試用期間とミッションと、花冠祭

第8話 図書館の良心

 試用期間が始まってから今日でちょうど一週間だというのに、生き残っている人間はアニカしかいなかった。

 魔導書の解読という前代未聞のミッションを与えられた参加者たちは、どうにかしてこの試験を攻略しようとしていた。

 だがアニカ以外の参加者には魔力を失ってしまうのではないかという恐怖が付きまとう。結果、彼らの半数は二日目に自主棄権した。

 なんとか粘った人たちもいたが、魔力が無くなるかもしれないストレスフルな環境とミッションの不透明さにメンタルをやられてしまった。


『君ぐらい負けん気が強くないと、潰れてしまうからね』


 ――あの言葉の意味がこんなにすぐ理解できるだなんて、思いもよりませんでしたわ……。


 アニカには魔力方面の不安は全くないが、課題については他の参加者と同様に心理的負担が大きかった。


「解読ってどうやってやればいいのかしら……」


 アニカはほうきを手に持ちながらため息をついた。

 魔導書の解読だけでなく図書館で発生する雑務や資料の整理なども試用期間中の業務として発生する。

 早々に一人ぼっちになってしまったので、なんとか頑張るしかない。正直、魔導書の解読が進んでいない理由の一端になっていた。


「この量を毎日一人でって……流石に無理じゃない?」


 はぁーとため息をついてしまったが、アニカはすぐにぶんぶんと首を横に振る。


「駄目よ、弱気になっちゃ! 強くなるって決めたじゃない!」


 広い図書館に一人だけだと独り言が多くなる。他に誰もいないと思っていたが、自分の頬を叩くアニカの真横からぬっと影が現れた。


「アニカ様。そんなに強く叩くと跡になってしまいますよ」

「キャー!!!!」


 ――おおおおお化け!?


 驚きのあまりその場に尻餅をついてしまった。

 お化けかと思っていたそれがアニカの目の前に移動して膝をつく。ビクビクしながら視線を移すと、そこにはライネルの従者のフリードがいた。


「ふ、フリード様でしたか……」

「すみません。驚かせるつもりはなかったのですが……」


 フリードは申し訳なさそうに眉を下げた。

 ライネルに仕えているので恐らくは上流貴族の身分のはず。なのに彼は随分と腰が低い。


 ――主人も彼の爪の垢を煎じて飲めばいいのに。


 この間の面談を思い出しながらアニカは心の中で悪態をついた。


「ええっと……私に御用でしたか?」

「あ、いえ用というわけでは。ただ、お一人で図書館のこと全てをやるのは骨が折れると思いまして」


 フリードが差し出してくれた手を握り、アニカは立ち上がる。なんて物腰が柔らかで丁寧な人だろう。

 ここ最近悪いことばかりが続いていたからか、彼からの親切が身に染みた。


「ありがとうございます。一人だと大変でしたのでとても嬉しいですわ」

「どういたしまして。そういえば魔導書の解読の方は順調ですか?」


 フリードはほうきで床を掃きながらアニカに問う……が、なんとも言えない彼女の表情を見て、また申し訳なさそうに眉を下げた。


「やはりそうですよね……。うちの主人は無茶振りが多いから……」


 少しぼやくような声でフリードが呟く。きっと彼も想像を絶するような依頼ばかり受けているのだろう。

 フリードとしっかり話すのはこれが初めてだったが、すごく親近感を覚えた。


「解読……と言っても、私の担当になった魔導書は本を開くことすらできなくって」


 初日犠牲者の彼のように本を開いた瞬間、災いが起きるのかと緊張したのだが、アニカの担当になった本はまるで生きている貝のように驚くほど開かなかった。

 アニカの言葉を聞き、フリードが「うーん」と声を漏らす。


「前にライネル様が『魔導書は今を生きている。だから声をかけると良いんだ』と前に仰っておりましたが、そちらを試してみるのはいかがでしょうか?」


 ――お祖母様の知恵袋みたいなテクニックね。

 

 本に語りかけるライネルを想像してみる。おかしなところしかないはずなのに絵になってしまうのが腹立たしい。空想上でも完璧なところしかイメージできないとはどういうことなのだろうか。

 本当に役に立つのかは怪しいところだが、他に思いつく手段もない。何もせずに時間を浪費した挙句、実家戻りになるのだけは絶対に嫌だ。


「ご助言ありがとうございます、フリード様。とにかくチャレンジしてみます!」


 意味の無さそうな行動でも実際にやってみないと本当に意味がないのか、わからないものである。

 アニカが胸を張って宣言すると、フリードは優しくはにかんだ。


「頑張ってください。……それと、私はアニカ様よりも爵位が低い身ですので、どうぞ気兼ねなく『フリード』とお呼びください」

「いえっ、そんな! 私の爵位はリーデルガルド家のものですから……」


 今の発言でアニカのこれまでが透けて見えたのか、フリードは酷く辛そうな顔をする。本当に優しくて心の綺麗な人だ。

 アニカは「じゃあ」と言葉を続けた。


「私は貴方様のことを『フリード』とお呼びいたしますわ。ですので私のことも『アニカ』と、畏まらずに呼んでくださいまし」


 フリードは一瞬迷ったのか少し視線を彷徨わせた。でもアニカのまっすぐな視線に根負けして「では、アニカとお呼びしますね」と穏やかに笑った。

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