約束不履行

不明夜

『約束不履行』

 人生のハイライト。

 最も輝かしい瞬間。

 走馬灯ピックアップガチャ排出確率百パーセントの記憶。

 誰にだって探せば一個くらいあるだろう、俺にだってあるさ。

 あれは高校二年の夏休み前。

 中二病の延長戦が続き、他者を嘲る事がカッコいいと思い込んでいた恥ずべき時期。

 クラスのグループラインがある事をまだ知らなかった頃に起きた出来事だ。

 当時の俺はスクールカーストの底辺、の更に外にある見向きもされないおもんない奴らの中でも更におもんない人間だったらしく、正真正銘全てから孤立していた。

 しかも勉強も運動神経も全てがそこそこ、誇れるものは何も無い。


 そんな俺に、声をかけてくれた人がいたんだ。


「なあ、お前。ちょっと僕のネタを見てくれないか。名前知らんけど」


 アイツが声を掛けてきたのは、俺が公園のブランコに座りながら、走り回る楽しげな小学生を睨みつけていた時の事だった。

 鮮明に覚えているさ。

 流石にぐしゃぐしゃすぎる天然パーマと、レンズの汚れた丸眼鏡。

 その奥で輝く自信に溢れた笑み、手に持ったスケッチブック、俺と同じ真っ黒の学ランを。

 俺が眉をひそめてただただ困惑していると、アイツはおもむろにスケッチブックを捲ってフリップネタを始めた。

 今となっては内容なんて覚えていないが、当時の俺が冷笑することなく心から笑っていたとだけ記憶にある。

 その後、朝ドラもかくやという波乱があってアイツとは親友になった訳なのだが。

 高校二年のアツい夏から、高校三年の別れの春までは驚くほど早いもので。

 俺達の青春は容易く終わり、各々の進路へと旅立つ事になった。


「もし俺達が大学を卒業しても、がやりたいって思ってたらさ」


 覚えているさ、あの日交わした約束は。


「ああ。僕達二人でコンビを組んで、沢山の人を笑わせよう。僕達の存在を世界中に知らしめてやろう!」

 

 桜の花びらが眼鏡に張り付いたまま言ったよな、コンビ組むって。

 約束は良いものだ。

 明日の活力になる、美しい思い出になる、雁字搦めの呪いになる!

 腹が立つよ。

 アイツとの約束は、俺だけが覚えていたのかもしれないって考える度に。

 

 * * *


「────どうも『ボッチ延長戦』でした、ありがとうございましたー」


 まばらな拍手に耳を傾け、鬱屈とした気持ちを客に見せないよう笑顔を作り、舞台袖に引っ込む。

 俺の名前は田中仁。

 芸名は『ボッチ延長戦』、芸歴四年のピン芸人だ。

 客席数五十の箱でネタを披露しては、少しの笑い声、拍手、ギャラを受け取り、結んだ髪を下ろしてバイト先のスーパーまで走る日々にももう慣れた。

 慣れたが、しかし、虚しい。

 一芸人として不甲斐ない話ではあるが、客がくすりとも笑わない事よりも、アイツが俺の隣にいない事の方が虚しいんだ。


「ああ、クソ、クソ、クソ、なんでこうなったんだろうなあ……!」


 小声で恨み言を呟きながら、冷えたジンジャーエールを喉へ流し込む。

 酷い下戸だったせいで酔いに逃げることこそできないが、ネタを披露した日の夜は大衆居酒屋でジンジャーエールと焼鳥三本をゆっくりと食べ、知らないオッサンの話に聞き耳を立てるのがルーティンだ。

 どうしてこの習慣を始めたのかは覚えていないし、二十代の男がまさか焼鳥三本で晩飯を終わらせられる訳もないので家に帰ってからカップ焼きそばを食べている、時間と金の無駄でしかない。

