第31話 売れない声優はユニットを組む
【
水鏡に映る女の
化粧を毛穴から浮かせ何度も水で顔を洗うと、そこには別人のような素顔が露わになる。それは
(どうしてこうなったんだろう……)
環は
* * *
時が遡ること一月ほど前、墨国への侵攻を図る軍議でそれは起こった。
「————では淡藤の護衛はどのようにしましょうか?」
「ふむ、環に一つ聞きたいんだけど、アイドルというのは集団で運用することは出来るのかい?」
「うん。ユニットというんだけど、むしろ複数人の方が良いかも。淡藤の持っていない要素、体格や年齢の違いや性格の違いなどが、広い範囲の男の人にも刺さると思う」
環の説明は現代日本における記憶に由来する。
現代日本ではそれこそ様々な形のアイドルがおり、特に人気で有名な者達は常にグループであったことを彼は思い起こすのであった。
「ふむ、なるほどね」
得心が言ったとばかりに頷いた藍国の国主、彼女は何かを良からぬ企みを思いついたかのように、ニヤリと口の端が吊り上げる。
そして
「桔梗、他国で歌術の和歌を収集する良い機会だと思わないかい?」
「————待って。それ以上言わないで。すごく嫌な予感よ」
白群の愉し気な表情、それに
「ふふ、では詠官府の者達に命じる。淡藤と共にユニットを組んで、墨国を内側から搔き乱しておいで」
君主に発せられた王令、それに桔梗は天を仰いで絶望したのであった。
藍国国主の命は合理的であり、他国を桔梗たちが調べる良い機会であることは疑いない。旅の者としてふるまうなら、歌や踊りなどの芸が出来る方が望ましいに決まっている。桔梗はただただアイドル活動をしたくなかっただけなのであった。
そして環、
実際に、舞台の練習をしても、萌葱と金春はその高い身体能力で簡単に歌もダンスをこなし、普段デスクワークばかりの桔梗は上手く律せない自身の体への不満を環にぶちまけていた。
* * *
藍から街道を北上して墨に入った環たち一行。
彼らは野営のためにその日の足を止めていた。街道のすぐ横を流れる河川で化粧を落とした環が戻ると、
金春は焚火に掛けた鍋をかき回し、桔梗の方は何やらちまちまと書き物をしているようである。
「何書いているんですか?」
覗き込む環に、桔梗は顔を上げた。
「ああ、使えそうな知識を忘れないように書き残しているんだよ。まあ、実際使えるかは分からないけど」
「それは大事なことですね」
「全くだ。君がユニットなぞ提案しなければ、もっとこの重要な作業は
そうやって嫌味を言う上司に、彼は〝すみません〟と退散するのである。
環が地面に腰を下ろすと、その横に淡藤がやってくる。
「環様と一緒に旅を出来るとは、私は嬉しいです」
焚火の焔光に美貌を照らされながら微笑む淡藤に、環は苦笑した。
「う、うん。そうだね、俺も舞台に立ちさえしなければ……」
「まぁ。私はそれも楽しみにしておりましたのに」
そう言って笑みを深めるの淡藤。
一方で筆を持ったまま桔梗は環を
「君はまだいいさ、そもそもが役者だろう。なぜユニットが存在することを白群様に話したんだ。私は完全にもらい事故なんだが」
「何だ、桔梗。お前、歌が上手いのに何を
「はぁい! 金春は、結構好きですよぉ!」
金春の同意に気をよくした萌葱が桔梗のバシバシと肩を叩くと、その強さに桔梗が咽せてしまう。
「ごほごほ。ええいっ。これだから運動神経自慢の脳筋どもが!」
だが、環からすると、まだ桔梗に関してはまだ問題が少ない。
より深刻なのは自身である、なぜならば但馬環は紛れもなく男。これから女性のアイドルとして男達の前で視線を浴びながら歌い踊り、墨国を漫遊するなど、罰ゲーム以上の何ものでもないのであった。
(どうしてこうなったんだろう……それに、まだ衣装がおとなしかったら……)
