第17話 陸一郎からの呼び出し


 二人で牛鍋を食べた次の日の夜。

 陸一郎に呼ばれた海斗が、驚きの声を上げる。

 

「俺と真白さんが婚約ですって?」


「そうだ」


「ふざけた事を言わないでくださいよ。彼女と兄さんの関係に気が付かないとでも思っているのですか?」


「私の妻は萌黄しかいない。真白は別に妾でもないし、何も気にすることはない」


「気にしますし、お断りいたしますよ」


「それは許されない」


「お互いに好き勝手する約束ですよね? 兄さんも勝手に結婚したわけですよね? 俺の婚約を命令だなんて、どういうおつもりですか」


「真白が望んでいるのだ。叶えてやりたい」


 あまりの言様に唖然としてしまう海斗。


「……兄さんは真白さんに惚れているのでしょう? それならば、兄さんが結婚するべきでは?」


「俺が惚れているのは萌黄だよ。決まっているだろう?」


 兄の『何を言っているんだ?』という顔に海斗は、不気味さを感じて身じろぎする。


「……俺は過去に真白さんに交際を迫られましたが、はっきり断りました。お二人は嫌がる相手と結婚しようとする趣味でもあるのですか?」


「一体なんの話だ? 嫌がる相手?」


「え……いや。だって兄さん達の結婚は……」


「萌黄もそろそろ反省しただろう。私のことを深く愛しているのだと、泣いて反省しているのは私も知っている」


 寒気がした。

 もちろん海斗も、萌黄を汚い蔵に閉じ込めている仲間として嘘をついていた。

 『泣いている』『具合が悪そうだ』『働かせ続けている』そういう報告をしていた。

 

 しかし、陸一郎を深く愛しているなどと……誰が言うものか。

 庭師だって、メイドだって、そんな事は言うまい。


 ……真白か。


「兄さん、萌黄姉さんは……貴方を愛してなど……」


「兎に角、真白との婚約話を進めるからな。次男坊として真白を妻にもらえ」


「だからそれは絶対に無理な話です! 彼女本人にしっかりと断ってきますよ!」


 今まで以上に話が通じなくなっている。

 真白を放置しておくべきではなかったと、海斗は心から後悔した。


 あの娘は、冷酷な兄のような人間ですらコントロールできる才能があるのだろう。


「断れるものなら、勝手にしろ。萌黄を呼んであるから、お前はもう去れ」


「萌黄姉さんを? ……何故です」


「夫婦水入らずで、今後の事を話すのだ。何がそんなにおかしい?」


「俺も同席してはいけませんか?」


「あっはっはっは!! 同席するのは真白と結婚してからにしろ。いつでも同席して構わない……夜も同席しようか。あっっはっっは! さぁ早く去れ」


「何を……兄さん、少し正気に」


「私は常に冷静で正気だ。去れ……海斗」


 兄の重い一言。

 海斗は兄が怖くなどはない。

 ここで揉めても構わない。

 しかし、今ここで警戒されるのは得策ではないかもしれない。


 萌黄は、陸一郎を拒絶する事はわかっている。


 それならば、まずは自分も真白に婚約をしっかり拒否しなければ。


「それでは失礼いたします。真白さんはどこにいらっしゃいますか?」


 ノックの音がした。

 

「あいつは蝶のような女だからな。わからんよ……さぁ、萌黄が来た。出ていけ」


「はい」


「萌黄、入れ」


「……失礼いたします……」


 海斗がドアの前に立つと、萌黄が陸一郎の部屋に入ってくる。

 萌黄は海斗がいたことに少し驚いたが、軽く微笑んだ。

 服は、ボロボロで髪もボサボサにわざとしてある。


 海斗は萌黄が安心するように、頷き部屋を出た。


 そして海斗に変わって、次は萌黄が陸一郎の前に立つ。


「あの陸一郎さん……用とは一体……」


「お前は、金福屋の大福が好きだと聞いた。用意してある。座って茶と食べろ」


「えっ……」


 メイドが、陸一郎の書斎テーブルの前に置かれたローテーブルに大福とお茶を用意した。


「座って食べろ。遠慮はいらない」


「は、はい……いただきます」


 萌黄は飢えてなどいない。

 だが、陸一郎は蔵で萌黄が飢えて苦しむ日々だと思っているのだろうと大福に手を合わせる。

 驚いたことに、陸一郎は萌黄の目の前のソファに座った。


 萌黄が食べる様子を、爬虫類のような瞳でじっくり観察するように見つめてくる。


 まるで蛇が目の前に現れたかのように、寒気がして恐ろしかった。

 これはまるで飼い犬に、褒美の餌を与えているようだったからだ。


 喉が通らない思いだが、無理をして食べきった。


「あ、あの……ごちそうさまでした……」


「……そろそろ反省したか?」


「えっ……」


「寂しく辛く孤独な想いをして、私という存在の大きさがよくわかったか……?」


「……それは……」


 萌黄は何も言えない。

 この問いの正解など、わからない。


「まだ、わからないのか……?」


 折檻が必要だという瞳。

 もしかしたら、またあの薄暗い虫だらけの部屋に……!?


「あ、あの……」


「お前の作った魔道具を見た。我が家のために、俺のために努力している事を評価しよう。さすがは匠姫」


「えっ……」


 我が家……。

 萌黄は自分のため……海斗のため……いや、それもあったが何より創るのが楽しくて学べることが嬉しくて……。

 

 決して、陸一郎のためではない。


 それに今……『匠姫』と言った……?


「……今、匠姫とおっしゃいました……?」


「ははは、お前の異名を知らんやつなどいないだろう? お前が塾から姿を消す……半年前だったか? お前の祖父の黄田助きだすけ名人めいじんが、死にかけた海斗を救ったのだ」


「えっ……」


「あいつの左腕は、黄田助名人が作った魔道具で動いている……」


「お祖父様の……」


「帝都の列車脱線事故の時だ」


 列車が脱線し、沢山の怪我人が出た大事故だった。


「お、覚えております。救援の手伝いに祖父と行きました。少年を魔道具で確かに……海斗さんが……あの時の……?」


 医師ではない魔道具技師が、負傷者に何か施すなど普段ならありえない。

 しかし、瀕死の少年を助けるには魔道具で腕の補助が必要だった。

 名も知らぬ彼は武芸を志す少年だった。


 外科医と立ち会い、祖父はその手術と共に魔道具を作動させた。

 萌黄は、年の差もあまりない少年が麻酔を受ける前まで励まし手を握り続けた。


 そして数時間後に手術は成功。

 目を醒ました彼と、少しだけ話をした。


『萌黄姉さん、ありがとう! 俺も魔道具技師になる……!』


『まぁ。それでしたら、またお会いできますね』


 あの可愛くて、純粋無垢な笑顔。

 萌黄は握手して、彼との再会を誓って……別れた。


 でも、その半年後に祖父は亡くなり……真白の我儘で萌黄は魔道具技師の道を断念する他なかったのだ。


 海斗はずっと前から、萌黄の事を知っていたのだ。

 

 海斗と手を繋ぐと、感じる温かさ……。

 それは、祖父の魔道具から微量に出る魔力だった?


 いや、それだけではない海斗の想いが、自分を想ってくれる心が……あの温かい手から伝わってくるから……。


「海斗さん……」

 

 陸一郎の前でも、彼を忘れて萌黄の心は海斗の事ばかり想ってしまう。

 

 しかしその時……。


「あの時から、私はお前を妻に娶ろうと思っていたのだ」


 陸一郎から恐ろしい言葉が発せられたのだ。


 

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