第18話  売れない声優は出陣する

舛花ますはな

軍師である舛花でさえ己が見ているものが容易には信じられなかった。


大陸北東部の一画に位置しているのが藍国であり、隣国から自国への侵攻は通常であればもっと早い次元で知り得るはずなのである。つまりは大陸北端の墨国から各国へ広がりつつある反乱の速度にはそれだけ目を瞠るものがあった。


(おかしい。あまりにも速すぎる)

どう考えても、この拡大速度は各国で戦いながら侵攻しているものではあり得ない。


そして、各地に点在するように地図上に示される軍団規模から、大元の軍勢をあえて分けているということでもなさそうである。新しい軍勢が次々に生まれては統合を繰り返しながら拡大している結果、各地でそれなりの規模の軍が組織されている、というように彼女には見えた。


とはいえ、如何なる道理で反乱がここまで拡大を見せたのか見当がつかないものの、その契機自体は判明していた。


舛花は地図から顔を上げて、環たちに不愉快さを露わにしながら説明を始める。

「この反乱軍の正体は男天道なんてんどうによる大規模反乱だよ」

「男天道?」


「簡単に言ってしまえば、男性優位の社会を夢想する男たちの集まりなんだ。彼らの理屈では、大昔はそれが当たり前の時代であったことと、建国神話においても男神が大きな役割を果たしていることに立脚している。近年の不作を始めとする民が持つ社会不満は、女性が権力を独占していることによるため、男性の社会進出が進めば解決すると説いているね」

「そんな無茶苦茶な……」


「そう考えている馬鹿もいるということよ。男女平等の理想は結構なことだけど、そもそも彼らにそれほどの求心力があり得るのかしら……」

釈然としない様子の桔梗ききょうに舛花が目を向ける。


「どうやら、新しい指導者に依るところが大きいらしい。巷間で流布している情報を集めると、新しい教祖の名は天津あまつと呼ばれていて、高天原たかまがはらにおわす天津神が人の世に下った姿だそうだよ。彼は『女天死す、男まさに立ち、天平す』と唱えて、奇跡を起こすという情報が得られている」


「奇跡を起こす? 一体、何なのかしら?」

桔梗の疑問に、舛花は眉間に皺を作りながら唸るのだった。


「うん。僕もそこがよく分からないんだ。とはいえ、それを見た民衆が神の転生を信じてしまうということだから、何らかの歌術のことだとは思うのだけれど……」

歌術は基本的に女性の声による詠唱でしか発動しないため、男と歌術が結びつかないのであった。しかも奇跡と呼ばれるほどの術なら、なおさら男と繋がりそうもないのである。


天津という教祖が如何なる詐術を用いて人々を惹きつけているのか不明で、拡大する反乱の脅威という結果だけが残されるのであった。


しかし、現在はその解明よりも、藍へと差し迫っている反乱軍への対処が必要である。敬愛する主君の留守を預かる身として、舛花は藍を荒らされるわけには断じていかないのであった。


つまるところは軍を編成して武力で反乱軍に相対するということである。

事態が飲み込めたであろう環の視線を舛花は認めた。

「千草には素早く集められる千を率いて既に出てもらったよ」


ただの武装した民一万程度であれば、千草が率いる千の兵で十分対処は可能である。民兵と過酷な訓練を重ねた正規兵の差はそれだけ大きい。しかし、男天道の求心力は侮れないものあった。実際に衝突するまでの数日間で、膨れ上がる可能性も十分に考えられるのである。


