第15話  男たちが動き出す

淡藤あわふじ

銀月の淡い光が人影を照らし、扉に髪を結った女の影が結ばれる。それは環が郊外の廃村で救い出した女、淡藤であった。


捕らえられていた家屋の隙間から彼女が垣間見た紅蓮の神威。

それはまさしく、災いの神が起こした大破壊であった。


記憶に深く刻まれたその焔の熱量に、淡藤は恍惚とする。ものが壊れていくことにその本質は宿る、彼女は破壊という事象に魅了されていたのである。


淡藤は深夜、たまきの私室の扉に手を掛けたのだった。

押し開いた暗がりの中から漏れる寝息を聞き取り、淡藤は薄く妖しい笑みを浮かべる。日中の戦闘訓練で疲労困憊した環は寝間着にも着替えず、寝台に身を投げ出していたのである。


彼の傍らで歌術師の狐面に隠された顔を陶然と眺め、彼女はさらに笑みを深める。

彼女にとって歌術は人生を縛る鎖でもあり、自身を愉悦へと導く標でもあった。


そんな淡藤に手を差し伸べた破壊の具現者たる但馬環こそ、正しく神の祝福なのである。狐面を目元に頂く神秘、艶やかな濡羽色の黒髪を愛おしげに見つめ、淡藤は自身の体の奥の疼きを感じる。


(ああ、環様。あなたの在りようは何て素敵なんでしょう)


そして、彼女は環の寝台へと滑り込んだ。

隣に横たわり、仰臥する環に背を向ける。神聖な玉体に自身が触れるのはあまり不敬、彼女は女神の鼓動をその背に感じるだけで十分だった。


熱い息を吐き、幸福に目を閉じる。

(あなた様ならきっと、いろいろなものを壊していくに違いありません。ふふふ、楽しみで仕方がありません)





但馬環たじまたまき

手に感じる違和感に環は微睡みながら目を開く。


右手が温かく柔らかな物に触れており、彼は確かめるように指を動かした。手中でもにゅもにゅと弾力で応えるそれに、環ははてと疑問を覚える。


「——んっ」

途端に上がる艶声に、環の意識が急激に覚醒した。


視界には寝間着の女の胸元へ伸びる自身の腕、そして女の乳房に食い込む自身の指。不可解な光景は彼の思考を飽和させ、数瞬の後に驚愕に吼える。


「ええええええええええええ⁉」

即座に飛び起きた環は、今度は昨日の訓練により破壊された筋繊維がもたらす極度の痛みに襲われ、またもや絶叫したのである。


「あら?  環様」

騒々しい環に目覚めさせられたのか、隣で寝ていた女、淡藤あわふじも目を開いた。


「あ、淡藤。何で……?」

「おはようございますわ」

困惑した環に微笑む淡藤は、寝間着を着崩したまま体を起こした。艶めかしい彼女の肢体が着物の間から垣間見える。


「どうしましたかぁ⁉」

そこに最悪のタイミングで闖入者が現れた。

勢いよく開いた扉から姿を現したのは金春こんぱるである。少女は環の叫びを変事と判じて駆け付けたのであった。


(……あ、ああああ、ああああ)

社会的な死を覚悟した環であったが、金春の反応は予想外であった。


「なあんだ、驚かさないで下さいよぉ。ぷぷ、お兄さんも隅に置けませんねぇ」


現代日本の感覚からすれば、救った側が救われた弱者を手籠めにしたように見えるはずであるが、この世界の常識ではそうはならなかった。処女性が重んじられないこの世界では、夜這いを行うこと自体は咎められることでは無く、むしろごく普通に行われていることだった。だからこそ、金春はこれを単なる夜這いと片付け、気に留めなかったのである。


