第23話  淡藤は男たちをけしかける

淡藤あわふじ

睨み合う両軍。

両者を押し包む緊迫感は戦端が開かれる寸前であることを伺わせていた。


自軍は舛花、千草の手勢である術師が二千、それに加えて男たちから構成される男衆三千の軍勢が出来上がっていた。

対する反乱軍は先の軍が、その規模を大きく膨れさせていた。おそらく別部隊と合流したものであろうその数五万。


互いに向き合う両軍は、軍師の少女が戦術上不利になることを承知で、正面衝突するように彼我を誘導して布陣した結果であった。


誰もが戦場の空気に肌を震わせる中、淡藤は一人不気味な笑みを浮かべていた。これからのことを思うと、彼女の内心は愉悦で満たされていたのである。

そこに狐面の女——自身の救済者であり密かに心を寄せる対象、但馬環たじまたまきによって肩を叩かれる。


「淡藤、大丈夫?」

思い人に案じられ、彼女は即座に表情を変えて振り向いた。

「ありがとうございますわ。環様のお役に立てるように頑張ります」


「うん、気負わずいつも通りで大丈夫。でも無理はしないでね」

「はい」


そう柔らかく微笑んで、淡藤は戦場に歩き出す。送り出す環に背を向けた途端、彼女はまた邪悪な笑みを浮かべるのであった。




戦場の緊迫感は一人の女、否、女神の登場で突如として破られた。

美麗な装束を纏った絶世の美女が悠々と歩み出る。

全員の視線を釘付けにしてなおも自然体、天女のかんばせに慈愛の笑み。今この場を制しているのは間違いなく彼女、淡藤であった。


そして、女神は自陣の男達に微笑みかける。

「さあ、皆様。偽りの神を頂く方々に天誅を下しましょう。そのために、私がここで

あなた方のために歌いますわ」


「「「おお、淡藤様ぁぁぁぁぁぁ」」」

彼らの瞳に映るのは、優艶に舞いながら澄んだ美声で調べを奏でる天女の姿。

淡藤は美貌の流し目を彼らに送って、男達の様子を観察していた。向けられた視線に込められた熱量が増し、彼女は男達の昂ぶりを手に取るように感じる。




* * *




淡藤は環の手で救い出される前は、男達によって歌術の実験に使われていた都合の良い道具であった。同時に、女を僻む彼らの鬱憤や情欲のはけ口でもあったのである。


時折、玄と呼ばれていた責任者の男がいき過ぎた仲間を制することはあれど、常は〝そいつは優秀です。次を探すのが面倒ですので、ほどほどにしておいて下さい〟と興味無さそう言い置くだけであった。淡藤は男達の劣情に奉仕し、それを操る術を学び、その身に性の悦楽を刻んだのである。


道具として過ごしたその長い時間の中で、淡藤は自身が徐々に人として壊れていく様を楽しんでいた。そして、自身にいとも簡単に魅了されて盛る愚かな男達、彼らの姿を淡藤は慈しんでいたのである。


彼女にとっては自身が壊れていくことも、人が壊れていくことも、等しく快楽であった。




* * *




軍議の場で環が男たちのために歌え、と自身に命じたことが最初は分からなかった。しかし、今ならば遠い先を見通す思い人が、男達を扇動することを求めたことを十全に理解できる。


あの人の思惑は、自身に男たちを壊す神になれということなのだ。

こんなにも男達を慈しみ、破滅へ導いてやりたいと思っている自身以上にこの歌姫たり得る者はこの大陸にいないであろう。


男達を誘い、彼らを戦場に遣わし、そして愚かな彼らを破壊に追いやる。自身は男達を戦場で躍らせる死の女神、彼らを殺戮するための舞台装置なのである。


それを思うと淡藤の口元に妖艶で邪悪な笑みが現れるのだった。

「応援ありがとうございますわ。皆様のこと大好きですわ」


「「「うおおおおおおお、淡藤様ぁぁぁ」」」

軍旗を掲げ、突撃を叫ぶと天女の加護を信じた兵士たちが怯まず、迷わずに一斉に突撃する。導かれるように死闘を演じはじめる男達に淡藤は目を眇めた。


兵士の士気が戦場の趨勢を左右した時代、それを束ねる狂信は脅威だった。

大地が鮮血に染められ、数多の人の生が壊されていく。その尊さに体の芯を心地よい痺れが震わし、女はうっとりと体を抱く。


今、胸の内に高鳴る高揚は歓喜と悦楽。

それが体の中で鳴り響いていた。欲望とは発するものではない、奏でるものであった。

(——ふふふ。もっと、もっとですわ。そういえば、性の快楽と人が壊れていく快楽はとても似ていますわね)


天女の浮かべた微笑の奥に居座るものは狂気であった。彼女はそれを惜しみなく歌として降り注ぎながら、ふと気づいたのだった。




男天道なんてんどう

行軍の中、椋実むくのみは討たれた鴉羽からすばとの過日に思いを巡らす。


椋実から見て、鴉羽はまだ若いにも関わらずその考えは自身の及ぶものでは無いと断言できる程の俊英であった。

思えば、今回の大反乱の始動も鴉羽の献策が形になったものである。


「鴉羽よ。いかに我々の志が高かろうとも、それがそのまま世に浸透し大きな変革となるようには私は思えません」

「その通りだ、椋実殿。目的のためには、それを実現するための手段が必要。だからこそ、神には神をぶつけるのだ」


「それは一体……?」

不敵な笑みを浮かべる鴉羽に椋実は先を促す。


「歌術は祝詞に応える神威の具現であり、これはまさしく神の御業だ。だからこそ、この世は歌術を有する女が治めているのだ。しかし、よくよく考えてみれば女は数では男の三分の一にも満たない。つまりは、数で大きく勝り、社会基盤を形作っている男が立ち上がりさえすれば構造上、女は譲歩せざるを得ないのだ。そうしなければこの世は成り立たなくなるからな」

