第29話 亡国の姫は穴に落ちる
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道中の中庭で彼女は違和感に立ち止まった。
その足を止めたのは、隠れて伺い見る件二人の視線に気づいたが故である。紅国一の武人は二人の意図を判じかね、訝し気に辺りを見るとどうやら地面の様子が違うことに気づく。
(なるほど……つまらない落とし穴か)
どうやら二人からの挑戦であるらしい。そう悟ると、誇り高い武人は受けて立つのみと即断した。
まず地の色が違うところは見るからに怪しい。おそらくはそれを囮にして次で仕留めにくるはずである、と武人の直感が
どうやらあの二人は相当知恵がまわるようだと、臙脂は内心笑う。
だが、自身は紅国一の武人であり将、虚と実の駆け引きをよく心得ていると自負がある。加えて並外れた身体能力で、巡らされた三重の罠など一息に跳び超えてしまえばよいのである。
(見切った!)
相手の計を見抜き、真っ向からそれを破る確信に臙脂は目を眇める。
きっとあの不真面目な二人は悔しがる違いない。
第一の見え見えの囮、第二の本命と疑わせるための隠された罠、そして第三の本命。これらを一足で渡るまで。助走のために駆け出した臙脂。
そして彼女は、完璧に隠蔽された足元の穴に落ちたのである。
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「ぎゃははははははは」
「にゃははははははは」
笑い転げる二人は亡国の姫
「よし紫黒、見に行くのじゃ!」
「合点!」
意気揚々と穴に近づこうとした二人。
しかし、彼女たちは思わず足を止めてしまった。
掘りぬいた穴から顔の上半分だけを覗かせた
「……ふ、ふふふ……二人とも、そこに直るがいい」
奈落の底から噴き出たしたような武人の笑い声に、
「わ、わらわ、急に仕事を思い出したのじゃ。あー、忙しいのじゃ」
「いや、あーしも今は勤労に励みたい気分なんでさぁ」
そして臙脂の手が穴の縁に掛かり、そこにあった小石がパキリと無残に握りつぶされた。
「「ひっ⁉」」
恐怖に慄いて後ずさりする二人。
不用意に後退した主従。
彼女たちを待ち構えていたのは、周到に用意した落とし穴。慌てた二人は仲良く自らの罠に落ちたのである。
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大陸最北の墨国に端を発する男達の大反乱。
墨国と帝都を隔てる褐国は未だ抵抗を続けていた。
青平義塾の褐国方面軍の指揮官である
「……
「まあまあ堅いこと言うなよ。これを
友のしたり顔に得心がいかず、濃鼠は
「何かあったのか?」
「朗報だ。我らが天津殿が神々によって墨国の王に任じられたそうだ!」
「何だと⁉————」
吾亦紅の茶化したような物言いに、呆けたような軍師の相貌が
神々による天津への玉座の許し。
それは長きに渡り女が世を統べていたことへの明確な拒絶と矯正。
青平義塾の悲願たるそれが今一つの紛れもない形になった瞬間であった。
其の日、褐国方面軍に喜色の咆哮が響き渡った
早々に軍を引かせて、酒を酌み交わす二人。乾杯で酒杯が涼やかな音を立てる。その残響をも楽しむように酒を呷る吾亦紅。
「あのイカれた肉達磨も、どうやらただのペテン師ではないらしいな」
濃鼠も天津の血走らせた眼と理性では図りきれない行動を思い起こし、同意しそうになるも、ただそれだけでの人物ではないと断じた。それは天津がとても合理的な判断を下しているように感じたからである。
「常人には理解できないからこそ、神の生きた姿と崇められ、御旗たるのだろう。だが、かの御仁の示した侵攻の指針は戦略的に理は叶っている」
「そうかい?」
「お前も知っているように侵攻部隊を三分して、それぞれを隣接する金、褐、藍に当たらせる。これは侵攻を成功させることが狙いではなく、墨国で王たる証を手に入れるのを隣国に邪魔させないためと考えると合理的だ。そして、その神に認められたという風聞が流布すればするほど男達が反乱に加わり、侵攻自体の成算が上がるわけだ。金国も褐国も弱国ゆえにすでに我が方が優位だが、おそらく藍はそうはいくまい。
この時二人は、藍国へ向かった鴉羽たちがこれから敗退することは、当然ながら知り得ない。
濃鼠は鴉羽にも匹敵するが、革新的ではなく保守性が強すぎた。
だからこそ、楽天的で手が速い吾亦紅と組むとお互いの欠けているところを補い合って、ちょうど良いと周りに評されるのである。
「だが、こちらの戦力は時間をかけるほど膨れるが、正規兵である術師たちはそうはいかない。民衆の大部分を成す男が立ち上がるとはそう言うことだ。つまり究極的には、この反乱は墨国を落とし、神に男が選ばれるという過程を経た段階でほぼ成功が約束されたようなものだ」
つまるところ、天津が仕掛けたこの大反乱は男対歌術師の総力戦と見ることが出来た。もともと世界人口の二割しか女性がいない中、その中で戦い得る歌術師などさらに少ない。
いくら術師が戦闘力で優位に立とうが、人数を資源にする限り消費に対して再生が容易に追い付くことはない。畢竟、旗幟を務める反乱の頭さえ失わなければ資源の差による勝利が約束されているのであった。
「なるほどな、後は増え続ける賛同者の力を束ねて、落とせる国から攻めていけば、いつの間にか大陸を平定しているという寸法なわけだ」
「その通りだ。だが、天津殿の策には私が疑問に感じる部分もある」
「……ほう」
吾亦紅の瞳が細まる。
「天津殿は帝都を最後に回すように指示していたが、帝都には軍隊がない。ただ六歌仙と呼ばれる歌術師が守るのみ。それも先だっては帝
「……なるほど、読めてきた」
「うむ。例えばだが、帝座を奪えば流石に群雄も黙ってはいまい。大陸南部の翠、黄国はその軍を派遣するのにそれなりに兵站線に負荷がかかるはずだ。わざわざ地の利がある各国に侵攻するよりも、強国はそのように迎え撃つ方が容易いのではないか」
「確かにその通りだな。まさか、翠や黄の強国より六歌仙の方がくみし難いということはないだろう」
〝ううむ〟と、吾亦紅は腕を組んで唸るのだった。
「凄腕の術師といえども所詮は人間。まさか一人で数万人に匹敵するなどということはないだろう。鬼獣戦役ではその武勇は荒ぶる神の化身にたとえられていたが、それも尾ひれがついてのこと。200年以上も前の話だ、それを実際に見た者もおるまい」
神の目に留まった帝や国主、その臣下たち仙籍に入れられる。
かつての六歌仙はその功を以て仙と召し上げられ、長い時を睥睨したまさに生きる伝説であった。
仙は不老であるが不死ではない、長いとはいえ寿命もあり、病や怪我で倒れることもあるのである。実際に六歌仙の力を知るものはほとんどいない。なぜならば彼女達が全力で戦った奇獣戦役は遥か昔の話だからである。
ゆえに鬼獣戦役の次代を知らない世代の反乱軍の二人がこう考えてしまうのも無理からぬことであった。
噂が噂を呼び、どんどん数を増す反乱軍。二人は事務仕事に嬉しい悲鳴を上げる。
「よし、濃鼠、部隊を二つに分けよう。ここはお前に任せる。俺は帝都を脅かしてみようと思う!」
不敵な笑みを浮かべた吾亦紅は濃鼠に褐国攻めを任せ、王手を掛けんと帝都への進軍を定めた。
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