第16話 今はまだ……

 萌黄が桐の箱を、海斗に渡した。

 

「俺に?」


「はい。海斗さんにお渡ししたくて、作ったものです……材料は頂いたものなのですが……」


「えっ……そ、それは嬉しい。開けてもよろしいですか?」


「はい」

 

 海斗が箱を開けると、魔道具に改造された鍔が煌めく。

 

「うわぁ……すごく美しくて強い波動を感じる、これは最高級品ですね。……俺のために萌黄姉さんが……俺のために作ってくださったんですよね」


「はい」


「ありがとうございます! 一生の宝にします。すぐに鍔を交換しますよ」


「あ、いいえ。観賞用にもらってくだされば! 大事な鍔がありますでしょう? 無理に交換しなくても大丈夫です」


「いえ。俺が交換したいんです。すごく嬉しいんです! ……あの日見た萌黄姉さんは本当に匠姫……いやそれ以上に天女のようでした」


 目を細めて見つめられると、萌黄は頬が熱くなるのを感じる。

 

「ほ、褒めすぎです……そんな」


「褒めすぎなんて事はありません。俺の本心です」


 目が合うと、またドキドキしてしまうが、同じように胸がズキリと痛んだ。


「あの……今更なのですが……婚約者の方に怒られませんか?」


「え? 婚約者?」


「実は今朝……メイド長に声をかけられて、海斗様には婚約者がいると聞いたのです」


 海斗の牛鍋の誘いも、断るべきだったのについ甘えてしまった。

 婚約者がいる男性に、贈り物などしてしまった。

 

 自分にこんな止められない欲望があるのだと、初めて萌黄は知ったのだった。

 

「こ、婚約者!? いるわけないじゃないですか!! なんでそんな事を……」


「……で、では……いらっしゃらないのですか?」


「もちろんです! いるわけがない!」


「そ、そうですか……よかった……」


 つい、溢れてしまった本心。


「……よかったと思ってくださるのですか」


「あ! すみません……よかっただなんて……」


 なんてずるくて恥ずかしい女だと萌黄は思うが、海斗は幸せそうに微笑んだ。


「よかったと思ってくださって、嬉しいです」


「海斗さん……」


「萌黄姉さん……俺には思い焦がれる女性が、心におります」


「えっ……」


「過去に何度か、俺の方から彼女のご両親に縁談を申し入れたのですが……却下されてしまいました……」


「……そんな事が……そこまで想う御方が海斗さんには……いらっしゃるのですね」


 恋愛に疎い萌黄には、海斗が恋い焦がれる女性が誰かわからない。


「……萌黄姉さんは聞いておりませんでしたか?」


「えっ?」


「それならば留学して、男として立派になってから想いを告げに行こうと思っていたんです。……馬鹿でした」


「……馬鹿って、どうして……?」


 戸惑いながらも聞き返す。


「その方は、嫁いでしまったのです。今は人の妻でありますので……俺の想いを告げることはできません」


 萌黄は何も言えない。

 

「でも今日、その人が離縁できる目星がついた気がして……祝いがしたくなったのです」


「えっ……」

 

 それは……つまり私……?

 まさか……でも……萌黄の想いがぐるぐる回る。


 海斗からの縁談話など、両親から聞いた事もない。

 でも、真白と両親が勝手に断っていたのなら……。

 

「……その時がきたら、想いを告げますので……待っていてください」


 指先だけが少し触れた。

 でもこれ以上は触れてはいけない……今、触れたら……。


「海斗さん……」

 

 なんだか切なさで胸がいっぱいになって涙が溢れそうになる。

 萌黄の瞳が、潤んだ。

 そんな萌黄の瞳を見つめて、海斗も目眩を感じる。

 我慢しきれない感情が湧き上がる。


 ……もっと触れたい……。


 しかし今はまだ……萌黄は人妻なのだ。


「そ、そういえばですね! 珍しいものを預かってきたのですよ!」


 空気を変えるように、海斗が少し大きな声で言う。


「珍しいもの……?」


 海斗が自分のカバンを持ってきた。

 その中から小さな袋に入った箱を取り出した。

 箱を更に開けると、真っ赤な宝石のついた指輪が現れる。


「綺麗です……でも邪悪な気が怖いです……」


「すごいですよね。この箱にも一応軽い封印術はかけてあるのですが」


「これはよほどの呪物ですね……外国のものですか?」


 力のある魔道具技師は、霊感のように呪いや聖なる力を可視化することができる。


「はい。これは、かなりの呪詛が込められた指輪で……嵌めた人間を狂わせると言われております……」


「狂わせる?」


「はい。意識を融合させて、人間を妖魔化させる危険がありますね」


「えっ人間を妖魔に? それは……なんて恐ろしい。こんな危険なものを何故?」


「危険なものですが、魔道具として人間に有益なものに作り変える事ができるかもしれないと……色々と実験してみてほしいと言われたのです。まぁ俺の手に余るものだとは自覚しておりますから、保管して返却することになるでしょうけどね」


 今も赤い宝石が、自己主張する炎のように揺らめいている。


「扱いには慎重にならなければいけませんね。金庫に保管をするのですか?」


「これは、金庫などにはいれられないのです。強い封印術も激しく抵抗して却って危険なのです。人のいる空間を好むようで……」


「まるで自分の主人を探しているようですね……」


「はい。この指輪の元の持ち主は、遠い遠い国で自分の美貌を愛し、残虐な殺戮を繰り返していた……という女城主だったようです。使用人の若い女の血を啜り、気に入った男を閉じ込め永遠の愛を誓わせて殺していたようです」

 

「……なんて恐ろしい人……」


 萌黄はゾッとしてしまう。

 

「欲が深いと大変ですよね。俺は……平凡な幸せでいいな」


「私もそう思います」


 海斗が萌黄を見て、目を細める。

 二人でいれば、いつでも和やかな空気がながれる不思議。


「工房の机の上に置いておきますが、注意してくださいね」


「はい」

 

 そして工房の机の上に静かに置かれた呪いの指輪。


 それからまた二人は、夕食を楽しんだ。

 しかし、海斗に婚約者がいるとはどういう話からきたのだろう?


 次の日の夜、海斗は陸一郎に呼び出しを受ける。

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