第7話 完璧超人の本性
重厚な扉を3回叩く。
少しの沈黙の後、部屋の中から「入ってくれ」と返事があった。
「失礼致します」
アニカは大きな物音を立てないよう静かに扉を閉じ、声の主へと近づく。
ライネルは光を取り込むために取り付けられた大きな窓を背にし、執務机に座っていた。
整った甘い顔立ちに優雅な身のこなし、きっと老若男女問わず誰もが彼の虜になり、好意を抱くのだろう。
――でも、何か……。
足りないものなんて何一つないはずなのに、どこか欠けている気がする。
その欠陥にアニカには思い当たる節があった。雲の上の存在と自分なんぞを比較してしまうのはおこがましいことだと思うが、それでも感じ取ってしまったのだ。
――この人、もしかして。
その思考の続きはライネルから飛び出した言葉ですぐかき消されることになる。
「先日ぶりだね。アニカ・リーデルガルド嬢」
「……えっ?」
先日どころか本日初めて会ったのに、急に何を言い出すのか。
ライネルほど目立つ存在であれば過去のパーティで遭遇していても気がつくだろう。アニカは無能とはいえど、貴族だ。
そんな重大な記憶、忘れることは絶対にない。
慌てふためいている心情が全て顔に出ているなんて当の本人であるアニカは知る由もない。そんな彼女の挙動に耐えきれなくなったのか、ライネルは声を出して笑い出した。
「……いや、やはりか! あの時、
大爆笑の声がライネルから聞こえてきている事実に脳が全く追いつかない。
一人称まで変わっていてツッコミどころしかないのに、アニカの頭はいつ会ったか検索するので手一杯だった。
――あの時っていつですの!?
アニカは特別目立つ顔立ちでもないし、別の人間と間違えていてもおかしくはない。でもライネルがそんな初歩的なミスを犯すとは思えなかった。
本当に以前会ったのだろうか。
国宝級の御尊顔で、不思議な瞳の……。
――オパールの瞳……ってまさか!?
ライネルは愉快そうに笑ったまま、前髪をくしゃくしゃと乱暴に掻き乱した。
ピシッと整えられていた髪が顔にかかる。
その姿はやはりあの婚約破棄された夜、庭で見た失礼な紳士の姿だった。
「この姿の方がわかりやすかったかな?」
「……先日ぶりで……ございます……」
まさかこの間の紳士があのライネル・フォン・グランツライヒだなんて誰が想像できただろうか。それどころか、これから自分の上司になるなんて。
――謝るべきなのかしら!?
パニックになりながらあの時のことを必死に思い返してみるも、自分に非は一つもない。立場や正体がわかったからとはいえ、やはりライネルの態度が失礼だったのは事実だ。
――自分が悪くないのであれば謝る必要なんてないのではなくて!?
アニカはゆっくりと息を吸ってからライネルを凝視する。生意気だから即クビと言われようとも、決して謝らないぞと目で訴えかけた。
強気に振る舞っているけど内心はバクバクだ。
「うん、やっぱり良い。俺に対してそんな反応を見せてくれるのは君ぐらいだ」
ライネルは楽しそうなまま悪役のように笑う。
意地悪な笑顔だけれど、人間味があるこちらの方が親しみやすいと思ってしまった。
それに面と向かって『良い』だなんて褒めてもらったことなんて今までなかったから少し歯痒い。
最悪の事態を免れてホッとしたのも束の間、ライネルはさらなる爆弾発言を重ねた。
「君ぐらい負けん気が強くないと、潰れてしまうからね」
――つ、潰れる……?
この人、今、とんでもないことを言った。
まるで「お嬢さん、一緒にダンスでもいかがかな?」とスマートに誘うような穏やかな口調で「潰れる」とか言ってきた。
人が潰れるなんて、だいぶヤバい組織だ。
それこそ人間を駒扱いするブラックな会社でよく聞く言葉である。
「あの、ライネル様。潰れるとは……」
「そのままの意味だ。君には期待しているよ、アニカ・リーデルガルド嬢」
ライネルはにっこりと効果音がつきそうなほどわざとらしい笑みを浮かべた。有無を言わさない圧力の中にこれ以上何も聞いてくるなというニュアンスを感じる。
迫力に負けてアニカは口をつぐみ頭を縦に振った。
「それと、ここでの会話はご内密に」
口元に人差し指を持ってくる姿はシンプルに格好良くて、アニカはちょっとドキッとしてしまったのが悔しかった。
リーゼリウム帝国国立図書館に来たのは昼前だったのに、いつの間にか外は鮮やかな茜色に染まっていた。
アニカはトボトボと寄宿舎への道を歩く。
さっきライネルと話したことを他の参加者に告げ口しようものなら存在を消されかねない。そも信じてもらえるかも怪しいが。
誰にも見られていないのに無性に背筋が寒くなった。
「就活先を間違えたかしら……」
大量の不安と少しの期待を胸に抱き、アニカの新しい日々が始まるのであった。
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