第21話 売れない声優は戦場に駆けつける
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死地から抜け出した藍の術師達は百人もいなかった。
損耗率は八割を超え、限りなく殲滅に近い壊滅。
反乱軍は奇策を以て千草たちと相対したが、あくまでも武器を持っただけの民。千草たち藍国兵を絶望的な窮地から救ったのは敵兵の練度の低さであった。
雑兵の囲いを切り拓いた千草たち、後退しながらの遅滞戦闘を行っていた。馬が無いため敵軍を引き離すことができず、選択肢が残されていなかったのである。
歌術が織りなした対物障壁の隙間を潜りぬけて、敵軍の矢が足元に突き立つ。
「——くっ」
あまりの旗色の悪さに千草は呻いてしまう。
粘っているものの、物量の差が明確な結果となって現れていた。まざまざと見せつけられる彼我の人数差は攻撃の密度差となる。
そもそもただの弱者である男が反旗を翻すという観念自体が欠如していたこの世界では、それゆえ大規模反乱に備えるという発想が無く、そのつけをまさに藍国歌術師たちは払わされているのであった。
「千草様、このままでは持ちません!」
部下の叫びが、少女の将を焦燥させる。
大きく退くことさえ出来れば、後方の援軍と合流してもう少しマシな陣立てで迎撃ができるだろう。とはいえ、それが為せないから今の状況があるのであった。
「皆さん! もう少しで舛花様の援軍が来ます。もうしばらく持ち堪えてください!」
「「「おう!」」」
千草が告げたのは願望であった。
だが、少女の鼓舞に信頼する部下たちは応えて奮戦を続けるのだった。
藍国歌術師たちの疲弊は隠しきれないものになっていた。
詠唱にも疵瑕が目立つようになり、術の神威も十全に発揮されなくなりつつあったのである。
「——ぐっ⁉」
傍に控えていた武官の足に矢が突き立ち、彼女はぐらりと状態を崩す。
千草は自身の身を素早くその前に滑り込ませ、矢を刀で打ち払う。少女の素早い剣閃に触れた矢が次々叩き落されていく。
「しっかりして下さい」
「すみません」
詠唱者が欠けたことにより、術の障壁に穿たれた空隙。それを格好の餌食とばかりに狙った無数の矢の洗礼、それらが彼女達に迫る。
(———まずい⁉)
「くっ、——————風刃」
矢を打ち払いながらも、歌う千草の武勇は流石。
だが、いかに彼女といえども分が悪い。
その全てを防ぎきることなど出来なかったのである。
(あっ⁉ あぁ——)
その身へと到達し得る鏃に少女はこの時、死を覚悟した。
少女の目が捉えたのは、急速に迫る鏃と——
——突如、出現した神威。
そこに何重もの防御壁が顕現し、差し向けられた矢の悉くを弾き落としたのである。推力を奪われ、大地に引かれて舞い落ちる鏃の中、眼前にふわりと狐面の女が着地する。
否、女装の男——但馬環である。
その背から滲む圧倒的な存在感に声を忘れた千草であったが、こちらを振り向いて質す仮面の奥の視線に彼女は応える。
「すみません、こちらは限界が近いです」
「すぐ後ろまで援軍が来ているから合流するんだ。ここは僕が攪乱しておくよ」
「っ⁉ 流石に環さん一人では」
少女の不安をよそに、環は彼方に広がる反乱軍を狐面越しに鋭い双眸で睥睨する。
そして彼の口から高らかに紡がれる未知なる祝詞は、周囲の空気を微震させた。
凛としたその姿は詠唱の光彩に浴びて淡く輝き、兵たちの目を奪った。
「————————————————————」
(な、何です⁉ この歌は⁉)
「————————————、火之迦具土の槍!!」
聞き覚えの無い長歌、次いで顕現した紅蓮の業火に千草は目を剥くのであった。
空気さえ焦がす焔。
その帯びる熱量に、自陣から呻くような声が上がる。
しかし、真の驚愕が訪れたのはその後であった。
狐面の男の頭上より放たれた灼熱の飛槍は轟音とともにみるみる内に巨大になり、敵陣に深々と突き刺ささる。荒れ狂う紅炎は人馬を飲み込み、陣中に穿たれた大きな空隙と揺れる灰燼だけを残して炎は消失した。
あっけないほど簡単に敵軍を屠る、圧倒的なまでの神威。
誰もが言葉を失っていた。
(これは……もしや『灰燼太后』の火之迦具土の歌術?)
