第27話  天津は過去を思う

男天道なんてんどう

大陸北縁近くに位置する都石墨せきぼく、同刻ここでもまた歓喜の声が上がっていた。墨国の国都、その最奥の玉座にはむくつけき漢がその巨体を沈めていた。


男天道の信仰の教祖——男の開放を言祝ぐ前代未聞の大反乱を首謀者、その名は天津あまつ。条理を逸した面妖な理で墨国軍を破り、遂にはその玉座を簒奪さんだつしていたのであった。


その彼に声を掛ける導師がいた。

「天津様、素晴らしいことです。神々の天啓によりこの墨国の国主は天津様に変わりました。我々は神に認められたのです」

「「「おおお!」」」

口々に周りの導師たちも感嘆を漏らす。


天啓、それは神からの直接的な人間への干渉であった。

この大陸の国主、そしてそれを統べる帝は神々に見初められた者の名前が神柱に刻まれるのであった。男の名がそこに記されたのはいつぶりであろうか。少なくとも女系社会が形作られて以来、初めて男として名を刻んだ者が天津であった。


それ故に導師たちの感動も無理からぬことなのである。

しかし、彼らを窘めて天津は立ち上る。

「喜ぶにはまぁだ、早い。真なる愛がまだ育まれておらぬ。世の益荒男達は我が祝福を待っているはず——」

言いさして、天津は動きを止めた。


傍らに控えていた少年が教祖の前に滑り出たからである。

その少年は教祖めがけて高速で投擲された匕首あいくちの一つを掴み取り、続く刃をいとも簡単に打ち払う。


金属同士の打ち合った殺意の残響に、驚愕したのは短刀を投げた凶手達であった。

「なっ⁉——だが、覚悟してもらうぞ。たとえ天が許したとしても、私達がお前を許さない!」


導師装束を脱ぎ捨てた襲撃者——それは女達であった。

墨国の精兵中の精兵である近衛術師達。


彼女達は凛冽な瞳で大男を見据える。そのあまりの巨躯は、神憑き、神の祝福を受けた体躯であろうと推し量ったのであった。


彼女らは主君の娘であった羅紗らしゃを国外に落ち延びさせた後に取って返し、王位の簒奪者を討つ機会を狙っていたのであった。刺客の五人は墨国近衛の最精鋭。どんな暗殺すらも退ける殺しを知り尽くしたプロフェッショナルであった。


勿論、彼女たちは巨漢の傍らに控える少年が武を研ぎ澄ませた強者であることを察知していた。それ故、少年が天津の傍を離れる機を伺っていたのである。だが、神々が汚らわしい簒奪者を認めたことを知り、激情が彼女達の行動を逸らせたのであった。


「待てぇぃ、我に任せよ」

「……はい」

天津は双眸を血走らせて女達を見据え、今にも駆けださんとしていた少年つるばみを制した。


「馬鹿め! そこの小僧さえいなければ、お前を討ち取るのはたやすい」

熟達した武人である女達の観察眼、それが大男の挙措が武人ではないと看破していた。だが、天津はニヤリと口の端を歪めて不遜な笑みを返すだけであった。


睨み合う両者。

だが教祖の巨体が誇る威容、それは彼我がまるで大人が幼児たちと戯れようとする程の違いであった。

「よろしい。貴様らの闘争を受け入れよう。これは我が愛と貴様らの愛の闘争、真なる正義は闘争から生まれるもの——」


「なっ⁉」

〝馬鹿なっ⁉〟と驚愕を滲ませる女達。

茫然と見守る無力な導師たちの中を大男が疾駆する。その体格からは考えられない速さに、襲撃者達は匕首を投じる機を完全に逸した。


そして女達が暗器を構える前に既に天津の巨躯が迫っていた。

詠唱の間すら与えず、巨漢が大樹の幹のような腕を振り上げる。

「これが愛ぃぃぃィ!!!」


歪んだ笑みの元で振り下ろした巨拳。

剛腕が震わせた空気が導師たちの衣を撫でる。その圧倒的な打撃力は直撃した女の頭を四散させ、黒い導師服の集団の中に鮮やかな紅花が開花した。


「術師は滅せよぉぉぉ!」

もろ手を挙げて無防備に咆哮する教祖の胴体。そこに即座に緻密な連携で墨国術師達は短刀を突き立て飛び退った。致命となる人体の弱点、確実に死に至らしめる急所を彼女らの連撃は悉く狙い定めたのである。


