第14話 信念を持たざる者

僕はサザンカにナイフを向けた。

奥歯が強く痛むほど歯を食いしばっていた。

サルサ国で、彼女を殺し損ねた自分を悔やんでも悔やみきれない。

こんなことになるなら...なんてたらればだ...。

僕は悟った。

この世界で大切なものを守り抜くには、非道になるしかないのだと。

「きっと父さんを守るためには人々を焼き殺すしかなかった...きっとユナを救うためには王を葬るしかなかった...きっとこの国を護るためには君の心臓を止めるしかない。僕は...世界で一番非道な奴かもしれない。だけどそうなるしかなかった。この世界が僕をこんなふうにしたんだ。」

怒りも憎しみも希望も全部をこのナイフに込めてサザンカの間合いに飛び込む。

左から一の字に迫り来る剣。

僕は深く屈み込む。

頭上を過ぎる剣が髪を揺らす。

あの時サザンカにつけた右足首の傷は完治していない...なら...

そちらからの蹴りは無いと予想し、左太腿を目掛けてナイフを振り翳した。

サザンカの右足が腹にめり込む。

「ガハッ。」

乾いた音が体の中からする。

強烈な痛みと共に体は後方に吹っ飛ばされた。

「お前は己の罪とも向き合えない弱者だ。その心の苦しみが報いだとでも?罪のない人々を皆殺しにして、その人生を奪って、自分だけがのうのうと前を向こうとする姿にはつくづく吐き気がする。お前みたいなヤツがいるからこの世界は地獄なんだ。」

サザンカは言葉を吐き捨てると、咆哮を上げながら迫って来た。

鬼気迫る表情。

僕は強く唇を噛んだ。

全部僕が悪いのか?はじめから僕は存在してはいけなかったのか?

誰でもいいから違うと言ってほしい...もう僕一人じゃ否定しきれない。

僕も咆哮を上げてサザンカを迎え討つ。

剣を弾き、姿勢を下げその懐に飛び込む。

胸を貫こうと迫る剣先。

ひらりと右肩を開く。

擦れ擦れを剣が通過する。

その伸びた手首を右手で掴み、引っ張った。

僅かに前に倒れたサザンカの上半身。流石の体幹で下半身はブレない。

ナイフを下腹部に突き刺す。

深くは無いが刃先からトクトクと伝わる振動。

見上げたザザンカは一瞬歯を食いしばった。

サザンカが僕の右腕を引き剥がし、剣をふるう。

その剣が勢いをつける前に、首元に迫った太刀に右腕をぶつける。

肘より少し下、その刃は骨の表面で止まった。

その間に、ナイフを根元まで突き刺した。

「ッカッガハッ。」サザンカは咳き込むように血混じりの唾液を散らす。

ナイフを一気に引き抜き、体勢を立て直す為に身を引く。

ナイフには鮮やかな血がどろりと絡み付いている。

ちらりとロスの方を見る。

シュガとセナは、あのロスに対して互角に張り合っていた。

シュガは後方で無数の棘がついた鎖を振るっている。セナはその動きが分かるのか、器用にかわしながら大剣を振り回している。

セナとロスとでは俊敏性に圧倒的な差がある。

だがその差をシュガの絶妙な支援が埋めていた。

セナの大剣はロスの剣をもろともしない。

セナの攻撃は決して速く無い。だがあの剣の重厚さに勢いが乗れば、ロスは剣で止めることが出来ない。

ここまでの戦いで体力的に差はあったかもしれないが、あのロスをじりじりとを追い詰めているように見えた。

ロスにとってはかなり不利な戦いだ。大剣を回避しつつ後方から忍び寄る鎖をも回避する。

どちらも決してその剣では止めることが出来ない。

攻撃に転ずる隙を与えたくないだろうセナは、無我夢中で体力を惜しまず攻めに徹している。

ロスの体には未だ傷一つ無い。だがその表情から笑みは消え、真剣そのものだった。


僕は息を大きく吸って、サザンカに向かって走り出す。

サザンカの剣と僕のナイフがぶつかり合う。

鳴り響く金属音。

先に隙を見せたほうが死ぬ。

お互いに一歩も引かない。激しくぶつかり合う刃。

腹部の傷は重症なはずなのに、それを諸共しない精神力。ナイフを持つ手が痺れるほどの力。鈍ることのない速度。

だけどそれだけだ...彼女はロスよりも弱い。

僕は確信していた。

必ず勝てる。

相手の一手先を常に読んで、嫌なところばかり攻めてくるどっかの誰かさんとは違う。

「君の攻撃は雑だ。」

剣の傷は死の傷だ。僕の小さなナイフとは次元が違う。

たった一撃食うだけで命を落とす可能性が高い。そんな死線を潜り抜けてきた。

父から貰ったこのナイフ一本で。

「私は強い。いや、そうで無くてはならない。いつ何時だろうと。」

その言葉に、心の奥が熱くなった。

戦場は女性が簡単に立てるような場所じゃない。

ノヴァもサザンカも誰よりも強くあろうと、誰よりも多くの時間を費やしている...だからここに居る。

サザンカが再び剣を構えた。

少し雰囲気が変わったように感じる。

その動きに合わせて僕もナイフを構えた。

長い睨み合いが続く_____。

きっとこれが最後の攻防になる。

サザンカは大きく一歩を踏み込んだ。

下から切り上げるように迫る剣筋。

僕は後方に身を引いて避ける。

続け様に、心臓を貫くように真っ直ぐ迫る剣先。

僕は上体を大きく反らした。

その隙をサザンカは見逃さない。

次に来るのは...

