第20話  売れない声優は危機を知る

男天道なんてんどう

鴉羽からすばの来歴を知るものは塾内でも椋実むくのみを除いてごくわずかしかいないが、彼が義塾に流れて来るまでの立場は決して悪いものではなかった。


彼の生家は翠国の代々優秀な文官を輩出する家系。彼の父親違いの姉妹たちもその例に倣い文官として任官されていた。つまり、彼はただただ婿入りを待つだけの身であり、それ以上のものは期待されていなかった。


しかし、鴉羽は家に定められた自身の運命に従おうとしなかった。

それは幼い頃より、どの姉妹をしても彼に聡明さでは遠く及ばないという純然たる事実により培われた自尊心による。畢竟、彼はただ家門に迎合するを良しとせず、自身の存在を確かめる場所を探し求めて、遂には墨国の青平義塾にたどり着いたのであった。


そして、鴉羽は彼の自負を充足させるだけの理由と出会う。

愚かな姉妹を用いるような愚昧な国主に治められる民は不幸にちがいない。世の男には遍く優秀な人材がいるにもかかわらず、それらを無能と断ずる女が幅を利かせている世の中など正しいはずがない。だからこそ世の不明を正していなければならないのである。


鴉羽は自身の不遇を、己を理解し得ない家門の蒙昧を弾劾するため、そして男は弱者にあらずという青平義塾の理想を実現させるため、驕りと正義感から反乱に身を投じたのであった。


その頃には義塾はただの学問組織ではなく、反乱の片翼を実質的に担う革命組織になっていた。義塾は反乱を通して大陸全土に問うているのである。

〝男はただ女を仰ぎ見るばかりであるのか?〟 と


——否、そんなはずはない。


〝貶められた男たちよ、卑しめられた男たちよ、今ここに集うがいい。集った力なき我らの糾弾はこの大陸を覆い、新しい時代を呼び込むであろう〟と。


この前代未聞の男による大反乱は青平義塾の大望と男天道の悲願という二つの邂逅が産み落とした時代の寵児。義塾にとっては男性の独立を高らかに宣言する社会運動であり、男天道にとっては男性の神聖を取り戻すための聖戦なのであった。





そして鴉羽は学び得た知識と持って生まれた明晰さから、歌術師で構成された軍が使う戦術を研究し、それを撃退する術を見出していた。


その一つが今まさに用いられた足刈戦法。


術の障壁を纏った騎馬隊の突撃は通常であれば破る術はない。

しかし、これは矢を弓なりに上方から射かけることで術による守護を前方から上方に逸らす。そして防御が疎かになった術師の駆る馬の足元を、陣中に張った綱に掛けることで引き倒すのである。


術師本人たちですら、自身の術の効果範囲を精密に計測して把握している者などいない、彼はそこに付け込んだのであった。あとは馬と共に転がった術師を多人数で囲み、詠唱の隙を与えずに殺すという反撃の手である。彼我の人数差が大きく、歌術の絶対の信頼を置いている術師が相手であるからこそ為せる謀計。


