第24話 藤原白群は先帝を思う
【
蓋を開けてみると呆気ない幕切れであった。
環は上気した顔を手で扇ぐ淡藤に労いの言葉を掛けた。
「淡藤、お疲れ様」
「あっ、環様」
役目を終えた彼女は額の汗を拭い、環を見て花が咲いたような艶やかな笑みを浮かべる。
「どうですか、私上手にできていましたか?」
「うん、ばっちりだったよ。俺が思っている以上の出来だよ」
「ふふ。では、ご褒美を下さい」
「えぇと。じゃあ、はい。お疲れ様」
環は淡藤の頭を撫でると、淡藤はくすぐったそうに眼を細めるのだった。
彼女を伴って幕舎に戻った狐面の男の娘は賞賛で迎えられる。
「環さん、すごいですよ! まさかこんな軽微な被害で乱を治め、あまつさえ反乱した男たちを掌握してしまうなんて⁉」
「そうだね。ふんっ、まさかあんな手があるなんて。やるじゃないか」
環の策は実のところは兵法に敵ったものであった。舛花はアイドルの何たるかを理解するとすぐに環の考えが離間計の変わり種であることを見抜いていた。そして、軍師の少女は環をただ一風変わった思い付きをするだけの人材ではなく、自身や
「おい、君たち。浮かれるだけじゃなくて、事後処理についても考えてくれ!」
水面越しに響く桔梗の声が水を差す。
だが、まさに彼女の指摘の通りであった。
環の策が想定以上に上手く働いた結果、藍国軍は突如として数千の兵を新たに抱えたことになったのである。水盆の向こう、青藍で皆の留守を預かる桔梗が頭を痛めるのも無理からぬ話であった。
「その通りだね。ただ曲がりなりにも白群様に歯向かった連中、ご裁可なしに解散させることはできないよ」
舛花は即座にその意図を理解しつつも眉を顰めた。
「はあ、そうね。とりあえず、青藍の近くまで引き連れてきなさい。糧食や場所の整備は進めておくわ」
「桔梗、お願いね」
「くそっ、運搬用の車両でも用意するか……」
頭を掻き毟りながら毒づく桔梗の姿がほどけ、水盆を介した通信は切れる。
「これは青藍に戻ってからが大変ね。いや、でもある意味では集約的な労働力が使えると考えることもできるか。はぁ」
「……何かゴメン?」
「あんたねぇ」
大きな溜息を吐きながら舛花は、済まなそうにする環を睨むのだった。
白群たちが出かける前に自身が放った言葉。それが大言壮語にならずに済んだことに安心したのも束の間、大きな問題を呼び込んでしまったと苦々しい思いに駆られたのであった。
【藤原
窓から差し込む曙光に藤原浅葱は目を細める。
早朝の静謐とした空気が街を包み込んでいる中、浅葱は彼方にある青藍に眼差しを向けていた。
これが乱世の序章であることは間違いないのであった。
浅葱たちはここ帝都
物忌——貴人の死に触れた穢れを清める期間であり、この間は穢れの無い者と会うことや書簡のやりとりも死穢を伝染させるとして禁忌とされている。これは政や神事が執り行われる都だからこそ残る古い文化の名残であった。
浅葱はそんなものを古い時代の遺物と鼻で笑う。
既にここに集った国主たちも信じていないであろう。とはいえ、帝都で他の者の目のある中、平然とその禁を破るわけにはいかなかった。
だからこそ、彼女は今にも藍へ取って返そうとする妹の
少しずつ明るくなりつつある陽光に、青い羽毛を輝かせた使いが浅葱の元に舞い降りる。
(——来たか)
浅葱は鳥の足から書簡を取り上げ、丸まった紙片を広げて素早く目を走らせる。
彼女もまた心を乱されていたのである。
各地で男達による前代未聞の大反乱が起こっていることまでは把握していたが、軍団指揮に秀でた自身や白群、そして藍の中で個の最大戦力である萌葱を欠いた状況で、はたして藍の戦局がどう推移するのかに。
「何だこれは……」
思わず疑問符が口をついて出た。
桔梗からの報告は一読しただけで意味を掴み切れず、彼女は怪訝そうに眉を
【藤原
白群は宛がわれた自室の寝台に腰かけ、上る日輪に目を眇めていた。
幼き日の白群にとって、病に倒れた先帝
* * *
藤原白群は異様なほどに聡明で何でも予想出来てしまうような幼女であった。
彼女にとって、人は将棋の駒のようであった。文字が刻まれた木彫りの駒の表面に個性や信念、考え方などを張り付けた物に過ぎない。
つまるところは、その奥の彫られた文字通りの動きをする何パターンかに分類できるものでしかなかった。そして、人が将棋を指して駒を動かすように、白群は人を容易に動かすことができた。将棋の駒と同じように、人を動かす時もその人物が動くパターンは決まっているのだ。
後は簡単な法則、その人物の欲求にそっと指を添えれば、もう人間は駒と同じ振る舞いをするのであった。
環との邂逅は、驚くということがほとんどない彼女にとって正しく慮外の驚愕であっただろう。そして、彼女の人生で最初の驚きは、先帝伯林青であった。
一人にこにこと宴の席を見守る小さな背中に声が掛かった。
「——よお、白群」
振り仰いだ先にいたのは伯林青、当代の帝に選ばれ長い治世を築いた女傑であった。
「武帝様、ご尊顔を拝し恐悦に存じます」
「よいよい、堅苦しい挨拶は中央だけで十分だ。それよりもおまえはなぜ一人つまらなそうにしている? 他の者共に混じらないのか?」
伯林青は白群の心をピタリと言い当てていた。
