第16話  売れない声優は、皆を奮起させる

但馬環たじまたまき

「——ああ、環。ちょうどよかった」

澄んだ声が、ぎこちなく廊下を歩いている狐面の男を呼び止める。痛みを押して環が後ろを振り返ると、声の主は小さな軍師舛花ますはなであった。


先の訓練から一夜明けて、環は体のあちこちを打ち身やら筋肉痛やらの痛みに苛まれているのであった。

ぎこちない彼の様子に舛花は怪訝そうに眉根を寄せる。

「何それ?」


「……いや、ちょっと」

環は思わず言葉を濁してしまうのにも理由があった。

あの後、彼は練兵を見て驚いたのであった。とてもではないが、あまりの過酷さに自身ではついていけるが気がしない。彼女たちにとってはその運動量が当たり前となっている中、己は千草と少し鍛錬しただけで、全身が音を上げているとはどうしても言い出しづらかった。


「まあいいよ。白群様から大きな連絡事項があるから、あんたも来るんだ。ふん」

舛花は鼻を鳴らして、ついて来いとばかりに歩き始める。




* * *




少女に案内された場所は、藤原白群の私室ではなかった。

青色や基調とした煌びやかな内装が目を引く広大な空間。正面のひと際高いところには玉座が据えられ、おそらく謁見などの際に用いられる格式が高い場所であろうと、一見して環は見て取った。


緩みなく張り詰めた空気に当てられ、環も背筋を伸ばす。

多くの官吏が集い控えている中、ひと際存在感のある人物に目が行ってしまう。居並ぶ武官達の中で藤原萌葱もえぎは腕を組んで、黙して瞑目を貫いている。千草も隣で、萌葱に倣っているようである。


文官方に目を向けると、桔梗ききょうがこの場を押し包む緊張感などどこ吹く風といった様子、紙束に携帯用の筆記具で何やら書きものをしている。

ふと顔を上げた桔梗の視線がこちらを捉え、環に気づいて手招きした。


「あんたはあっち」

桔梗の方を顎でしゃくって示し、舛花は前方に歩き去ってしまう。


取り残された環は、よく分からないまま桔梗に合流したのである。僅かな距離であるが、その道中で環は何人もの官に胡乱うろんの眼を向けられていることに気づき、心中気まずくなっていた。


「ああ、環君。君の場所はここよ」

「あの桔梗さん、これは?」

「朝議ね。そういえば、君はここに参加するのは初めてだったかしらね」

思い出したかのように言う桔梗、に環は首肯を返した。


「まあ、基本的にはただの連絡事項の共有の場よ。今日はどうやら急ぎで知らせたい事があるようよ。おそらくあまり良い知らせでは無さそうね」

そう言って彼女は、眼鏡の奥の形の良い眉をひそめた。


正面の扉が開き、藤原浅葱あさぎの鋭い声が響く。

白群びゃくぐん様、ご入来!」


浅葱を後ろに伴い、座するべき玉座へと進む白群の姿は正しく英傑だった。

静寂の中に刻まれるその一足一足が自信に溢れ、その身に宿る覇気は場を支配する。彼女の存在感はこの場に集った才気溢れる者たちに比してもなお一線を画すのであった。


皆が一斉に膝をつき、圧倒されていた環も慌ててそれに倣った。

そして、白群は玉座の前で足を止め振り返った。翻る衣の向こうの揺るぎない眼差しに目を奪われる。


玉座に就いた白群は視界に平伏している者達を収め、口を開く。

「皆揃っているようだね。立ってかまわないよ」


彼女の許しを合図に全員が立ち上がった。

「いつもならそれぞれの進捗報告を聞くところではあるけど、今日は違う。重要な連絡事項があるから皆に集まってもらったんだ」

そう言葉を区切り、静かに周囲を見渡した。


「……では、早速本題の悪い知らせから行こう。朝廷に放っていた細作から連絡があった。帝が崩御した」

ざわりとした空気の震えを環は肌で感じる。


「追って正式な通達があると思うけど、中央の官位を持つ僕と浅葱、萌葱は紫菫しきんの都で喪に服することになる。故にしばらくこの青藍を空けざるを得ない。皆に僕たちの留守を任せる」