振り上げられた剣が頭上から落ちる。

後退することでサザンカの胴体から離れた腕。

その腕を目掛けて思い切り右脚を蹴り上げた。

視界が空を掴む。そして地面に焦点が合う。

勢いのまま回転した体は、サザンカから少し離れた場所で着地した。

カランッ___。乾いた音と共に地に落ちた剣。

その隙を見逃す訳にはいかない。

サザンカの首から心臓にかけて斬りつけるように大きくナイフを振りかぶった。

絶対に殺す。ここで終わりにする。その決意は腕に力を流す。

硬い筋肉を切り裂く感触がナイフから伝わった。

ボトッ____。不気味な音。

目の前に立っているのはサザンカではなかった。

ノヴァ兵長が大きく腕を広げて立っている。その右肩から下は無い。

足元には剣を握ったままの腕が転がっていた。

「サザンカ、あなたにならこの夢を託せる。」

ノヴァは僕を見つめながらそう呟いた。

サザンカはノヴァの足元に転がる腕を拾うと、その手に握られた剣を抜き取った。

「その大志託されよう。」

そして、僕の横を過ぎ去っていく。

サザンカを追うように振り向こうとする。

が、手首を掴む手にそれを阻まれた。

「一時撤退する!拠点に戻り体制を整えるぞ!」張り上げたサザンカの声が耳をついた。

手首に絡み付いた手を引き剥がそうとする。

「いかせない。」黒猫のように跳ねたノヴァの瞳が僕を引き止める。

血が止まりそうなほど手首は強く握られている。

「私は剣士じゃない。例え腕が無くなっても足が無くなっても眼球が無くなっても耳が無くなっても、この意識がある限りお前を止める。」

「駄目だ。ここでサザンカを殺す。そして、君も。」

僕はその手首にナイフを思い切り突き刺した。

ゴリゴリと硬いものを削る感触。

ナイフに貫かれた手首はまだ僕を放そうとしない。

「私は、仲間を犠牲にしてでもこの夢を追うと決めた。犠牲にした命のためにもお前を行かせることは出来ない。」

僕はその手首からナイフを引き抜き、無防備な胴体に突き刺した。

ノヴァの腹がナイフを根元まで飲み込む。

うねるような肉の動きが気持ち悪い。

残っている彼女の左肩を地に叩きつけた。

僕を見上げるノヴァは笑っていた。

口から血を垂らしながらも、僕の弱さを笑うかのように笑みを浮かべてる。

「ガハッカハッ...!」

血が逆流したのか、ノヴァは顔を顰めて咳き込んだ。口から飛び散るかなりの量の血。

「ノヴァ。最後に教えてほしい。君は僕と同じく非道を生きる側だ...なのに何故耐えられる?」

「信念があるからだ....」

ノヴァは苦しそうに血を吐きながらも、言葉を続けた。

「私達はお前とは違う。例えるなら...私やサザンカの胸にあるのはセナの大剣よりももっと強固で大きな剣...。君の中にあるのは...諸刃の剣だ。」

僕は彼女から目を離せなかった。

聞きたくない言葉の続きがどうしようもなく気になる。

「お前は誰かの為に、大切な人達の為に、そう言って自分を正当化している...それは本当の声か?...そうでもしないと耐えられないから...私にはそう見える。お前は水の無い空っぽな水槽を漂う魚のようだ...。いつだって最後の瞬間に命を奪うことを躊躇する...それが確固たる信念なら躊躇う必要もないだろう。」

ノヴァの瞳が静かに閉まっていく。

その目は閉じきる最後まで僕を見ていた。

「サザンカが言っていた...お前には...仲間の素質があったって...わたしもそうおもう....」

その言葉を最後にノヴァはピタリと動かなくなった。

僕は彼女の腹からナイフを引き抜いた。

赤く染まったナイフを見つめて深呼吸をする。

「ノヴァ...僕はサザンカを追うよ...。」

立ち上がろうとしたとき、耳をつんざくような爆発音がした。

地響きのような轟音が何度も続くと、背後がやけに騒々しくなった。

振り向くと、真っ先に目に止まったのは燃え盛る赤い業火だった。それは黒船から上がっている。

黒い雲のような煙が揺めきながら立ちこもっている。

その先に微かに見えた巨大な船。

それは僕らが乗ってきた船よりも大きい。

一体何が起きている?