優れた術師であり武将である千草をしても、ただただその光景に息を呑んでいた。
誰もが現実を認識するのに時間がかかる中、再度環の歌だけが場を支配する。
その切っ先を向けられている敵軍は先の動揺が広がり泡を喰ったように動きを乱していた。そこに彼の神炎が畳み掛けるように追撃するのであった。
僅かな間に退く決断をした敵将の判断はあっぱれであろう。
撤退を始める反乱軍に環が重ねて紅蓮を放ち、肉が焼け焦げた香が風に流されて来るのであった。
「千草、兵をまとめて早く退くんだ」
環は千草の方に顔を向けて、退却を促すのであった。
「……は、はいっ!」
英雄の姿に千草は僅かな間、見入ってしまっていたのである。
【
あとは詰将棋とばかりに着実に少数の藍国軍を追い詰めていた
空気を焦がし大地を焼きながら自陣を貫いた紅蓮の火炎に、鴉羽の視界が赤く染まる。
炎に飲み込まれた者たちは鎧もろとも瞬く間に超高温の業火に焼かれ消し炭となって散り、最後に残るのは大気を揺らめかせる陽炎であった。
「——何だ⁉」
「——これは一体⁉」
鴉羽と
被害自体は兵員の総数を考えれば軽微と言えるが、その衝撃は尋常ではなかった。前線を維持していた兵は浮足立ち、つられるように後方にも恐怖が広がり、陣形が既に乱れ始めていた。
〝これでは対術師を想定したいくつもの戦術はもはや使えまい〟と鴉羽は悟る。
それゆえ、今ここで少数といえども歌術師たちの突撃を受けたら中央を抜かれ、軍として指揮系統が崩壊しかねないのであった。
「後退だな」
若き指揮官は退却と断じた。
そこに三度赫赫としたが業火が走り抜けてさらに陣容が崩壊する。
その圧倒的なまでの破壊力に彼は玲瓏な顔を歪めてしまう。
軍団指揮すらままならないことに鴉羽は歯噛みしながらも、先の歌術について思いを巡らしていた。
(——大地を焼き尽くすような高温と破壊力……玄殿からは聞いたことも無い。一体何なんだ?)
副官椋実の喝破が彼を現実に引き戻した。
「このままではいけません! 急いで兵をまとめて撤退を始めましょう」
「うむ、この場は椋実殿に任せる。私が前線の兵を率いて来よう」
「鴉羽、それは危険です」
「だが捨て置くということも出来まい。どちらかがここを離れられない以上は私がまとめる方が適任だ。私であれば歌術師たちの突撃を返す刀で打ち払えよう」
鴉羽の巧みな指揮があれば、前線の混乱を立て直すことができるであろう。若い指揮官の判断は合理的であり、それゆえ悪い予感を覚えていた椋実も苦虫をかみつぶした顔で頷くしかない。
「……わかりました。お気をつけて」
「無論」
そう不敵に笑んで、鴉羽は馬に駆る。
彼の胸の内で燻る、蒙昧な世を正してやらねばならないという正義感。その熱が彼を危険な前線に出させたのである。それ故、若く優秀な青年は己がこんなところで命運尽きるなどとは微塵も思っていなかった。
しかし、その願いは叶わなかった。
鴉羽が目にしたものは、己に迫る灼熱の紅だった。
(——馬鹿な⁉)
体の奥深くで燃える雄心は、結果的に彼自身を業火の炎に飲み込ませたのである。
今際の際に紅蓮の向こうに術者の姿が小さく映る、片手をこちら差し向けた狐面の女。
そして、それと重なるように最期に脳裏に去来するのは、故郷の姉妹たちの気に食わない姿であった。
(——畜生っ、女は俺から奪うばかりだ)
彼にとって人生で二度目となる女への敗北。
女系社会への己が不遇を覆すために準備を重ねて挑んだ大戦、そこでまたしても彼を女に敗れ去るのであった。
彼は知るところではないが、この神炎を操る術師こそは但馬環——女性に扮してはいるものの純然たる男。皮肉にも男の勝利を願う鴉羽は、男の手によってその身を炎に焦がしたのであった。
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