そう願う環であったが、自身の悪夢が具象したことを衣装のデザインに認めたのだった。
淡藤から手渡されたお揃いの歌姫装束。
そこには見覚えのある華やかなの装飾と際どいミニスカート。自身の記憶にもある現代日本のものが忠実に模されていたのである。
環は衣装に袖を通して、鏡でみた自身の姿のあまりの違和感のなさに、目を覆ってしまいたくなったのである。その姿はこの世界に来てからどんどん目減りしていく彼の男としての矜持をさらに、踏みにじったのである。
【少年
炭は空気を入れないで木を焼くことで硬くしまった良いものが出来るのである。炭窯から掻きだしたばかりの赤く煌々と輝く高温の
そろそろ街に売りに行く頃合いだ。
彼は小屋に積んでいた炭を籠に入れて、数日に一回近隣の街の問屋に取引しに行くのである。それが彼の日常であった。
「父ちゃん、いってくる」
「おう」
父親はいるが、母親は知らない。
ある日、一人の女が赤子であった自身を連れて父のものを訪れ、育てろと差し出したらしい。それを受け入れ、今の父が引き取って育てたのである。彼の周囲にいる者たちは皆そうである。
女などはこんな小さな村にはいない、彼は町でしか目にしたことしかないのであった。
町を訪れた彼は足を止めて、周囲を見回した。
街の様子は先ごろから彼が知る常のものと異なっていた。町ですら女を見かけることがないのである。
何でも男の世を作るということで、
聞いた当初はバカなことを、歌術師に勝てるわけがない、と誰しもが思っていた。だが、実際には国軍を打ち破ったと知ると、皆が何らかの形で協力するようになっていた。男達は女らがただただ謳歌するだけの、この搾取の上に成り立つ国に飽いていたのだろうか。
確かに厳寒の冬を乗り越えるためにギリギリの生活は重税故であったが、それに慣れ切った
そんな彼は炭を卸した先で、男から水を向けられる。
「おい、知ってるか。遂に男天道の天津様が神に認められて王に叙されたそうだ!」
「そうなんですか、それはすごいですね」
「これから男が幅を利かす時代が変わるのかも知れないな、女達から無茶苦茶言われずに済むなら大歓迎ってなもんだ」
だが、それはそもそも女との接点がない彼にとってどうにも実感がわかない話であった。町で出会ったら、頭を下げて道を空けるくらいなものである。
「税だって軽くなるのかもな」
「ああ、それは助かりますね」
軽くなった
「そう言えば……女の旅の一座が来て、男天道の活躍を歌って舞うらしい。流石は天津様だ、早くも男達と対等に芸を見せる女たちがいるなんてな」
問屋の男は感心したように腕を組んだ。
確かに
彼が知る歌と舞いといえば、田植え時の物である。鼓を打ち、笛を吹き鳴らしながら田植えを
「へぇ、芸で売る女なんて聞いたことないですね。それはおいらも見れるんですかい?」
「ああ、ちょうどこれから公演があるらしいから、見てみたらどうだ。俺も言ってみるつもりだ」
そうして
女体特有のしなやか曲線美、麗しい歌声に茫然としてしまう少年。人生で初めて目にした花々が
彼の瞳に煌めくような光彩を与えたそれをはライブというらしい。
(ああ、ずっと見続けていたい——この煌めく星々を眺めていたい)
初めて体験した芯を焦がすような思い、これが彼にとっての天啓になった。
彼女たちについていけば、きっと此処ではないどこかへ導いてくれるのではない。神々しい女たちの姿は男達に偶像を崇めるかのように、その可能性に縋り、全てを掛けさせるだけのものであった。
声優戦記 【第一章 完結】 深海の竹林 @sano_
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