第14話 売れない声優は兵士たちに恐れられる
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模擬戦の後、環は千草から術を応用した戦い方を学んでいた。
萌葱と千草の立ち合いから、彼はいたずらに術を乱発する単調な戦術を改めたのであった。特に千草が見せた動き、迫る攻撃から間合いとる技術がまずもって必要であると判断したのだった。
「あの宙を飛ぶような移動方法を身に付けた方が良いと思うんだけど、どうかな?」
「なるほど。萌葱様のように歌術自体を切って捨ててしまうような相手には、とにかくその刃に捕まらないようにすることが鉄則です。そのために、風に乗る練習をするというのは的を射ていると思います」
彼の考えに千草は頷く。
「ではさっそく練習しましょう」
「はい、千草先生おねがいします!」
意気揚々と返事する環に、少女ははにかんだような笑みを浮かべる。
「ふふ。よろしくお願いします、環さん。えっと、簡単に言うとですね。風塊を自身にぶつけてその勢いで飛ぶということです。では手本を見せますね」
千草は詠唱とともに跳躍し、器用にも風塊を足裏で踏むようにして風が生み出した勢いに乗る。そして華麗に宙を舞い、いとも簡単に離れた場所に着地したのだった。
食い入るように見ていたからこそ理解できるが、彼女の動きも尋常ではない。もはや曲芸の領域、卓越した体捌きの為せる軽業である。
(えっと、これひょっとしてすごい難しいのでは……?)
これを模倣することなどできるのだろうか、と及び腰になる環。
「はい、じゃあやってみてください」
微笑んで促す武官の少女に、彼は狐面の下に渋面を作る。
自身が彼女と同じようにできるヴィジョンが全く浮かんで来ない。しかし、指南役から水を向けられれば、ひとまず挑戦しないわけにはいかないのであった。
「———風拳!」
祝詞を口にして、その矛先を自らに向ける。
途端に全身に大きな圧力を感じ、体躯が地面から引き剝がされる。あまりの衝撃に周りを見る余裕すらも無い。
大地から解放された体が風を切る感覚、そして直後、環は背中を地面に強かに打ち付けた。手足を大の字に投げ出し、無様な呻き声を上げる。
「ぐ⁉ うう……」
「大丈夫ですか、環さん⁉」
駆け寄った千草の小さな手を取り、環はなんとか半身を起こした。全身の鈍い痛みに、思わず顔をしかめてしまう。
「うう。何とか。ただこの練習法では身が持たないよ」
「そうですね——」
少女もどうしたものかと顎に手を当てたのであった。
しばし休憩を挟んだものの、環は痛む体を引きずって再び挑戦するのであった。
「うーん、環さん。地面に反射させるなどして練習してみてはどうでしょうか?」
千草の提案に環はなるほど頷く。
術の威力を低減させることは、確かに道理。本来の威力の歌術で稽古に励むなど体がいくつあっても足りないだろう。
「だとしたら、詠唱中に音程を外す部分を作るとかもいいかも知れないね」
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「だとしたら、詠唱中に音程を外す部分を作るとかもいいかも知れないね」
「えぇと、それはなかなか難しいと思いますが……」
千草は狐面の男の思い付きに言葉を濁す。
実際に和歌のどこをどのように変更すれば適切な威力が得られるかなど、見当すらつかない。それを訓練に取り入れるなど、出来ようはずが無いのである。
しかし、総当たりでそれが為せてしまうのが環の高速詠唱であった。
歌の音程を僅かにずらしながら威力を調べ始める環に、千草は目を瞠る。
聞き取れない速度で何事かをぶつぶつ呟き、彼はその手で絶え間なく逆巻く風を弄ぶ。少女は自身の眼前で行われる怪奇、常識外れの光景をただ茫然と眺めてしまうのであった。
そして、同時に腑にも落ちたのである。
彼は来て早々、血統のみを拠り所とするとされた歌術の再現に成功したのであった。
〝こういうことか〟と一人理解の色を浮かべた千草はいつの間にか狐面の女装男子が詠唱をやめていたことに気づく。
(ん? どうしたのでしょうか?)