その一言の重みに全員が飲まれてしまう。


短い期間とはいえ、白群、萌葱、浅葱という屋台骨を欠いた状態で、国を維持しなければならない。平時であれば何の憂いもないであろう。残される者達とてそれだけ優秀である。


しかし世を覆う不穏な兆しが遂に形になり始めていた。

蠢動し始めていた者も、これを機にいよいよその威を示さんとするであろう。現に隣国の墨国では小規模な反乱が起こっているという話を耳にしていた。


特に萌葱、浅葱と武力方面に突出した二将の不在に、予想されていたとはいえ皆不安を隠しきれず、舛花や桔梗ですら表情を険しくしていた。


白群は皆の憂えた様子にその端正な眉根を僅かに寄せた。


英傑の密かな憤りを環は感じ、彼は静かに瞑目したのであった。

そして藤原白群以外にもう一人、不安ではなく不満によって仮面の下に顔をひそめる者が現れることになった。


(——なんだこの無様は、気に入らないな)

その者の痩躯から放たれる存在感が周囲を圧し始める。

突然の覇気に当てられた武官達が何事かと環の方に目をやり、次いで文官達が気づいたように狐面の奇女に視線を向けた。


ここに居並ぶ俊英たちは、主君が何年もかけて集め選りすぐった人材。

彼女達が白群や浅葱、萌葱の一時の不在でこうも腑抜けを晒すなど、あってはならないことである。


藤原白群が歩む場所こそは天下、なればこそ彼女を頂きと仰ぐ配下の進むべき道は示されているも同然。一時の主君の不在など足踏みする理由にすらならない。


それを思う環は、周囲の官たちの無様な反応に腹が立って仕方がなかった。ふと天を仰ぎ白群と目が合うと、彼女は不遜な笑みで目を眇める。


主の思考を忽ち理解した環も同じように薄い笑みを浮かべたのであった。


再度白群が口を開く。

「それでは次に良い知らせだ。我が陣営に新な者を招き入れることにした。もう既に知っている者もいると思うが、かの者は浅葱と萌葱、両将の推挙を受けた歌術師。そして、現在は詠官府で歌術の研究に当たらせている。さあ但馬環、前へ」


狐面の男の娘はその身から漏れる覇気で周囲を撫でながら悠々と歩みを進め、玉座の手前で膝を折る。


「環、君から皆に向けて何か言っておきたいことはあるかい?」

「それでは、しばらく青藍を空けられる白群様や浅葱殿、萌葱殿に対してでもよろしいでしょうか?」


「僕たちに?」

僭越せんえつながら」

「いいよ、聞こうじゃないか」

主の許諾に、環は口の端を吊り上げて笑う。


「白群様方がご不在の間、これを好機ととらえた輩との衝突が起こるかも知れません。そこで青藍に残された我々が戦功を挙げ過ぎたとしても決して恨まないで頂きたい。おそらく、浅葱殿や萌葱殿の分は残らないかも知れません」


その挑発的な態度に多くの者が目を剥く中、浅葱と萌葱は愉快そうに口元を緩め、舛花や桔梗も己の本分に思い至ったようで不敵な笑みを浮かべる。


「ふふ、ははははははははは」

そして白群はさも痛快そうに声を上げた。


不遜ともとれる環の態度は白群を含め誰も咎めない。武官の連中は彼女の威勢の良さを買い、文官たちは狐面の女が自分たちに発破をかけて不安を吹き飛ばそうとする面白い人物と捉えたのであった。