辺りには、立ち尽くした兵士達。

セナとシュガ、ロスもその一人だった。

ユナの姿は無い。

砂に伏せるアロン伍長は腹を押さえながら顔だけ上げるようにしてその黒煙を見ている。

サザンカは燃え盛る黒船を前に呆然と立っていた。その手にはノヴァの剣が握られている。

彼女の側に群がる敵兵達。

黒煙を押しのけて現れた、一隻の船に立つ人物を見て息を呑んだ。

まさか...

「まさか...エア様が直々にいらっしゃるとは思いも過りませんでした。」

船から顔を出したリンネさんがその人物に声を投げた。

「こうなる予感がしていた。逃げられる前に間に合って良かった。」

そう言ったエア国王は高らかに手を挙げた。

その合図で、銀色の甲冑を身に纏った兵士たちが続々と降りていく。

まさに地獄絵図と化したこの海岸で、一際きらりと輝く銀色の甲冑。

「ザザン盗賊団を取り押さえなさい。」エア国王の低い重厚な声があまりにも静かな空気を切り裂いていく。

ステラテラ軍の十倍程いたザザン兵は、銀色の甲冑にあっという間に囲まれていく。

サザンカの姿が見えなくなった。

その光景を見下げていたエア国王は、ふと僕の方を見た。

いや、その視線の先は僕より少し後方。

「君はアルディーラ=ロザリウスか。白い死神...その異名は当国でも知らぬ者は居まい。君はいつの間にザザン盗賊団に加担していたんだ?」

エア国王の朗らかな声。だが、その瞳は笑っていない。

ロスは返す言葉に迷っているようだった。

「その力量は数百の兵士をも凌ぐ。大国から一目置かれている君とまさかこんな形で会うことになるとは...これには私も想定外だ。」

「国王エア...ザザンを..どうするつもりだ?」ロスは慎重に言葉を口にしているようだった。

「我が国の法に基づき対処するだろう。君が我が国の力になると言うのであれば我々は君自身を受け入れよう。」

ロスは剣を鞘にしまった。

「サルサ国に弟がいる。ザザンが無くなれば弟の居場所も無くなる。弟を受け入れてくれるのであれば、俺はなんだってする。」

エア国王は目尻に皺を寄せ柔らかな笑みを浮かべた。

「構わない。君達を歓迎しよう。」

ロスから視線を外した国王が、後方へとその姿を消した。

ステラテラの海岸に降り立ったエア国王を見て、リンネさんが挙動不審に声を荒げた。

「エア様⁉︎危険な真似はおやめ下さい‼︎ほら、兵士達よ!エア様をお守りして‼︎」

「ハッハッハッハッ。そう焦るな。リンネの銃の腕があれば護衛など要らぬ。」

「いけませんっ‼︎私の腕はまだまだ未熟ゆえ!」

「私が信じている。それで充分なのだ。」

「貴方ってお人は...」リンネさんは深く溜息を吐くとエア国王に向けて銃とやらを構えた。

その先端は近くにいるザザン兵を舐めるように順番に向いていく。

「ザザン盗賊団の長、サザンカよ。私はどうしても君に聞きたいことがある。」

銀色の甲冑の兵士達に取り押さえられたサザンカは、エア国王を見上げると鼻で笑った。

「わざわざ出向いて来たのはそれが理由か?」

「ああ、そうだ。君達ザザンの統率者、否先導者は誰だ?」

「私を前に愚弄しているのか?」

「そうではない。ただ...これは君一人に背負える大志では無いと思っている。ザザン盗賊団には発端となる人物がいた筈だ。それはきっと君にしか分からない。」

「ハッほざくな。それを愚弄と言うんだよ。」

「君のことは良く知っているつもりだ。フェルシア大国出身の亜族サザンカ。かの五大国大戦で君達一族はフェルシア軍の最前線に立たされた。負戦だった筈の戦いは何故かフェルシアの勝利で幕を閉じた。そこで何が起きたのかは未だ公にされていない。だが、そこで生き延びる筈のなかった君なら知っているのだろう。何かを起こした者こそが...ザザンの先駆者であると私は考えている。」

「さあな。私は何も知らない。」

目を逸らしたサザンカに淡々と問い続けるエア国王。

「それは...リアスか?」

サザンカは口をつむんだまま動かない。

僕はその名前を聞いて戸惑っていた。それは父と同じ名だったから。

「それともその妻か?」

サザンカの目が僅かに開いた気がする。

だが、決して口を開くことは無かった。

「まあ良い。あとはセントリアで聞かせてもらおう。」

そう言ったエア国王は、捕えた団員達を船に乗せるよう指示をした。

サザンカもまた兵士に連れて行かれた。

エア国王は最後、僕にこう言い残した。

「君は言うなれば歩く災いだ。だが、それは君自身の業ではない。その元凶たる者たちが敷いた道だ。私は君の敵ではない。それだけは信じなさい。」

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