「良し。天津討ち取ったり!」

必殺を確信した彼女らは高らかに吼えた。しかし、それを応えたのは歓喜に震えた巨漢の胴間声。


「おおぉおオ、良い。良いぞォお! だが、まだだ。まだ愛が足りぬぅゥぅ!」

高速の剛腕に打ち払われた二人が壁に吹き飛ぶ。そして壁に激突し鮮血の芸術を描き出した。


「——っ⁉」

瞠目したのは残された二人。


(くそ、分厚い肉に阻まれ命に至らなかったか……)

そして彼女らは互いの目配せで即座に左右に分かれた。一人が小刀を抜いて躍りかかり、もう一人は詠唱を始める。

目にも止まらぬ速さで迫る巨腕を搔い潜り、素早く刃を滑らせ手の靭帯を切断する。


(——右手は潰した)

「……ぬぅ」

僅かに怯んだ天津の隙を見逃さず、女は負傷させた側から素早く間合いを詰める。


しかし、彼女を迎えたのは、負傷させたはずの右腕の剛拳であった。衝撃に巻き起こる風は血潮を散らし、また一人の術師が広間を染める絵画に加わることになったのである。


残された最後の凶手は戦慄していた。

巨漢を貫いた刃はいつの間にか抜け落ち、その傷は既に跡形もない——完全なる治癒であった。


その理を逸した不条理ゆえに、女が和歌を途切れさせたのも無理からぬことであろう。

相手にしているのは本当に人間なのか、それとも神そのものなのか。残された一人は驚愕に体を震わせながら死を待つしかないのであった。






襲撃者の血で赤く染まった自身の手を見た天津。それは彼の瞳に束の間理性的な光を宿させた。そして大男は皮肉げに口元を歪めて呟いた。

「——伯林青べれんすよ、もしかして私も勇者になってしまったのか」




ひわ

これはかつて賢者としての名を馳せた男の話である。

長身痩躯のその男の名はひわという。


彼は男だてらに武帝伯林青べれんすの盟友にして、その智謀の軍師。鬼獣に対する彼女ら歌術師の軍を司った男であった。


彼が振るう指揮は華々しさこそないものの、退き際をよく心得、戦略の上で常に負けない戦いを可能にしていた。そのことをよく知る者達は彼を讃えてこう呼ぶ、『不敗の軍師』と。


伯林青が至尊の冠を頭上に戴いてから数年。

築かれつつある鬼獣と人の領域を隔てる長い城壁『長城』、沈む夕日に染まったその威容を眺める痩躯の軍師の隣で伯林青は口を開いた。


「民が鬼獣に怯えることの無い時代か……」

「ああ、外敵がいなくなるのだ。しばらくは国同士の小競り合いが続くだろうが、それも終われば、民が平穏に暮らせる世が到来するだろう。そこでは、武力以上に新たなものを生み出す創造性が重要になってくる」


「——全く想像がつかないな」

「それはそうだ。今日明日の話ではない。五、六十年は先の話だ」


「ふん。どうせまたお前は男の地位を上げろというのだろう」

聞き飽きたというように冗談めかして肩を竦める女帝を、鶸は真剣に見据える。


「ああ、何度でも言うさ。現在のように男が女に奉仕するだけという構造は間違っている。時には私のような例外もいるだろうが、この世には男の方が遥かに多いのだ。彼らを蔑ろにせず、生活を豊かにしていく知恵を出し合うべきだ。人と鬼獣を隔てる壁は必要だが、男女を二分する身分の壁は不要だ」


