第22話  売れない声優は奇策を思いつく

【但馬環】

戦場だった場所に一人佇む影がある。

自軍と敵軍、その双方が退却を終えた後も、狐面の男はその会合点であった場所に立ち尽くしていた。


人馬の焼けた残り香に薄く淀んだ空気から、もう既に戦いの余熱は冷めきっている。しかし、彼の心中で燻る紛れもない熱源、それは環自身がその意思のもとに人を殺した紛れもない事実が罪科の炎になっていたのである。


総身に漲らせていた覇者の気質が解けると、彼は自身の体がひどく重く感じた。窮地に陥った仲間を救い、一難去って環はその事実を実感したのである。


今回敵に回った民たちにも、それぞれの生があり、理想があり、家族や友人がいたに違いない。自身が出現させた術理はそれを斟酌することなく、彼らの人生に幕引きをしたのである。


果たしてそれが許されることなのか、彼には答えが出せなかった。

現代日本であれば間違いなく法が裁いてくれるが、こちらの世界では国の官吏である自分たちが法を作る側。法とはそんな曖昧なものであると今更ながら気づく。


仮に法が許しても、己が許すことは出来ない。

それが、今まさに環が罪の意識を苛んでいた。


業火に焼かれる人々を思い出し、急に吐き気が込み上げてきて胃の中身を地面にぶちまける。そして足元がおぼつかない感覚に、環はよろめきながら座り込んでしまった。


体が重みに耐えかねていた——彼の双肩に掛かる殺めた人たちの重みに。萎える足を叱咤しようと手を伸ばすと、その手が震えていた。

否、全身が震えていることを知る。


自身が為した深刻さが自責として体の自由を奪っていた。

これから、己はもっと人を殺めるであろう。藤原白群と共に覇を唱えるとはそういうことであるのであった。


立ち上がる事すらできなくなってしまう不甲斐なさに嘲笑が浮かぶ。こんな様では共に乱世を駆けるという誓いは果たせない。


(——怖い。でも、こんなことではダメだ……)


目元の狐面を静かに外し、溢れ出してくる涙を袖で拭う。

そして、先ほど一方的な殺戮を演じていた時ように、彼は頼みに思える人物を思い浮かべるのであった。


(きっと白群様だったら、こんなことも全て飲み込んで覇道を歩むに違いない)


小市民には無理でも藤原白群という英傑であれば、これから起こる全ての責を背負い込んだまま前を向き続けるに違いない。


だからこそ但馬環は狐面を手放すことができないのである。罪悪への逃げ道として被り続けることが出来る役柄を欲したのであった。さながら仮面が環を借りて全く異なる生を宿したようでもあった。






男天道なんてんどう

月明りを群雲が断つ。

宵闇に紛れて人知れず縹の街に侵入する影があった。その正体は男天道の導師たち——彼らは男天道の教えと天津の奇跡を広め、貧者を助け弱者を導く。そして、そのまま信者として男天道に取り込むことを目的に行動していたのである。