少女が見つめる中、環が唱えると、ふわりと彼の体が滑らかに宙を滑り、3メートルほど後方に着地したのであった。
先ほどまでの危うさなど微塵も感じさせない、完全に制御下にある動き。
そして、それを繰り返して男は感触を確かめたように頷く。
「うん、これくらいかな」
満足した様子の環に、千草は動揺を隠せないのであった。
(もう習得したというのですか⁉)
そしてこの後、更なるの驚愕が彼女を襲う。
狐面の男は宙に身を躍らせた数瞬の内に再度詠唱を完成させたのである。地に足がつく前に軌道を側方に転じさせる空中での方向の転換。彼はさらに詠唱を重ね、都合三度唱えることで方向を変えながら繰り返し宙空で体を舞わせる。
そのあまりの異常に千草は絶句した。
連続して風塊を自身にぶつけることで移動し続ける。理屈はシンプルだが、これは常識では測れないほど困難なもの。
宙に体を泳がす刹那の間に祝詞を唱えること自体がそもそも不可能。加えて、空中に身を投げている状態では通常時と同様に発声・発音するというのが人体の構造上難しい。
しかし環は、これらを慮外の極めて高い水準で達成しているのであった。
無論のこと、千草はその所以を知らない。これらは環がかつての世界で鍛え磨き上げた上げた声真似と早口言葉の力量に裏打ちされていたとを。
(私はいったい何を見ているんでしょうか……)
眼前に繰り広げられる現象に理解が追い付かない。
目を擦るが、少女の目にはさらに復唱し宙空を自在に舞う狐面の男の姿が映る。
彼女にただ一つ分かること、それは少なくとも己やその周りの者たちでこれを為せるものはいないということであった。
大地に降り立った環がこちらに笑顔を向ける。
「千草、お陰様で何とかなりそうだよ、ありがとう」
「……い、いえ」
言い淀む少女の背に冷たい汗が伝う。
気が付けば環相手にひどく緊張を感じている自身がいた。
彼自体は人の良さそうな青年であることを、千草も疑ってはいない。しかし、少女には今の彼が人知を超越した術師、神性を宿した稀人のように映ったのだった。
そんな千草の内心を推し量るでもなく、彼が立ち合いを乞う。
「間合いをとる練習したいから、申し訳ないけど千草は攻撃役をやってくれないかな?」
【武官達】
この世界の国が有する正規兵は全て女性で構成されている。
それは偏に女にのみ歌術の神威が許されているためであり、それを前提に軍が組織されているが故であった。
そのために、選抜された女たちは訓練が課され、軍事行動に必要な行軍や布陣の訓練、個々には武器の扱い方だけでなく歌術の練度も求められる。
特に使用頻度の高い歌はある程度絞られているため、どの国でも共通している。だが、桔梗と白群により設置された術式となる和歌を管理するための特務機関詠官府、ここに環の参画により歌術が復元されるに至り、藍国では新たに術式を行使するため部隊編成が進んでいた。
通常の部隊では武器による武力の補助としての歌術に重点が置かれているが、試験部隊では術に特化した殲滅力を目指したのであった。
しかし、兵士の中から詠唱が得意な者を浅葱が選抜したものの、環の眼鏡に適う者は僅かであった。それもそのはずで、祝詞を紡ぐ滑らかさや習得術式数の多さを即ち巧者と定義していた武官たちに、環が重要視する声質は慮外であったのである。
結果として、環は高音域に伸びがある声を持つ数人ばかりを選び抜いたものの、彼女たちは術師とは未熟であった。そのため、部隊とは決して呼べないような少数を今
「———風刃!」
朗々と祝詞を吟じる桔梗の声に応え、逆巻く風が具象する。
轟音の中に不可視の刃が唸り、対象を切り刻む風が為す斬撃の音。周囲に風圧が及び、見守る女たちの髪が靡く。
彼女たちの上官の千草が得意とする歌術。当然知ってはいるが、それは誰もが使えるわけでは無い術式であることも確かであった。
それを難なく唱えた教官は、その眼鏡に固唾を飲んだ女たちを映して不敵に笑う。
「諸君、今日から君たちには、さまざまな歌術の詠唱訓練をしてもらうわ。つまり抑揚、語調、語勢、音程、これらを正確に真似してもらうというわけね。そしてまず習得してもらうのは、君たちも知っている風の刃の歌よ」