そのための後詰の兵。

舛花は頭の中で素早く兵力を計算し、狐面の男に視線を送る。

「それで、環は僕と共に二千で出るよ」


「……わかった」

名指しされた環は一瞬仮面越しに驚きの色を見せるが、すぐに意を決した声を上げる。






但馬環たじまたまき

「———環、もっと力を抜いた方が良い。そんなに硬くなっているとすぐに疲れるよ」

「う、うん。頭では分かってはいるんだ」

返事こそしたものの、環は舛花の方に顔を向ける余裕がない。


「……はぁ、しっかりしてよね」

自身の微動だにしない様子に、舛花が呆れていることがわかる。

環としても少女の忠告を聞き入れることは吝かではないのであるが、それが出来ない理由があった。


そう、環は今馬上にあるのである。

馬がの蹄が大地を踏み、その振動が体に響く。そして馬の動きに合わせて前後する自身の体を、環は押さえつけるのに必死になっていたのである。


この世界での移動は基本的に馬か徒歩である。

そして今回のような急を要す行軍ともなれば、当然馬が使われる。だからと言って、現代日本で暮らしていただけの彼が馬を自在に乗りこなせるはずがない。


だから、彼も練習はしていた。ついぞ一月ほど前にこの世界にやってきた環であったが、桔梗の〝馬を乗れるようにしておくように〟との指示から、時間のあるときには馬小屋に通いながら練習はしていたのである。


跨っては落ちるという繰り返しを続けたかいもあって、やっと最近走らせることができる、という水準に達したばかりである。しかし残念なことに、行軍ということを考慮すると如何せん技量不足であった。


今環は馬上で微妙な均衡を維持するように懸命に姿勢を保っていた。舛花が助言するように力を抜いてこの緊張を崩した場合、自身が馬から無様に落ちる未来しか見えなかったのである。






【武官達】

そんな狐面の事情など知る由もない兵士たち。

彼女らは環を遠巻きにして、ひそひそと話していたのである。


「なあ、舛花様とお話しされているあの狐面のお方が新しい将か?」

「ああ、名を但馬環様というらしい。何でも萌葱様と浅葱様の口利きがあったそうだ」


「「何だと⁉」」

その事実に周囲の兵士たち一同が目を剥いた。なぜならば、浅葱と萌葱の姉妹は実質的な白群配下の中でも最も信の厚く、実力でも突出した二人であった。その二人が揃って推挙するなど、並大抵の人物ではあり得ないことである。


「……そんなことがあるのか?」

「でも実際にあったことらしいぞ」

「歌術師としての実力は間違いない。環様が千草様を模擬試合で圧倒していたのを私はこの目でしかと見たんだ」


その際の強烈に目に焼き付いた光景を思い起こしながら、一人の兵士が呻くように言う。

「なに、それは本当か?」

「ああ、とんでもなかった。もしかすると萌葱様に匹敵するかもしれない」


「なんと⁉」

単純な頼もしさだけではなく畏怖をも混じった感嘆の声は、兵士たち全員の気持ちを代弁していた。


藤原萌葱——青藍最強の武人『怪力乱神』、その武は大陸でも最も優れた歌術師である六歌仙に匹敵するとうたわれるほどである。萌葱は無類の強さを持つがそれをむやみやたらと誇るでもなく、ひとえに気っ風がいい彼女は武を重んじる兵士たちにとっては憧れの存在であった。


「だが、調練ではお姿を見たことはないぞ」

「どうやら白群様直属で、あの万能の天才桔梗様と共に働いているらしい」

なるほどと、兵士たちは納得し環をまじまじと見つめてしまう。


狐面をしているため表情こそ読み取りづらいが、その新しい将は険しい表情で前を睨んでいるのであった。

兵士たちの中一人が呟く。

「——馬上の佇まいが明らかに違う」


「確かに。遥か彼方にいる敵を睥睨しているようだ」

「環様の中では既に敵方との戦闘が始まっているのかも知れん」

「なるほど、浅葱様や萌葱様が認められるわけだ。まずもって気概が違う」


「きっと自身の姿を私たちに見せることで、気を緩めないように忠告をなさっているに違いない」

兵士たちも互いに頷き合って、口を横に引き結んだのであった。


だがそれは、彼女たちのただの勘違いであった。

前方を睨む環の正体は先にも述べた通り、ただの馬術の経験不足で顔を動かす余裕すら欠いているのである。


環には初めての乗馬行軍であるが、将という建前上、兵士たちの前で無様に落馬せぬように気を張って馬の制御をせざるを得ないのであった。

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