 軽く背もたれに体重を預け、店内を見回す。

 五席あるカウンター席に座っているのは、俺とスーツ姿の青年一人。

 後ろには四人掛けのテーブル席が三つあり、そのうちの二つはどこかの会社が飲み会に使っているみたいだ。

 面白いことにどちらのテーブルも一人のオッサンがテーブルの長として君臨し、その人だけが生き生きと話している。

 一番奥のテーブルには二人の大学生らしき青年が座っていた。

 どうやら結構なペースで飲んでいるらしく、空になったジョッキが複数放置されている……ああ、今また一つ増えた。


「本日のゲストはこちら! 最近SNSを中心に話題沸騰中、『ポンティコスチャンネル』のお二人です────」


 いつも喧騒にかき消されている壁掛けテレビに目をやると、丁度グルメバラエティ番組が始まり、丁度一番嫌いなコンビ名が司会者に読み上げられていた。

 よく知った天然パーマと野暮ったい丸眼鏡の男が少し恥ずかしそうに頭を下げ、動画でよく見たセンター分けの爽やかなイケメンも追従して頭を下げる。

 不愉快だ。

 昔俺を笑わせてくれたアイツは今、俺以外とコンビを組み成功している。

 昔はファミレスで対面の席に座っていたのに、今はスマホかテレビの画面越しじゃないとアイツの顔を拝めない。

 不愉快だ、到底認められない。

 アイツの公式チャンネルの登録者数は百万人を超え、個人チャンネルも登録者二十四万人、両方で二重にメンバーシップを作って俺から毎月千五百円を徴収している。

 俺のチャンネルの登録者は八百人。

 収益化なんてできやしない。


「大して面白くもないネタを何度も擦って、何なら最近は配信の切り抜きばっか。そんなんでも単独ライブやってテレビ出演とか……笑えん」

「分かります。僕にも分かりますよ、その気持ち」

「誰!?」


 吐息がかかるほどの距離から、知らん男の声が投げかけられる。

 不審者か、不審者だな、そう思いつつ声の主の姿を確かめる為振り向くと、いつの間にか隣の席にスーツ姿の青年が座っていた。

 青年が新しく入店した不審者ではなく、わざわざ席を移動した不審者だという事に気が付いたのは、もう少し後のことだ。


「世間でどれだけ『ポンティコスチャンネル』が評価されようと、僕は知っているんです。コンビを組む前の、昔のの方が面白かったと」


 青年は、さも当然のように俺の近くで話し続けている。

 見ず知らずの男に引っ付かれるのは控えめに言って不快だが、それでも引き剥がしていないのは発言内容に一定の共感があるからだ。


「あの眼鏡じゃなく僕のネタをやってた高校時代の方が、彼は輝いていた!」

「は?」


 今この瞬間に一切合切の共感が消し飛んだ。


「お笑いってのが何かも分かってないのかお前は。面白いボケに乗っかって味のないツッコミをしてるだけだ、足引っ張ってんだよあのエセ爽やかは」

「は?」


 恐らく、この瞬間に青年にも俺に歩み寄る理由が消えたのだろう。

 一歩間違えば殴り合いに発展しそうな剣幕で互いに睨み合う。

 テレビから鳴る爆笑も、後ろの席の苦笑いも、全てが俺達に向けられた嘲笑に聞こえる。

 しかしここは互いに大人、しかもなんと互いに素面。

 一旦クールダウンして相手の顔から目を逸らす。 


「僕はこう見えて芸人ですよ。貴方よりもお笑いに真摯だ」

「俺だってそうだ、んで笑いに真摯なのは芸人全員そうだ。そんな事で威張るお前に未来はない、舐めてんじゃねえよ」

「……同業者、ですか。というか待ってください、髪下ろしてるから分かりませんでしたが、もしかして……『ボッチ延長戦』さん?」

「え? そうだけど、俺のこと知ってるんだ。へえ。へーえ?」


 芸歴四年。

 ここに来て、初めて現場以外で俺を認知している同業者に出会う。


「勿論です。動画だっていつも見てるんですよ僕」


 芸歴四年。

 日本人口ざっくり一億人のうちに八百人しかいない俺のファンに出会う。


「喋りは聞き取りやすいし声量もある、更に表情の作り方も上手い。なのに死ぬほどネタがつまらないから、同業者として見てると元気になるんです」

「返せ! 返してくれよ俺の感動、あとちょっと持ちかけた好感を!」

「嫌でーす。そうだ、仕事の話をしませんか。僕チャンスは逃したくなくて」

「少なくとも俺の気持ちは逃げたよ今の下りで。仕事の話をするならせめて相手を上げるべきだって。ネタがつまらないって言われて冷静に話し合える芸人、この世にいないから。さようならさようなら、もう二度とお前の顔見たくない」