「ふむ、ここまでは飲み込めます」


「問題なのは男が立ち上がるということだ。現実として男は女に屈しており、これはもう世の遍く男の精神に刻まれているかのようにも見える。この弱者たちが独立を唄うことなどできようはずがない。これは女が歌術という神性を持ち、男が持たないという単純な理由に起因している。即ち、男達にもそれに対抗し得る神性が備われば良いということだ」

「歌術にとって変わる男たちにとっての新たな神、それを用意するということですか……それが男天道」


「然り。神を以て神を討たんとする。この闘争の先にこそ、男たちが女の呪縛から解放される。私は作りたいのだ、女の顔色を窺わずに男が一人で立てる世を。男が自己を誇ることができる世を。男が女と真に才によって比べられる世を」

椋実は彼方を見やる若き学徒の横顔を見つめた。


鴉羽の胸中に燻る熱は、合理的に状況を分析した上で、誰もが考えつかないような策を為さしめる。

これが椋実から見た鴉羽であった。


聡明な鴉羽は誰に対しても舌鋒鋭く合理を説く、それが塾内で評価されつつも仲間としては敬遠される原因であることを青年はわかっているのであろうか。彼が他の塾員と揉めた際にはよく仲裁を買って出たのも椋実である。


思えば、特に功名心などを持ち合わせておらず、ただ勉学に励んでいた椋実は素直に彼を称賛する気持ちを抱ける自身が彼と親しくなったのも道理であろうと感じるのであった。


椋実は謙虚で誠実な男であり、早い話が自身と全く違う鴉羽を気に入っていたのである。だからこそ鴉羽が討たれたことは口惜しいと思いつつも、討たれる覚悟を持って行った反乱あるため、仲間の死はやむを得ないものと思うのであった。


しかし椋実は、鴉羽の残した燃えるような意思だけは何としても実現させたいという思いを抱いていた。




* * *




その決意を胸に秘めた椋実であったが、藍国軍と再度対峙した彼は内心の焦りを隠せないでいた。


墨国にとどまっていた別動隊と合流し、自陣営は無様に撤退を演じた数日前よりはるかに増強されていた。相手方も援軍と合流したようだが、その数もたかが知れているはずであった。


しかし眼前には歌術師の部隊に肩を並べるように、男のみで構成された部隊があったのである。この反乱は世に男の独立を問うたもののはずである。


にも拘わらず、男が敵側に回っているなど、誰が予想できようか。無理やり従わされているというならまだ理解できる、しかし相対する男たちはその意気高く武器を打ち鳴らしているのであった。


ここに至って椋実は自らが掲げる大義が揺らいでいることに渋面を作ってしまう。

そして彼方の男たちが奏でる拍に合わせて、何者かが進み出でて来た。


(——何です?)

天女と見紛うばかりの煌びやかな装束を纏った女、その清らかな肢体は淡い光を帯び、そしてその顔に女神の微笑みで湛える。


「な……あれは女神なのか?」

そこかしこで囁かれる言葉は、椋実の心境をも映す。

天女の口からは術理によって拡声された天上の音の奔流が溢れ出て、その神威に指揮官の男は打たれるのであった。


そして大地を鳴動させる野太い咆哮が追随する。

「「「うおおおおおおお」」」

「「「淡藤様あああああ」」」


女神に応えるように狂乱する彼方の男たちの熱量が大気を震わせ、向かい合った自軍にもその透き通るような旋律と合わさり混乱を誘う。ある男は茫然と立ち尽くし、ある男は武器を取り落とし、そしてあるものは恐れの声を上げる。


未だかつて経験したことも無い純然たる女神の威容を前に、彼らは何もできないのであった。

艶やかで柔らかい笑みを浮かべて、麗しい女が手を伸ばす。


「さあ、皆様。そんなところにいないで私の元へ集いなさい」

彼女が向ける慈愛は精神の解放、寄る辺の無い男たちへの救済たり得た。それは噂にしか聞かない天津の奇跡よりは眼前に顕現する女神の導きの方が男たちにとってはるかに信じるに足るのであった。


「——お、おい。あっちにいこう」

「そうだな」

一人二人と自陣から離れて相手方へ駆け出す者が現れる。


椋実は知る由もないが。それは藍国軍が用意した偽装兵であった。やがて女の神々しさと群集心理に導かれてその数が増え、大きなうねりとなった。


椋実は櫛の歯が欠けるように自軍から失われていく兵員を茫然と見守るしかない。自らが掲げる大義のためには間違っても、ここで脱走を目論む輩を討つことは出来ないのであった。


兵たちに留まるように吼える指揮官たちの声が聞こえるが、それもどれほど効果があろうか。

(——ああ)

遠くで他の指揮官が離脱者に矢を射かけるように号令を下したのが聞こえた。

(これは駄目だ)


彼らが指揮する反乱軍は自軍の離脱者から崩壊したのであった。

「神を以て、神を討つか……まさか新しい女神が現れるとは。敵方にも鴉羽のよう考えた者がいたのですか……」


椋実は既に数でも劣ってしまった自軍を眺めて苦々しく呟いて、彼方に目を向ける。

そこでは羽衣を煌めかせた天女が大きく腕を振るう。

「皆様には救いを、そしてあの者達には罰を与えます」


そして女神の号令で敵軍が突撃をかけてきた。数の有利から選んだ平原という戦場が自軍に牙を剥くのであった。もはや数的有利は向こうにあり、それを防ぐ策もない。


(——万策尽きたか)

若干残った兵たちは、椋実の鴉羽へ手向けた決意ともども戦場の露と消え去ったのである。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る