幼少の白群は、この宴に、いや人生そのものに退屈していたのであった。内心を看破されたことを怪訝に思いながら、彼女はそれをおくびにも出さないで作り笑いを深めた。
「僕は楽しんでますよ」
柔らかく微笑む白群の頭を、伯林青は武骨な手でガシガシと押さえた。
「駄目だ! なってない。全然なってないぞ、白群。お前はもっとバカになれ!」
「は、はぁ?」
思わず難色が口を突いて出るが、女帝は気にした様子もなく呵々として笑う。
「ふはははは、バカだからこそいいのだ。白群、お前はつまらないことばかり考えているのだろう」
そう言って、伯林青は白群の頭を撫でた。
白群の周りには軽薄な言葉のやり取りをする大人たちばかりがいたが、帝のそれは半ば子ども扱いではあったが芯のある抜き身の信条であるように彼女は感じとったのであった。
白群は大きな手を振り払って、真剣な眼差しで見返した。
「バカになることは重要ですか?」
自身を見上げて問い返す
「愚者だろうが賢者だろうが、弱者だろうが強者だろうが、この広い世界と比べれば塵も同然だ。違うか?」
「……道理ですね」
「だからこそ、余は最強たらんとしたのだ。幼い頃より強い武人がいれば勝負を挑み、凶暴な鬼獣の噂を聞けば討伐しに向かう。そしてついには、名だたる武人も獣は余によって打ち倒され、向かってくる者はいなくなった。その結果として、我は大陸最強の人間の名を手にしたのだ」
「それゆえ、陛下は神々に認められ帝となっています。抑止力としての武は世を治めるには必要でしょう」
歯に衣着せぬ幼女の物言いに、先帝は不敵な笑みを返す。
「そうだな。そして、民草を鬼獣から守るために長城を築いた。だが、余はこの壁は壊したいのだ」
「な、なぜですか? 長城によって、鬼獣による被害は減りました。それは民に安らぎを与え、国々を富ませ、文化を発展させ続けています」
「白群、おまえは鬼獣蠢く大森林のその向こうには何があると思う?」
「——は?」
突然投げかけられた前代未聞の問いに白群は面食らってしまった。
伯林青が人類安寧のために築いた鬼獣戦線の要たる長城。
言うに事欠いて、この帝はそれを自身の手で打ち崩したいと言っているのである。それを取り払うことなど、常識的にありえない。
即ち、長城のさらに向こう側などというその疑問自体がナンセンスなのであった。そして、白群は今更ながら自身が思考の
それを思えば、人間相手の退屈な将棋などを続ける必要はない。未知なる鬼獣相手に対局を挑むことも出来るのであった。
「余は大森林の向こう側に何があるのか、この大陸の果てには何があるのか、もっと強い存在がいると思うのだ。前人未到の長城の向こう側、面白いと思わんか?」
帝は幼子のように目を輝かせながら、幼女に問いかけるのであった。
「……そんなこと考えたこともありませんでした。全く現実的ではないように思います。それを夢想するのは愚か者のすることですよ。ただ、何があるんでしょうね。僕も気になってきました」
「なんだ白群、おまえも少しは分かってきたじゃないか」
ニヤリと笑う先帝に、白群も不遜な笑みを投げ返した。
「ええ、どうやら僕も馬鹿になる才覚があるようです」
「ならばお前がその先を見極めるが良い」
「いいんですか? 僕はあなたが築いたものごとこの大陸を転覆させてしまうかもしれませんよ?」
「それはそれで面白い。ならば、余がおまえを鍛えてやろう」
「はいっ⁉」
いかなる理屈でそうなるのか分からないが、最強の武人は幼女の襟首をひょいと掴んで、有無を言わさず連れ去ったのであった。
(——どうしてこうなる⁉)
そこから散々しごかれたのが、今の彼女の剣技に繋がっているのである。
* * *
白群は太陽に
「先帝よ。此度の対局、あなたならどう手を返しますか?」
大陸を盤上に見立て、若き英雄が指した鬼手。その鬼謀の一手に他の国主たちがどう応じるのか、それを彼女は期待していたのであった。
そこに
「白群様、青藍からの報が到着いたしました」
「それでどうなったんだい?」
「それが……なんとも意味が掴みかねていまして」
「ふむ、貸してごらん」
目を伏せ言葉を濁した配下から書簡を受け取り、白群の目が文字を追う。
〝環が淡藤を新たな神と為し反乱軍の大部分を取り込むことに成功。反乱軍を撃退するも兵士増員により頭を痛める〟と書簡にはそう簡潔に記載されているのみであった。
だが白群は環の奇想天外な一手をたちどころに理解したのであった。
「ふふ、あっはっはははははははは。そう来たか、本当に環は僕を飽きさせないな」
「白群様、環めは一体なにを?」
さも痛快そうに声を上げて笑う主君に、浅葱は困惑の色を向ける。
「分からないかい?」
「申し訳ございません」
「いや、いいんだ」
自身の無能に膝をつこうとする浅葱を白群は制す。
若き英雄は内心感嘆していたのであった。環の妙手は浅葱や舛花など有数の知者でさえそうそう出来ない発想であり、そしてこの大陸の英知を相手取るために自身が好みそうな一手であったのである。
「ふふ、青藍に帰ったら嫌でも分かるよ。きっと浅葱は驚くことになる」
「なるほど。では楽しみにしておりましょう」
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