「それじゃあ、皆頼んだよ」

「「「はっ」」」

一同の返答には、先ほどまでの憂慮は微塵もない。


むしろ食らいついてきた相手をそのまま食らってやるという気概が満ちている。白群はその様子に満足そうに頷いたのであった。





黒檀こくたん

大陸北部に位置する墨国。

いくつもの河川が山間をうねるように走り、人々は小さく点在するような平地に住み山と川を行き来する。そのわずかな平地に位置する都に今、危急の事態が訪れていた。


突如として巻き起こった男達の反乱は驚くべき速さで国全土に波及し、この墨国国都濃墨こずみすら脅かしていたのである。


黒檀は主命を受けて、反乱軍の鎮圧に乗り出した墨国の大将軍である。

かつては先帝と共に鬼獣を駆逐するために駆けた武人の一人、その功績を以て仙として据えられた彼女は今なお妙齢の若さを保っていた。


黒檀は彼方から迫る軍勢を望遠鏡のレンズ越しに睨み、鼻で笑う。

「——烏合の衆だな」


「さようですね。練度も装備も陣列も、何もかもがなっていません。ただ徒に数に任せて押し寄せて来るだけに見受けられます」


将軍の言葉に副官が頷いた。

「数で勝負が決まるのは、平野部において兵の質が対等な場合のみです。私たち相手には悪手ですね」


「ああ、さっさと首謀者を討ちとり、男達には我らに逆らうことが無駄であると叩き込む必要があるな」

「もう出ますか?」


「うむ、とっとと終わらせてしまいたい。討ち取るとはいえ、元は領民だ、最小限の犠牲で済ませよう」

「はっ」




 ×   ×   ×




黒檀率いる墨国が誇る歌術師隊が敵軍勢へと馳せる。

狙いは首謀者がいるであろう、『天』と記され掲げられた旗印。手綱を握る手に力を込めながらも、墨国の猛将は嘲るように口の端を吊り上げてしまった。


(何ともまあ、愚鈍な動きだ)


相手が歌術師であれば既に術の応酬が始まっており、鬼獣であれば打ち合った斬撃が火花を散らしている頃合いである。この距離まで詰められて、何の防御策も応じてこない彼らはただの的以上の何ものでもない。


意に違わず、突撃した墨国軍は男達を物ともせずに跳ね飛ばしながら、敵陣を深々と貫いていく。


術師とそうでない者の力の差はそれだけ隔絶している。

術による堅牢な障壁を纏ったまま衝突するだけで、十分なのである。男達の攻撃など術師の身に届くはずがない。


(思った通りの有象無象だな。このまま、首謀者のところまで抜くか。——ん?)


しかし、途端に手勢の突貫力が落ちたことに黒檀は違和感を覚えた。気づくと高密度の人海、男達の十重二十重の壁によって阻まれつつあったのである。


強引に進もうとするも、馬の速度は落ち、遂には脚が止まってしまう。騎馬の膂力に上乗せされた術の力に、男達の人海戦術が拮抗した結果であった。


とはいえ馬の脚を止めたに過ぎず、馬上の術師は依然として健在。

術師たちは冴えた剣技で男を切り捨て、歌術の神威で周囲を蹴散らす。彼らの流す血が、血風となり戦場を吹き抜ける一方的な虐殺である。


これが烏合の衆たる男達と、正規軍たる女の圧倒的な差であるはずだった。だが、一向に馬が進めない状況が黒檀を焦らせる。


(おかしい、男達が減らない⁉)

数が多いとは言え、倒せば倒すだけ隙間が開くはずであるが、それが全く変わらないのである。


そして彼女は瞠目したのであった、眼前の戦場に男達の骸が全くないことに。

訳が分からないまま目の前の一人を横凪に切り捨てるが、数瞬の後、その男は何事もなかったかのようにまた立ち塞がるのであった。


(———何なんだ⁉ なぜ起き上がって来るんだ⁉)

倒しても、倒しても、彼らは何事もなかったようにその傷を癒し、立ち上がってくるのである。


次第に多勢に無勢で立ち回る黒檀たちの集中力の方が途切れがちになってくる。

その不意を打たれて女達の一人が槍で突き殺され、また一人が剣で切り殺される。


(くそっ、一体どうなっているのだ⁉)

不死なる軍勢相手に毒づく将を後目に、櫛の歯が欠けるように次々と配下の兵が失われていくのである。


墨国軍は男たちの大軍勢と数の勝負を演じるほかないのであった。

僅かな時を経て、猛将黒檀の奮戦虚しく墨国歌術師たちは、武勲も無く、矜持も示さないまま男達の波に飲まれたのであった。


そして、墨国は反乱軍を指揮していた天津あまつの手に落ちた。

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