それは歌術師相手に想定以上の効果を見せ、およそ精鋭術師からなる藍国軍を容易く壊滅に追い込んだのであった。


実際は、落馬した術師はそれまでの勢いの慣性から玉突きの玉のように互いの術障壁にぶつかり合い、そのまま押しつぶされていったのである。


歌術師の為した術による障壁が歌術師たちに牙を剥いた結果であり、鴉羽は〝考え無しの女どもお似合いの最期である〟と鼻で笑ったのだった。





舛花ますはな

藍国から北方の墨国に抜ける街道、その最後の要衝たるはなだの街を後詰の環たちは後にしていた。


「ちょっとはマシになったじゃない」

当初に比すれば慣れた様子で手綱を握る環に、舛花が揶揄するように笑いかける。


「まあね、あれだけ乗っていたら流石に慣れてきたよ」

「ふん。そう言って、油断して落ちないことだね」

苦笑いで応じる狐面の男に軍師の少女は鼻を鳴らすのだった。


どうなることかとハラハラしながら見守っていたが、不慣れな乗馬でここまで来たのは大したものであると舛花は素直に感心していた。

そこに、武官の一人が唐突に声を上げた。


「舛花様、鳥文です」

武官が指し示す蒼天に浮かぶ小さな影は、次第に大きく鮮明になって鳥の形をとる。

そして、舛花も鳥の足に結ばれた通信筒の存在を認めたのであった。


この大陸で用いられる連絡手段の一つ、それがこの鳥文。途中で射落とされる欠点もあるが、地を駆ける馬より断然早いため軍事行動では常に帯同されるのが鳥である。

頭上に降下してくる青い翼に、舛花は細い腕を伸ばしたのだった。


筒を外しながら、小さな軍師は彼方の戦場について思案していた。

(そろそろ先行した千草たちが会敵している頃のはず……その連絡と敵情の報告か、はたまた既に反乱軍を殲滅したという報か)


舛花は知る由もないのであった。

それが千草たち攻撃部隊の壊滅を見届けた連絡兵からの救難であると。


そして彼女は畳まれた文を開く。

「……壊滅?」

舛花は紙片を持つ手を震わせながら、眩暈に似た感覚で文字を見つめる。


周囲の音は遠くなり、紙上の文字が眼前で踊り出していた。


(——千草たちが壊滅? そんな馬鹿なことがあるはずないじゃないか。もしかして、これは敵の欺瞞工作か何かなの? はは、こんなので僕を騙せるわけが……いや、でもまさか。仮に本当に千草たちが打ち負かされていたら……後詰めの僕たちはどうすればいい? そもそも救援は間に合うのか? それとも——)


「舛花様、どうされたのですか? 千草様たちに一体何が?」

自失した上官に周囲の兵が声を掛けるも、舛花は応じない。彼女はあまりの衝撃に空回りする思考の沼に陥っていたのである。




但馬環たじまたまき

「……壊滅?」

軍師の舛花が目を大きく見開いた。


少女の口から洩れ出た言葉とその尋常ならざる顔色から、周囲も俄かに色めき立つ。


「舛花様、どうされたのですか? 千草様たちに一体何が?」

舛花には不安そうに問う武官の声も聞こえていないようであった。


環は隣で少女の手中の紙片を覗き込む。走り書きされた文字であるが、これまでの勉強の成果で何とか読み下すことが出来た。


突撃を敢行した千草たちは壊滅的な打撃を受け、今は損耗を抑えるように後退中。至急援軍を求む、という内容であった。


(——千草が危ない⁉)


戦では当然のように人が死ぬ、環にはその覚悟が全くできていなかった。

戦争とはマクロスケールで見ると大きな組織同士が行う交渉の一手段でしかない。しかし、より小さな視点では個人が抱える主張同士のぶつかり合い、譲れないもののための命の奪い合いなのである。


故に千草のように強く、そして近しい人とて、その例外ではないのである。

その当たり前の事実に思い至り、彼は苦悶の表情を浮かべた。


現実から目を晒すように瞼を閉じた。


彼が逃げる場所は一つしかなかった——それは彼にとってのもう一つの現実。

———そして、彼の中の英雄が目を開く。




舛花ますはな

「舛花」

凛とした声が少女を呼ぶ。そのあまりに耳に馴染む音色に、舛花が我に返ったかのように顔を向けた。


「……環?」

視線の先の狐面の男の娘は、取り乱した様子もなく指示を出す。


「君は兵を率いて前進するんだ。僕は先に千草たちを救いに行く。なに、適当に歌術を放って脅してくるだけだ。負傷者を収容する準備を整えておいて欲しい」


「ちょ、ちょっと! 環⁉」

宙空に身を投げた環に、少女の呼び声は置き去りにされる。


彼は彼方に向かって凄まじい速度で宙を駆けてゆく。


狐面の男が為す舞空はまさに飛燕の如し、蒼穹を自在に羽ばたく鳥であった。


(———な、何なのあれ⁉)


しばし瞠目しながら見送る舛花。

だが少女は危急の事態であることを思い出し、唖然としてる兵士たちに差配を始めるのであった。


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