第4話 保護という名の侵略

2029年2月。東京では、冷たい雨が降っていた。

ニュースキャスターの顔が硬直し、原稿を読み上げる声はわずかに震えていた。


「速報です。ただいま、ロシア連邦政府が『邦人の安全確保と極東安定のため』として、平和維持部隊の名目で北海道に上陸を開始。釧路、網走、稚内、函館の各地で、すでにロシア軍部隊が主要施設を掌握。自衛隊の対応は…」


画面が途切れ、代わって出てきたのは国会中継。

壇上で総理大臣が表情を硬直させ、言葉を失ったように沈黙していた。



東京・市ヶ谷。防衛省の地下司令室は、まるで止まった時計のように機能を失っていた。

数年前まではここが自衛隊の中枢であり、作戦の頭脳だった。


だが、新内閣の発足以降、「対話と共存」の名のもとで国防費は削減され、現場からは熟練の将官が次々と退役に追い込まれた。

残されたのは、政治的に“扱いやすい”だけの防衛大臣と、決断を避け続けた幕僚たちだった。


ロシアの侵攻を前にしても、誰一人として明確な指示を出さなかった。

責任の所在を押し付け合い、命令書は机の上で滞り、現場は混乱を極めていた。


「指揮命令、完全に分断されています」

「対応不能。全系統、無応答」


通信士の声が響くが、それを受け止めるべき者たちの姿は、そこにはなかった。


「通信途絶。旭川方面、全滅とのことです」


「ロシア軍、対空ミサイル車両を道央に展開中。制空権、完全に奪われました」


隊員たちはモニターを睨みながら報告を続けるが、それを受け止める者はいなかった。

もはや誰が命令を出すのかも分からない。



その日、スガワラは市ヶ谷の地下駐車場にいた。制服を脱ぎ捨て、荷物を背負っていた。

横にはサエコとシノザキもいた。三人とも、目にうっすらと諦めが浮かんでいる。


「もう、自衛隊は機能していないってことか」


シノザキが静かに言った。


「命令系統が無くなった時点で、俺たちはただの人間だ。現場指揮も機能してない。命令もない、援護もない、責任もない」


「責任だけは、ある気がする」


サエコがぽつりと呟いた。

誰に向けたのでもない独り言だったが、その言葉に、二人は黙ったまま頷いた。


一方、その頃――


九州では、中国軍が「友好国日本の治安安定支援」を名目に、空港と港湾を制圧していた。

現地の自衛隊部隊は命令系統を失い、まともに抗戦すらできずにいた。

ラジオ放送局からは中国訛の日本語のアナウンスが響く。


「中国人民解放軍は、日本国民の安全を最優先に行動しておりマス。抵抗しない限り、いかなる被害も出させまセン。武器を持った者はすみやかに投降してクダサイ」


2029年3月、日本は事実上、南北からの同時侵攻を許し、国土の約半分が「平和維持部隊」の名のもとに占領された。

だが、誰も正式に「戦争」とは呼ばなかった。

なぜなら、日本政府はまだ公式に「開戦」を宣言していなかったからだ。


東京では、外国特派員が「日本政府はどこにあるのか」と尋ねるたび、新内閣の官房長官が曖昧な笑みで「冷静な対応をお願いします」と意味不明な回答をしていた。


この無責任さ、臆病さ、現実から目を背ける態度が、国民の不信と不安を倍増させていった。


それに呼応するように、アメリカが動いた。

4月、アメリカ海兵隊が横須賀と厚木に上陸。彼らは「中露の非人道的統治から、民主主義国民を保護するための限定的派遣」と声明を出した。

国際的には歓迎されたが、日本国内では賛否が分かれた。


「占領された後に来るとは、遅すぎる」


「日本はもう、独立国家じゃないってことか?」


そう呟く声が、あちこちで交差する。


一方、アメリカ軍が掌握したエリアでは、スマホの通信制限や行動管理が始まり、まるで“治安維持”という名の占領統治のようだった。

――そう感じる国民も多かった。




「日本は、もう滅んだんだろうか?」


都内の公園で、炊き出しを待つ行列に並んでいた老人がぽつりと言った。

周囲の人々は誰も返事をしなかった。だが、その沈黙こそが答えだった。


誰もが思っていた。日本という国は、もう自分たちの手にはない。


今、必要なのは、政府でも自衛隊でもない。


目の前の命を守る“誰か”。

国を取り戻そうとする“意志”。


その意志を抱いた者たちは、静かに、地下へと姿を消していく。スガワラもまた、制服を捨て、名も無き一市民として――いや、名もなき反逆者として、暗闇へ歩き出す。


「国が死んだなら、俺たちが生き返らせるだけだ」


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