第5話 レジスタンス「桜花」

2030年・初夏 山梨県南都留郡


標高千メートルを越える山中に、かつての訓練施設の廃墟があった。

旧日本陸軍の遺構だとも、戦後の自衛隊演習場だったとも噂されるこの場所は、いまや地図にも記されていない。だからこそ、レジスタンス「桜花」はここを起点とした。


「……おい、来るぞ」


スガワラの低く鋭い声に、伏せていた仲間たちの呼吸が一斉に止まる。

杉林の向こう、米軍の小型ドローンが音もなく高度を下げ、樹間を舐めるように滑空していく。


全員が、動きを止めたままじっと息を潜める。

赤外線監視を避けるため、体温遮断布を巻き、湿った土に身を沈めていた。


やがてドローンが視界の端に消えると、シノザキが小声で告げる。


「通過確認。三十秒後、移動再開。北東の尾根に沿って厚木ルートへ接続」


この地域に広がる山岳地帯は、中央道沿いの監視網を避けて関東圏に侵入するための、数少ない“抜け道”だった。

今回の任務は、その中でも特に重要とされる厚木方面への森林ルート――かつて自衛隊が物資輸送に利用していた未整備の旧道――の通行可能性を調べる偵察行動である。


戦略眼と電波解析の分野では、いまもシノザキに敵う者はいない。

彼が無線波形の僅かなノイズから監視ドローンの行動パターンを読み取り、スガワラが最適な進路と潜伏タイミングを判断する。そしてサエコは、常に最後尾から全員の動きを見守っていた。


この三人が、レジスタンス「桜花」の最初の構成員だった。


──あの日。

2029年初頭、自衛隊が事実上の無力化と解体に追い込まれ、日本が「保護」という名目で他国軍の進駐を受け入れたとき。

政府は表向き「一時的な多国籍管理」と称したが、実態は主権の放棄だった。


英語、北京語、ロシア語のテロップがテレビを交互に占領し、行政機関の看板は次々と塗り替えられていった。


シノザキはそれを「静かな植民地化」と呼んだ。


「これが“保護”の正体だ。日本はもう、植民地に成り下がった」


あのとき、市ヶ谷の地下駐車場でスガワラとシノザキとサエコの三人は、自衛隊の制服を脱ぎ捨て、「桜花」を立ち上げた。



丹沢山中の中継基地にて、スガワラは旧自衛隊の装備を前に、静かに言った。


「俺たちはもう“国民”じゃない。“居住者”としてしか見られてない。だったら……やるしかないだろ」


「うん。国を守るのが、自衛官でしょ」

サエコが穏やかに微笑んだ。


「“桜花”って名は……皮肉だな」

シノザキが言う。


「そうか?」

スガワラが笑う。


「今度の桜花は、死ぬためじゃない――生きて、取り戻すための名だ」



たった三人で始まったレジスタンス「桜花」は、いまや二十名ほどの仲間たちを擁する組織へと育っていた。

元自衛官や元警察官のほか、医療従事者、物流関係者、大学研究者たちが加わっている。

武器は旧式の装備と日本では非合法な海外製兵器。通信は即席の暗号と焼き切り式のドローン。

国に見捨てられた者たちが、それでも祖国を諦めず、ここに集っていた。


蹂躙された祖国の地で、彼らは「奪われた国」を取り戻すために、静かに動き始めた。

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