~春のような人~

菜の花畑は、ユウキにとって沙羅と再会した、特別な場所だった。

春風に揺れる黄色い花の中、沙羅がふと立ち止まり、小さくつぶやく。

「ここ……落ち着くよね。唯一、気が休まる場所かも」

「わかる。とくに沙羅ちゃん、いつも誰かと話してるし」

「アイドルって、何かと大変なのよ!」

「今さらだけど……沙羅ちゃんって何のアイドルなの?」

「いずれは国民的アイドル! 今は学園のアイドルかな!」

(たしかに沙羅ちゃんを遠く感じる時はあるけど、アイドルとかどこまで本気で言ってるんだろう)

茶化すような口ぶり。でもそのあと、沙羅の瞳がほんの一瞬だけ揺れた。

「……こないだのユキちゃんの話、変に思われたかなって」

ユウキは少し黙り、それから口を開いた。

「沙羅ちゃんって、いつも変でしょ」

「ちょっと! いつもってなによ~。ファンに対してその言い方はありえなくない!?」

「ファンになったつもりはないけど……少し気にはなったかな」

沙羅は視線を落とし、耳に髪をかける。その仕草には、少し照れたようなどこか切なさを秘めた静けさがあった。

そして――。

「……あの子がユキちゃんなわけないって、思ってるでしょ?」

空気が変わったのを、ユウキは感じた。

冗談めいた雰囲気のあとに訪れた、唐突な真剣さ。

沙羅の声は静かで、その瞳は春の海のように穏やかに澄んでいたが、

奥底には波の音のような静かな哀しみが潜んでいるように見えた。

「私も、最初に見たときから生まれ変わりだなんて思ったわけじゃないよ。でも……だんだん、そう思えてきたの。」

視線の先には、菜の花の揺れる景色。

けれど沙羅の目は、その向こう側のなにかを見つめていた。

「菜の花も、少しずつ枯れてきたね……」

風がそよぎ、黄色い花々が静かに揺れた。

「父からユキちゃんの調子が悪いって連絡がきて、急いで帰ったんだ。でもそのときにはもう、あの綺麗だった毛並みもくたびれてて……息をするのもやっとな感じだった」

ユウキは何か言いたかったが、言葉が出てこなかった。

「最後に、一声だけ鳴いて……それっきり。動かなくなったの。」

沙羅の声は淡々としていた。でもその淡さは、深い感情を押し込めた末の色だった。


「すごく苦しそうだったけど……私のこと、待っててくれたのかなって思ったの。」

「それは、きっとそうだよ」

「そのときは、しばらく落ち込んだよ。ちょうど忙しい時期で、ちゃんとお世話できてたとは言えなかったし……」

「そういう後悔って、尽きないよね」

ユウキの寄り添う気持ちにこたえるように、

沙羅も心を開いて話を続けた。


「でも最近ね、どんなに丁寧にお世話しても、少し寿命が延びるだけで――結局、結果は変わらなかったんじゃないかって、思えてきて」

「そんなこと……」

「人の心って、変わっていくね。私、冷たい人間に……なっちゃったのかな。今では、他の子を平気でユキちゃんの代わりにしようとしたりして……ときどき、自分が怖くなるの」

「……なんかわかる気がする」


ユウキは、少しだけ目を細めて言った。


「どうして?」

「沙羅ちゃんは自分の心を守ろうとしてるだけで、冷たいわけではないよ」

「ユウキくん、私の心がよく分かるんだね」

沙羅はそう言って笑った。でもその笑顔は、どこか痛みを含んでいた。


「ユキちゃんは沙羅ちゃんと過ごせて、絶対幸せだったよ!」

ユウキはまっすぐに沙羅の目を見てそう伝えた。

「そうかな……あんまり大事にできなかったから、恨まれてたりして」

沙羅は少し目を伏せた。


「そんなことないよ。ユキちゃんは最後にありがとうって言いたかったんだと思う」

「ユウキくん、生き物の気持ちもわかるの?」

「わかるさ。だって愛情深い沙羅ちゃんと一緒に過ごせたんだから。――幸せに決まってるよ」


しばらくの沈黙のあと、沙羅はふっと笑った。


「……少し救われた気持ちになれたかも」

「それならよかったよ」


ユウキも少し安心して笑顔を見せる。


「……なんだか、ユウキくんって、春のような人だね。……あったかい感じ」

沙羅の頬がゆるみ、やわらかな笑顔がこぼれる。


沙羅ちゃんこそ、春の花みたいだ――

そう言いたかったけど、照れくさくて言えなかった。

春風が、ふたりの間をそっと通り抜けていく。沙羅の髪がふわりと揺れ、陽だまりの中に溶けていった。

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