杞憂だったとばかりに去っていく金春の後姿を、環は茫然と見送ったのだった。





青平義塾せいびょうぎじゅく

青平義塾、それは弱者たる男達にも学問を授ける一私塾であった。


学問を身に付けることで、男女関係なく能力で世に貢献すべし、その高邁なる理想は、現世を厭う男達が流れ着き、塾生が増加するに従い過去のものとなり果てていった。


男達ばかりが寝食を共にする、村ほどもある規模の建造物群。

そして特筆すべきは、山から川を流れ下る黒砂を用いて膨大な量の鉄を生産していたのである。むせ返るような熱気の中、男達が掛け声とともに板を踏み、ふいごを動かすことで炉の温度を上げる。義塾の製鉄所ではこの世界ではまだ珍しい鋼を精製していた。


製鉄作業を見下ろす石造りの一棟、そこで男が二人言葉を交わしていた。

「そうか、らん国の研究が露見したか」

「はい、げん殿も討たれたと」


若い男からの報に、霜鬚そうしゅを撫でつつ老人は悼むように目を閉じた。

「……面白い男だった。そして惜しい男でもあった。奴はこと歌術の理を解明しようとすることに関しては天才的だった」


「聞き及んでおります。玄殿のお蔭で詳しい効果が測定された歌術もかなりあると」

「うむ」


「その成果を以て女どもの軍勢をことごとく打破することが、玄殿への手向けとなりましょう」

そう言って、青年は聡明そうな眼差しを細める。


「……そう、そうであろうな」

老人も自身に言い聞かすように言葉を紡いだ。


「玄殿の研究が押さえられたということは、術の研究が明るみに出たということになります。一刻も早く動かれた方が良いかと」

「うむ、男天道なんてんどうへ檄を飛ばし、行動を起こすように伝えよう。そして我々も立ち上がる時であろう。鴉羽からすば、おまえは藍国を受け持ってはくれまいか?」


「若輩の私がですか?」

「経験の多寡ではない。儂が睨むに藤原白群が治める藍は殊更手強かろう。人が集い、物が寄合い、知が練られ武が鍛えられる。隔絶した厚みをあの国には感じる。なればこそ、鴉羽。おまえがこれと当たるべきだ。軍略の才は塾内でも並外れている」


「分かりました、老師様。そこまで評して頂けるのでしたら、私めが藍国攻めの指揮をとらせて頂きます」

「ああ、任せたぞ」

老師と呼ばれた翁の期待に、鴉羽は深く頷いたのだった。




男天道なんてんどう

天を衝く頂に常に白雪を冠る男山、ぼく国北端にあるこの山は大陸の最高峰。

その裾野には大きな神宮を中心とした榛摺はりずりの門前町が広がっていた。


この街の廟堂こそが古事記に記された男神たちを崇め祀る男天道の本山である。

その最奥、本殿にて文を手にした少年が急ぎ足で歩く。

天津あまつ様。青平義塾せいびょうぎじゅくより決起を促す文が届きました」


「おぉおぉ、遂に機は熟した。世の益荒男ますらお達に我々が祝福を届けるときである。地を這う彼らには私が愛を以て抱擁しよう。世の真なる理は常に争いの中で生まれるもの。さあ、闘争を始めるときである!」

自身の屈強な体躯を掻き抱き、天津と呼ばれた巨躯の偉丈夫は歪んだ笑みで高らかに宣言する。


彼こそが象徴、彼こそが旗幟。

男天道と呼ばれる信仰の教祖となった男。


男天道——もとは日本神話の男神を賛美し、女尊男卑な社会の歪みを揶揄するちっぽけな集団でしかなかった。


だが、今やそれは昔の話。現在は男女比が圧倒的に男性に偏るこの世界で多くの男の信仰を水面下で獲得し、信者数の爆発的な拡大を続けていた。

なぜならば、教祖の巨漢が唱える胴間声の祝詞には神力が宿り、この世ならざる力を具象させる。


大男は不治とされる病を癒し、失った手足すらも立ちどころに治す。

他の類を見ない歌術はまさに奇跡。

彼を神が遣わせた使徒と崇めた男たちは今や全国に散り、その神秘を啓蒙し、彼の愛を説いているのであった。


そして遂に、女の天下に屈し続けた男達の開放を歌う大反乱が始まるのであった。



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