第28話  三条鴇は亡国の姫を拾う

紫黒しこく

「お腹が減ったのじゃ、紫黒しこく

羅紗らしゃ様、そんなこと言われたって、路銀も尽きましたぜ」

頭を掻きながら飄々と言うのは、主を守る墨国近衛の最後一人紫黒であった。


「むぅ、近衛達が早くにっくき天津が討ってくれんかのぉ」

「いや、無理だと思いますけど……」

「なんじゃと!?」


「だって黒檀こくたんの姉御が無理だったんすよ。いくら五人いるとはいえ、あーし程度の者が束になってかかった所で天津は討てませんぜ」

さも当然のように言う従者に、主の幼女が瞳を潤ませる。


「嫌じゃ嫌じゃ! わらわは早く石墨に帰って、おやつをいっぱい食べたいのじゃあ」

往来で泣きわめきながら駄々をこね始める幼女。

羅紗——彼女は国を追われた墨国の姫、国主の娘であった。国主の代理で出席していた先帝の歌会からとんぼ返りをした時には既に城を落とされ、帰るに帰れなくなっていたのである。


二人は小国である紅国の中でもいつしか大きな街に入っていた。

キンキンと響く幼女の声に、紫黒は頭を掻きながらは大きく息を吐いた。

(……見限りたいけど。姉御に任されたからなぁ)


ふと黙り込む幼女。

「どうしたんでさぁ?」

「——うぅ、ぐすん。お腹が減ったのじゃ」

空腹のため、駄々をこねる気力すらも乏しくなったらしい。肩を竦めながら、紫黒はこれからどうしたもんかと眉根を寄せていた。


そこに思いがけない救いの手が差し伸べられる。

行き先に窮していた主従に、〝あの、どうしたんですか?〟と声を掛ける者が現れたのである。


「え、ああ、路銀が尽きちまって、飯が食えないもんだから困ってたんでさぁ……」

紫黒が振り返った先にいたのは若い娘。人好きする笑みを浮かべて、彼女はポンと手を叩いた。

「良かったら御馳走しますよ。私もこれからお昼を食べようと思っていたので!」


「へ、いいんですかい?」

「みんなで食べた方が美味しいじゃないですか、これも何かの縁ですよ」






「うまい、上手いのじゃ!」

「でしょー、ここおススメなんですよ」

「いやぁ、ありがてぇっす!」

店の軒先で食卓を囲む三人。それは口にものを入れながら絶賛する凸凹な主従コンビと先の娘である。


三条鴇さんじょうときと二人に名乗った娘はニコニコと相槌を打ちながら、違う皿も勧めるのであった。

「羅紗ちゃん、これも美味しいよ」

「うむ、食べるのじゃ!」


にこやかに笑う鴇に、往来から子ども達の手が振られた。

「鴇お姉ちゃん、こんにちは。今度また鬼ごっごしよー」

「うん、いいよー」

子ども達に手を振り返す鴇に、その子の母親と思しき女が〝すみません、うちの子が〟と苦笑しながら頭を下げた。それにもまた気安く応じる鴇であった。


(——随分慕われている娘なんだな)

柔らかい微笑を絶やさない娘を誰もが見守っている、そんな印象を紫黒は受けたのであった。


店を出た一行に近寄る影がある。

肌に武人の気配を感じて振り向いた紫黒。その視線の先には彼女をして恐怖させる程の強者の気配を纏った女武者であった。


その女が鴇に声を掛けたのである。

「鴇様。こんなところに。鉛丹えんたんの村の方たちが相談事があるそうですよ」

「え、そっか。じゃあ戻らなきゃね。ありがとう、臙脂えんじさん」



「お二人はどうしますか? 行く当てがないなら、空き部屋が沢山あるのでお城に滞在されてもいいですよ。一応、私が国主ということになっていますので」

振り返ってニコニコとほほ笑む紅国の主に、国を失った二人は顔を見合わせたのであった。






それから数日が経って、紅国の都、京緋きょうひの城内の一角。

書類仕事を精を出す羅紗と紫黒の二人の姿があった。


帰る宛てを失った二人を憂えた鴇は当面の衣食住を与えようとし、それに臙脂という長身の武者が働かざる者食うべからずと注進したが故である。


ただ飯を食らうだけというのは居たたまれないため、何らかの仕事を割り当てられることに紫黒も不満はない。文字の読み書きができる数少ない人間である二人に任されたのは書類仕事、だがそれは紫黒が苦手とするものであった。


ガリガリと頭を掻きながら文章に向き合う紫黒、その向かいで幼女はさらさらと紙上に筆を躍らし、紫黒が舌を巻く速度で書類の山を捌いていく。


(どうやら黒檀の姉御が言っていたように、次期国主が有望というのは本当らしい)