 そう吐き捨てた俺は最後の焼き鳥を食べ、ジンジャーエールを飲み干し、会計を済ませて外に出る。

 ネタがつまらない事は自覚してるさ。

 昔から考えるのは苦手だったし、動画として出しているのは大抵ボツにしたネタを軽くアレンジしてマシにしたものだ、客観的に良い物な訳がない。

 だからってどうすりゃいいんだ、今更かしこさが上がるかよ。

 

「……アイツが居たらなあ。面白いネタ、書いてくれるんだろうな」

「アイツって、あの眼鏡ですか。『ポンティコスチャンネル』の憎たらしいあれ」

「そうだけど。何でいるの。え、俺早歩きで店出たよ?」

「僕は走ったので。そりゃあ追い付きますよ」

「足音どこ置いてきたよ、芸人より忍者の方が向いてるって」


 ぬるりと俺の背後に現れた青年は、またもや吐息がかかるほどの距離から俺に話しかけてきた。

 新手の嫌がらせだろこれ。

 時代が時代だからセクシャルハラスメントとして訴えたら勝てると思う。


「単刀直入に言います。僕とコンビを組みましょう。そうすれば売れます」


 置いていこうと歩幅を広めた俺を、青年は容易くその場に釘付けにした。 


「……俺、約束したんだよ。アイツとコンビ組むって。だから無理だ」

「でも彼、僕の相方奪ってテレビに出てますよ。律儀に約束に縛られておく必要なんてないんです。ね、先に破ったのは向こうなんですから。僕達は悪くないですよ」

「なんで言い方が不倫の言い訳なんだよ。俺にだって相手選ぶ権利くらいあるよ」


 振り向く。

 キッチリとスーツを着た青年は月明かりに照らされ、ブロック塀に手をつきカッコつけて笑っていた。

 やっぱ俺この人大嫌いだ、これまでの人生で出会った人間の中で一番嫌いまであるかもしれない。


「復讐、しませんか。僕達の存在を思い出させてやるんです」


 腸が煮えくり返る程に嫌いだが、それでも。

 彼の誘いは、だった。


「……なるほどね。乗った。俺達二人でコンビを組んで、沢山の人を笑わせよう」

「はい、約束です」

「ああ、約束だ」


 約束は良いものだ。

 明日の活力になる、美しい思い出になる、雁字搦めの呪いになる。

 多くの約束は果たされるか、もしくは果たせなかったか、何にせよどちらに転んでもいつかは忘れられ、次の夢の踏み台にされる。

 ありがとう、かつての美しい約束。

 明日の活力になった、美しい思い出になった、雁字搦めの呪いだった!

 今日、俺達はかつての約束を踏みつけて、未来へ進む。


 * * *


 コンビを結成してから二年が経った。

 今、俺はかつてより高いステージから、かつてより広い満員の客席を見下ろしている。

 二人してキッチリとしたスーツに身を包み、並んで立つのにももう慣れた。

 ふと客席の端に目をやると、よく知った天然パーマと野暮ったい丸眼鏡の男と、よく見たセンター分けの爽やかなイケメンが視界に入る。

 ああ、どうか存分に俺達を見上げろ。

 俺達の初単独ライブを目に焼き付けろ。

 果たされなかった約束も、忘れてしまいたい過去も、全て笑いに変えてやるよ。


「「────どーも『約束不履行』です、よろしくお願いしますー!」」

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約束不履行 不明夜 @fumeiyo

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