「ならば私も言おう。世の中は不平等だ。それは男女の差だけではない。女の中にも力を持つもの持たざる者がいる。だからこそ、武名轟く歌術師はその武芸を誇ることができるのだ。それを見て、自身もまたそうありたいと願う者達が勇者を目指す。世界はそうした勇者たちが動かすものだ」


「その考え方の果てには、積みあがる屍と山とその上に立つ一握りの人間しか残らない。誰しもが勇者たり得るわけじゃないんだ。どう考えても正しいはずが——」

「黙れ、鶸!!」

逆鱗に触れたかのようにまなじりを吊り上げて女帝が吼える。


「っ⁉」

その圧倒的な眼光は男を縛りつけるに十分であった。しばし睨み合う両者の瞳は、互いが決して譲り合えない光を見て取った。


伯林青は怒気を和らげ、肩を竦めながら謝した。

「いや、すまない。お前が言うことがきっと正しいんだろう。それは余にも分かる。だがな、余はどうしようもなく武人なのだ。技を磨き、敵を打ち倒し、名を上げんとする武士もののふ。そのくびきからは逃れられそうにない」


「……伯林青」

苦悩を滲ませる声で男は呟く。


彼女の手は人の手をとるためにあるのではなく、武器を振るうためにあるのであろう。きっと打破するべき敵と相まみえ、切っ先を向けることでしか得られない燃えたぎるような充足感と高揚、それが帝となった女の持つ根源であった。


武帝伯林青こそは、〝武芸に幸あれ、汝ら武士もののふの武名よ轟け〟と歌術師を燦然と照らす巨星。その在り方を変えられようはずがないのである。


〝だからこそ〟と女帝は邪気のない笑みで破顔した。

「余と約束してくれ、鶸。お前はお前の考えるやり方で良い世を目指すのだ。それは旧来の価値観、余や六歌仙の者とも対立するものだろう。だが、それで良い。余達を打ち破ってみてくれ、それでこそ余の軍師は不敗なりと自慢できるものだ」


そうして女は薄く笑むと、夕陽に照らされた二人の影が重なった。

短い口づけを交わし、その余韻と思いを残して去っていく女、彼女を男は見送っていた。


「……分かった、約束しよう」

噛みしめた誓いの言葉は彼にとっても訣別けつべつであった。




これを機に、この痩躯の男は歴史の表舞台から忽然と姿を消すのであった。

そこから始まるの長きにわたる自問の時間、その苦闘の末に彼は神殺しという答えを見出した。


『不敗の軍師』は女が有する歌術という神の祝福自体を消し去ろうと思い立つ。

歌術師たちが一度死に絶え、歌術という神秘が忘却の果てに途絶えれば、不平等を産む神威の消失になり得ると考えたのであった。


それは即ち神の否定と同義。

性による優位性の喪失は社会変革への嚆矢こうしになると見定めたのである。

一人の女のことを想い続けながらも、術師たちを殺し尽くさんとする決意。これこそが彼を信じた女への紛れもない愛の形。


「ク……ククク……」

喉を衝いて出た哄笑こうしょうはそのあまりの皮肉故。


ひわの明晰な頭脳、その才覚は本物であった。

世の栄華に背を向けて術理の秘跡を追い求めた男は、誰よりも深く深淵へと至った。渦巻く知識は未知なる和歌転写の領域へ結実する。 


己が体躯に曼荼羅を模して彫り込まれた歌は妖しく脈動し、常に詠唱を回帰させ続ける。それによって得た怪力は彼の痩身をはち切れんばかりの筋肉の塊へと転じさせた。


そして刻まれた快癒の祷りは回帰という曼荼羅の特性と混合し、致命の傷すら立ちどころに元の状態に巻き戻す再生へと昇華した。


———天意など知らぬ、神など知らぬ、我こそはこの一誓にかける修羅。

神すらも否定する男は皮肉にも、自身の名に神を頂く。


天津——男天道の尊き教祖、象徴にして旗幟きし


それは愛という執念と深淵を見通す知性が育んだ紛れもない奇形児。その赤子は男達の大反乱という産声を高らかに上げたのである。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る