とはいえ、それを発揮すべき墨国はとうに男天道なんてんどうの手に落ちている。

淡泊な気質である紫黒、彼女は雇われていた墨国が無くなったので、早々に見切りを付けて新たな仕官先を探すところだ。


だが、恩人である黒檀の頼みで羅紗のお守りを引き受けていた彼女だが、今は幼女の行く末に少しずつ興味が募っているのであった。

「よし、終わったのじゃ。わらわはお菓子をもらってくるのじゃ!」


「早いっすよ、羅紗様。ちったぁ手伝ってくださいよ」

「むぅ、しょうがないのぉ。紫黒はダメダメだのぉ」

涙目の部下の訴えに応じて、小さい手をこちらに伸ばした羅紗。

紫黒が持て余していた仕事を主の幼女は驚くべき速さで片付けてゆくのである。






「ここはお菓子も美味しいの!」

「でしょ!」

羅紗に書類を押し付けながら、何とか仕事を終えられた紫黒。不良従者は主のために台所からお茶と茶菓子をもらってきたのである。


そこまでは良いのであるが、どういうわけかそこには鴇が合流していた。聞けば、臙脂の目を盗んで務めから逃げてきたらしい。満面の笑みで菓子を頬張る幼女に、鴇も相槌を打つ。その姉妹のようなやり取りに紫黒も頬を少し緩ませるのだった。


ずずっと、お茶を啜って紫黒は一息ついた。

手中の湯呑から立ち上る湯気を追って、窓の外を見上げると麗らかな日差しを投げかけられていた。男天道の大反乱などどこか遠い場所の出来事のような、そんなのどかさを錯覚してしまう。


目を閉じて微睡みかける紫黒。

だが不運なことに、そこに臙脂が顔を出したのである。


片や茶菓子を堪能し、片や昼寝にしけこむ居候の二人。そして、それに加わるは己の職分をサボった国主である。

女武官は眦を吊り上げ、ゴホンと一つ咳払いした。

「休んでいただくのは結構。だが、仕事はちゃんとしてもらわねば困りますよ!」


「……う、うぅ。ごめんなさぁい」

「ふふ、わらわ達の分はもう終わっているのじゃ」

申し訳なさそうに謝るのは鴇だけである。羅紗は胸を張って積んである書類を食べかけの菓子で指し示した。


「ほう、それは御客人方には申し訳ない、私の勘違いでした。それでは新しい仕事を見繕って来ましょう……ですが、鴇様。あなたはそもそもまだ終わってませんよね」

そう言って生真面目な臙脂は、〝ひ~ん〟と悲鳴を上げる紅国国主の首根っこを掴んで引きずって去っていくのである。


「……あいつは仕事の鬼っすね」

「むぅ、臙脂は真面目過ぎていかんのう。よし、いっちょ、わらわ達が悪戯でも仕掛けてやるかの!」


「面白そう! 乗った!」

邪悪な笑みを浮かべて、羅紗と紫黒の二人は顔を見合わせたのであった。






臙脂えんじ

顔を見合わせて軽口を叩き合う女たち。

場所は変わって、とき真赭まそおが机を並べる執務室である。


単身では政務を滞らせる国主に、真赭は彼女を手伝いながらもその教師役も担っていた。そこに臙脂を除いてもう一人の姿があった。おどけたような軽薄な笑みを浮かべた女、珊瑚さんごは臙脂とまともに打ち合える数少ない紅国の武人であった。


「だめですよ、鴇様。拾い食いだけならまだしも、良く分からん人物も拾ってくるとは……あなたはもの好きな人ですね」

珊瑚はひょうげたように肩を竦め、臙脂も合わせたように茶化すのである。


「珊瑚、鴇様は自身でお腹をこわして初めて悟られるのだ。諫言よりも腹痛の方がよほど薬になる」

「もう、珊瑚さんも臙脂さんもひどいよ!」

頬を膨らませる鴇を、〝まあまあ、それくらいで〟と真赭が宥める。


「それに二人ともにお城の仕事を手伝ってもらってるんだから」

読み書きができることを知った鴇は真赭らに相談して、仕事を彼女達に割り当てたのである。これは常に人員不足の文官の負担軽減に繋がり、真赭も素直に喜んだのであった。


件の二人から預かった書類を、臙脂はそういえばと思い出す。

「……そうだ、真赭。二人はこれを終えたようだぞ」


「——え!?」

小柄な少女が目を大きく見開き、差し出された紙束を驚いたように捲っていく。

「……すごい、この速さで仕上げてきたんですか?」


自身を真剣な眼差しで見上げる真赭に、臙脂は怪訝の表情を作ってしまう。

「あ、ああ。お前から受け取ったものをそのまま渡してきたが。それがどうかしたのか?」

「これは文官の一週間分の仕事量です。そののつもりでお渡ししたものですよ」

「……何だと⁉」


「ふむ、あのお二人は途轍もなく優秀なのではないでしょうか? もしかしたら違う仕事をお任せした方が良いかも知れません」

「ほらほら、私がすごい二人を連れてきたからだよ。えっへん、ちゃんと仕事してますもん!」

表情をころころと転じさせ、鴇は自慢げに胸を張る。


「……これが鴇様の生涯最大の仕事にならないといいのですが」

「もう、真赭ちゃんまで!」


「冗談はさておき、ちょっとお話を聞きたいですね」

細められた真赭の目に、臙脂は頷いた。


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