彼らはいつものように民衆の蒙を啓こうとするが、閑散とした街の様子を怪訝な表情を浮かべる。

「おかしい。男達の姿が全然見えない」


訝しんだ彼らは町に残った者から国軍が男衆を集めていることを聞き、互いに顔を見合わせた。

「なにやらきな臭いな。はてさて軍は何を為そうとしているのか?」

「我らが様子を探った方が良いだろう」


「しかし、危険では?」

「導師の装いを解けば問題あるまい」

しばし談判の結果、彼らは藍国軍の動向への偵察に意を決したのであった。






導師の装束を脱ぎ去って民に溶け込み、そして彼らは軍が男たちを集めているという所に足を踏み入れて目を瞠った。


汗を滲ませた男達の熱気が彼らを迎え、鬨の声に肌が揺さぶられる。ひしめくように集った男達は正常な判断力を失って狂乱しているように見えたのである。

これを魔窟と呼ばずして、何と称せば良いのであろうか。


眼前の光景に茫然としていた導師たち。

ふいに彼らの耳を透き通った麗しい声が叩く。

「みなさまー。淡藤あわふじの歌を聞いて下さってありがとうございます」

男たちのどよめきの中をも朗々と響き渡る女の声。


これは軍団指揮で、音声を拡大して指令を伝達させる歌術を転用したものであると、彼らは気づく。


そして男達が取り巻く高台を幻想的な灯りが鮮やかに照らし出す。

術理によってなされた光源が息を呑むほどの美を輝かしていた。


それは傾国の美女と見紛うばかりに着飾った麗しい女、否もはや女神であった。

「「「おおおおおおおお」」」

男達は天女が下賜した微笑みに狂喜する。


麗しい女が男たちの視線を集めながら、口を開いた。

「~~~♬」

その艶やか唇から紡がれる美声。それを以て女は聞いたこともない旋律を歌い奏で始めた。


それはまさに天上の調。

そして同時に、すらりとした儚いほど細い肢体が舞い踊る。


女系社会のこの大陸の男たちは、女が男に愛想を振りまくことなどはついぞ目にしたことはなかった。それが今、眼前に理解しえない形態で展開されているのである。


そして、女の施しに応えるように男たちは吼え猛り、内包する熱量を迸らせるのであった。そこには紛れもなく異なる信仰が存在していた。

「「「うおおおおお」」」


「ふふふ、皆さまには私がいますわ」

「「「うおおおおおお」」」

美しい女の寵愛に野太い歓声が追随する。


「それでは、皆さまのために次の歌にいきますわよ」

「うおおおおお」

明滅する光源によって幻惑に引き込まれていくような錯覚を導師たちは覚えていた。


これは環が作り出した演出。

歌術を応用して現代のライブ会場を模したこの舞台装置自体を彼が意図したもの。養成所時代にライブ会場でアルバイト経験をし、彼がそれなり知識を持ち合わせていたが故であった。


「♪~」

そして淡藤が声を乗せ、高らかに唱歌する旋律も彼らの知り得ないものだった。

なぜならばそれは和歌ではなく、現代日本のアニメソング。思わず体が動き出してしまうかのようなリズム、吟味せずとも頭にスッと入り込むサウンド、歌に合わせてふわりと舞う装束と蠱惑的なダンス。


導師たちにとって全てが形容し難い未知との邂逅であった。

「——これは神か」

独りの呟きが、導師たちの心境を代弁する。


はたして彼らの教祖との出会いすらこれほどの衝撃に満ちていただろうか。体の奥深く、魂への揺さぶりは、当初は単なる攪乱と混乱であった。


それが今は陶酔へと転じ、彼らの使命感をも蚕食していた。

「おおおおぉ」


いつの間にか、賛美の声が漏れ出ていた。

そしてそれはいつしか、周囲の男達のような猛り声に容易に変わるであろう。

導師たちは、熱狂渦巻く観衆の一端へと溶け込んでいったのであった。





舛花ますはな

——時を遡ることしばし。

張り詰めた空気が支配する幕舎、それは自軍の先鋒が予期しえない潰走したが故であった。退却してきた千草らと合流を済ませた後続の舛花たち。


彼女たちは足を止め、新しい情報に基づいて次の作戦行動を練っていたのである。

「……そう。そんなことになっているんだね」


反乱軍の想定以上の兵力と練度、そして対術師を想定した戦術をうかがわせる報に、舛花は顎に手をやって瞑目しながら呟いた。


そして、今回の戦い自体がどう転んでも勝ち戦になり得ない。

反乱軍を当初の目標通り殲滅出来たとしても、それはそもそもが自領の民。領内の生産性の低下や統治者への反感は免れない。だがこのままでは、殲滅することさえも容易くはいかないであろう。


黙して眉根を寄せる舛花に、武官の一人が疑問の声を上げた。

「恐れながら舛花様。相手は術師ではありません。私には理解できないのですが、術師でない者が、術師を下すということがあり得るのでしょうか?」


「ふん、現にそうなっているんだよ。術師であること、その優位性を逆手に取られたんだよ。実際に当たった千草はどう思った」

「はい、舛花様。上手く言葉に出来ないのですが。今にして思えば、敵方から誘っているような印象を受けました。不覚にも私は乗ってしまいましたが、相手の戦術は巧妙です。敢えてこちらが当然と思っていることの裏をかくような……」


「ふむ」

「軍師殿、そうやって時をいたずらに無駄にすることこそが術中にはまっているのではないか。仮に誘いだったとしても、術師でないものが術師を止められるはずがない! 今回は、たまたま馬が転んだだけ。次こそ、一気呵成に打ち砕いてやればよいのだ!」

血気に逸る将の怒声に応じず、舛花はこの場にいない者に水を向けた。


「桔梗、どう思う?」

簡易的な机上に乗せられた盆、そこに薄く張られた水面は水鏡となって遠く離れた青藍の城にある桔梗のかんばせを映し出していた。


これも環が復元した歌術の一つである。術者二人の双方の祝詞に応えて水面を介して互いを映す遠見の和歌、それを桔梗が応用して通信手段として使っているのであった。


舛花に問われ、桔梗が皮肉げに口元を歪める。

「術師に簡単に倒される軍勢であればここまで強大になり得ないわ。現状それがそうなっていないということは、逆説的に考えれば奴らは術師を打ち倒す術を持っている。術師が定石としている戦術は破られることを前提にした方が良いかも知れないわね」