「まさか風刃の和歌を己が訓練することになるとは思わなかった」
「まったくね」
桔梗からの教導を終えて思い思いの感想を口にする女達。城内を歩きながら話す彼女たちは、これから練兵に合流しにいく最中である。
「それにしても、風刃の術は限られた血統のみに許された和歌であったはず。それを練習するというのはどういうことかしら?」
「桔梗様が唱えられていたところを見ると、血統云々というよりいかに適切な唱え方を習得するかという方が重要なんでしょう」
「なるほど、考えてもみなかった。流石は天才の発想だ」
「どうやら環様という方が新しく陣営に加われたことが影響しているようだ」
「見たことないな。どのような方だ、それは?」
「私もお会いしたことはない。何でも狐面を着けられた凄腕の術師。歌術の腕は千草様をも凌ぐとか」
「まさか、そんなことはないでしょう。そもそも実際に試合をされたのか?」
「いや、部署が全然違うはず。環様は今は桔梗様の元で——」
そこで彼女たちは練兵場の片隅で立ち回る人影を認め、一斉に歩みを止めた。
それは模擬戦を行う狐面の女と上官の少女の姿。
狐面の女に千草が鋭く踏み込む。
地を疾駆する少女の矮躯が風圧で急加速して間合いを詰め、腰だめに構えていた刀で薙いだ。
引き絞られた筋力は神威の風に後押しされ、高速の剣閃となって狐面の女に迫るのである。
見入った兵士たちの誰もが必中を確信する一方的に過ぎる攻防。
しかし、上官の剣は空を切った。
対する狐面の女が剣の軌道を見切ったように後方に跳んだのである。
追いすがる千草の連撃は無駄がなく流麗。目にも止まらぬ剣戟を一体誰が躱すことが叶うのか。
しかし、兵士たちにそうまで思わせる剣技の冴えはその全てが届かない。
女も応じるように宙を滑り、身を躱すのであった。
中空で為される軽業じみた回避の舞踊、達人をあざ笑うかのように舞空する狐面に、兵士たちは瞠目してしまう。
一体何が行われているのか、彼女達には理解すらできない。
一人が愕然としながら呟く。
「——あれは、何なんだ?」
「分からない。でもあれが——環様か」
その声には畏怖が滲み出ていた。
ひらりひらりと宙を舞う環の挙動は、向けられた剣戟の悉くを退ける。字義通り、千草は一度として環をその刃圏に捉えられないでいた。
これが自身ならどうなるかと、彼女たちは考える。おそらく刹那の間に距離を詰められ、千草の鋭い一太刀で敗北を余儀なくされるに違いない。仮に、守護の術を唱えていたとしても、初撃が防げるだけで、返す刀の二刀目で同じ運命を辿ることだろう。将に任じられる千草の技量はそれほどの高みにあった。
その少女の将が必死の形相で追いすがるも狐面の女はそれ全く寄せ付けないのである。そこにはまるで大人が赤子を相手に手を抜いていなしているような、隔絶した実力差が感じられた。
眼前で演じられる浮世離れした光景は兵士たちの心胆を寒からしめるのであった。
「何てことだ……」
「あの千草様が打ち合うこともできないなんて……」
その間にも千草は環との間合いを再度詰めようとするが、狐面の女は同じように躱わす。
しかし今度は、千草が挙動を転じた。少女の歌術が宙に跳んだ環を狙ったのである。
「おお!」
「やったぞ!」
歌術は、刃の為す剣戟とは訳が違う。
藤原
今度こそ彼女達は敬愛する上官の少女の勝利を確信したのであった。
しかし、風刃の歌術は狐面の女を捉えようと牙を剥くが、彼女も同様の術を即座に放って相殺する。
それを見ている兵士たちに戦慄が走った。
(——馬鹿な⁉)
皆目見当がつかないものの、どうやら女は少女が詠唱を終わらせた後から詠唱を始め、確実に術を割り込ませるように発動させてしまうことができるのである。
迫る神威を見定めた後から新たな術を割り込ませる神速の詠唱。
それが可能なのが但馬環、それを理解し、彼女たちはただただ無言で顔を見合わせたのだった。
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