりと圧し掛かってくる。これにどんな感情を抱くのが正解なんだ。俺はもう、わからない。

「俺は早く一人で死にたいんだ。お前なんて早くどっか行け」

「マオさん」

「お前は普通に生きてきたかも知らねえけど、俺は違えんだよ。理解されて堪るかよ」

「マオさん」

「どうやって生きてくのが正解なのかわかんねえよ。俺なんか高校も卒業出来てないまま、ずっと夜にいただけだ。そこに存在意義はない。普通ってアレだろ、親に愛されて、高校どころか大学まで行かせてもらえて。母親のヒステリーの対応に追われたり、帰ってきたら親が男連れ込んでるから追い出されたり、しないんだろ。だから夜に逃げ込むことも、ないんだろ」

「マオさん」

「もう十分じゃねえか。お前だって偽物の俺を見て満足してるだけだろ」

 愛瑠はその大きい身体で更に俺を強く抱きしめる。後ろから、執拗に抱きしめる。

「私はマオさんが好きです」

「今の話聞いてたのかよ、鬱陶しいって」

「どんなマオさんでも、好きです。一目惚れ、でした。確かに私はちょっとインターネットでマオさんのことを見ていただけですが……それでも、私が思う感情に嘘はありません」

 コイツ話通じねえなと思って。俺は目を閉じた。

「マオさん、私は。どうやってあなたを救ってあげたらいいんですか。私があなたを求めている、それじゃ、駄目なんですか」

 愛瑠の言葉は聞かなかったことにして、眠ることにした。

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