「つまりは……現状、反乱軍を壊滅させることを困難であるということだね」

「そんなことはっ!」

「その通りよ」

「くっ!」

軍師の少女が導いた結論に将は怒気を発しながら抗うが、天才と知られる桔梗の同

意に彼女も黙らざる得ない。


「ふん、陣地防御は下策だね」

「はい。遠間からの撃ち合いは良くありません。この反乱軍の弓の方が私たちの術より射程が長いです」

深刻そうな顔で千草が撫でたのは、戦場で回収した弓であった。


明らかに従来のものと形状が違うことに、舛花も気づいていた。両端に複数の滑車がついた異形の弓を、試しに武官に引かせてみたところ、明らかに軽く引け、それでいて飛距離が出るらしい。


原理自体は単純で、滑車を組み合わせによる梃子であると少女は見てとった。だが、こうも鮮やかに弓を改良されてしまうと、焦慮よりも称賛の念が勝るのであった。

「どんな弓かしら?」

「このような形です」

訊ねた桔梗に、千草は弓を掲げて引いて見せると水盆に向ける。


水鏡に映る万能の天才は表情を曇らせた。

「……複合弓ね」

「知っているの?」

「弓と滑車を複合させた弓よ。私も以前、作ろうと思ったのよ」

「どうして作らなかったのですか?」


「構造が複雑な分、重いし壊れやすいから、術師が使う利点はないわ。術師は身軽さが売りでしょう?」

「確かに、その通りですね」

桔梗の説明に千草は頷いた。


舛花は腕を組んで挑戦的な視線を回らに走らせた。

「一つ分かることは、桔梗と同じ発想ができ、それを形にしてしまう者が反乱軍にはいるということね」

「ふふ、まさに天才ね」

「自分で言わないでよ」

水面の向こうでニヤリと笑う桔梗に、軍師の少女は肩を竦める。


上官の気の抜けたやり取りを後目に、部下たちはその事実を重く受け止めていた。敵方にも革新的な技術を生み出す者がいることを。この反乱は一筋縄ではいかない、と全員が共有したのであった。


「ふむ、話を戻すと。術師の個々の高い能力を生かすのであれば機動しながら相手の兵力を削っていくしかないということだね。問題となるのは、反乱軍が行動不能になるまでにどれだけ民が吸収されるか、この一点に尽きるね」

「「「…………」」」


事実その通りであるため誰も声を上げない、いや上げられないのである。皆が皆一体どうすれば良いのか、考えあぐねていたのであった。





「……ねえ、こっちが民を先に吸収するということはできないかな?」

突如、沈黙を貫いていた中で誰かが口を開き、軍師の方針に意見を差し挟んだ。

それは狐面の女——に扮した男であり、先の千草軍救援の最大の功労者、但馬環であった。


「どういうこと?」

舛花は怪訝な顔で環を見つめ、彼は薄く笑みを浮かべて淡藤を引き寄せた。


「歌を使うんだ」

「た、環様っ⁉」

驚いたように声を上げた淡藤を視線で制し、環は話を続ける。


「淡藤の歌で男たちを熱狂させて、虜にする。そうして先手を打てれば、男たちが宗教に取り込まれることもないんじゃないかな」

「はぁ?」

要領を得ない言に舛花は素っ頓狂な声で聞き返してしまうが、それも無理もないことである。少女が紐解いてきた古今東西のあらゆる文献でそんな事例は存在しない。


そして、舛花とは対照的に、さも愉快そうに哄笑する声が水盆から響いたのだった。

「あっはははははは! 宗教にはアイドルを、偶像には偶像をということか。毒を以て毒を制すとは、いやはや、これは面白い! まさに妙手かもしれないわ」


「説明してよ、桔梗」

「宗教も歌姫も男たちの精神的な支柱になり得るということよ。であればこそ先にその支柱になってしまいさえすれば、これ以上男天道に流れる民も増えない。なんなら、向こうから信者を奪い取ることも出来るかもしれないわ」


「……そんなことが可能なの?」

小首を傾げる少女に、桔梗は水面の向こうで目を細める。

「やってみて損はないでしょう。仮に上手くいかなかったら、君の考えた案でいけばいい。個人的には面白い結果になると思うけどね」

あまりの突飛な発想に困惑した舛花であったが、万能の天才たる桔梗を斟酌して環の進言を聞き入れた。


「わかったよ。やってみよう」

そして、この大陸に前代未聞の歌姫によるライブが開かれ、国軍と反乱軍の争いはアイドルと教祖の偶像同士の戦いに転換するのであった。


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