第13話  売れない声優は戦い方を学ぶ

但馬環たじまたまき

歌術を用いての戦闘訓練を白群びゃくぐんから課せられていた環。

桔梗ききょうは実験を続けたそうにしながらも、先日の襲撃から彼に衛の力を持たせることに納得したのである。


環はこれまでにも戦闘を想定した歌を覚えこそしたものの、それだけで彼が十全に扱えるわけでは無いことは明らかであった。だからこそ桔梗は渋りながらも環を、萌葱もえぎに託したのであった。


そう、訓練の相手は藤原萌葱であった。


少し抜けたところもあるが、萌葱は藍国の中で誰もが一目置く武人、浅葱と並ぶ武の双璧、二枚看板の一枚であった。並外れた膂力で振われる神器の大剣は全てを断ち切るとうたわれ、およそ武勇で環が迫れるとは思えなかった。


朝の調練を終え、肩を回しながら歩み寄ってくる萌葱。

「——おう、環。研究の方は順調らしいな、頑張ってるじゃないか」

「うん、桔梗のおかげ成果も出ているよ」


「ははは、謙虚なやつだな。どれ今回は私が直々にしごいてやろう、手加減してやるから心配するな」

からからと笑う萌葱に環は頭を下げた。

「うん、よろしくお願いします」


環は眼差しを鋭くして、間合いをとって離れていく萌葱の後姿を睨む。

彼女の鍛えられた体躯から陽炎のように揺らめく闘気。


萌葱相手に土を付けられるとは思わないものの、彼は内心で自身が善戦できることを疑っていなかった。

影距えいきょと呼ばれる鬼獣の群れを相手どれる詠唱速度、そして教わった新しい術式。


早い話が、息つく暇なくひたすら歌術を連発すればいい筈である。身体能力が高かろうが、突き詰めれば剣士。

間合いがあれば攻撃力を有する歌を詠み、距離を詰められれば術の障壁を展開する。このシンプルな繰り返しは、剣士にとって破り難い法則となるのである。


「ふっ」

萌葱は不敵な笑みを浮かべて、背負っていた大剣を軽々と抜き放つ。

陽光に輝く刀身の威容——その圧倒的な存在感はまさしく神器と呼ぶにふさわしい。人の背丈ほどの刃渡りに、環は思わず見入ってしまう。


「ほら、どこからでもいいぞ。好きにかかってこい」

肩に剣を乗せ、余裕の笑みを萌葱はこちらを向けた。


「お兄さぁん、ファイトですぅー!」

「環さん、頑張って下さい!」

少し離れた場所で見ている金春こんぱる千草ちぐさの声援が環の背を押す。


そして、環の口元が高速で動いた。

「——————風拳!」

轟音と共に奔る風の塊は、離れたところに佇む少女たちの髪を揺らす。

風圧を操作して大気の塊を打ち出す歌術。


その打撃力は、いかに萌葱の頑健な体といえども無視できまい。仮に常人がその身に風塊を受ければ、その勢いのままに何メートルも放り出されてしまい、一撃必殺とはいかないまでも一時的に戦闘不能にするのに十分な威力であった。


しかし、萌葱は鼻を鳴らしただけで、避けようともしない。

「ふん」

迫りくる術を見据え、大剣を袈裟切りに凪いだ。

あろうことか剣で断たれた大気圧はその威力を減衰させ、萌葱の肌を撫でるに留まる。


環は女傑が為したことに目を剥いた。

(なっ⁉ 術を斬るなんて⁉)


しかし思考を驚愕に染めきることなく、環は詠唱を続けた。

高速で唱えられる祝詞は、速射砲のように神威を次々と顕現させる。


立ちどころに生み出される歌術が嵐となって萌葱を襲った。

だが、これすらも彼女は目にも止まらぬ鮮やかな剣舞で応じる。その姿は術理の嵐の中で踊る麗しい戦乙女——その相貌に浮かべた歓喜、誰もがその破格の舞踏を目に焼き付けるのであった。


試合っていた環すらも、思わずその姿に詠唱を止めてしまう。

それを中断の合図と受け取って、再び大剣を肩に乗せて萌葱は唸る。

「うーん。詠唱が速いのは良いが、それ以上ではないな。他にないのか?」


「……ほ、ほか?」

「他は他だ。分かるだろう」

「いや、分からないけど」

〝何だと! あぁ、もう、上手く説明できん!〟と、面倒そうに萌葱は頭をがしがしと掻くと、踏み込む姿勢を見せる。


「今度はこちらから行くぞ!」

 大上段に構えられた大剣。

人間の一足はせいぜいが1メートルにも満たず、勢いをつけたとしても2メートル。つまりは萌葱が術を斬りながら距離を詰めようとしても、それにも時間を要する。


(刃圏に入れられる前に畳みかけるしかない)

環はそう断じて、高速詠唱で近づけさせまいとするのであった。

しかし、そこで想定外のことが起こる。


(へ⁉)

気づいたらとしか言えないが、既に萌葱が眼前に迫っていた。


「————氷壁!」

環は目を瞠りながらも咄嗟に白氷の守護を唱えたのだった。

斬撃や打撃を十全に防ぐ氷の絶対防御壁。


だがそれは顕現した刹那の内に拳に砕かれる。そして直後、陽光を弾いてキラキラと輝く氷粒の向こうに振り下ろされる大剣が姿を現した。


慌てて身を引こうとして尻もちをついてしまい環。彼の鼻先に突きつけられた剣先は試合の終了を告げたのだった。

口をパクパクとさせている狐面の男の娘を見て、萌葱は嘆息しながら大剣を地に突き立てた。


「ふーむ、そもそも戦い方がなっとらん。お前、歌術師の戦いを見たことが無いのか?」

「えっと……無いよ」


環が絞り出した言葉に、萌葱が吠えた。

「なんだ、それを早く言え! まずは手本を見ろ。おい、千草、環に手本を見せてやれ!」

萌葱は声を張り上げて、自身の副官を呼びつけるのだった。







千草と入れ替わり、今度は環が外野から観戦することになる。

「お兄さん、お疲れ様ですぅ」

金春の労いに環は苦笑した。


「はは、手も足も出なかったよ」

「それはそうですよぉ。なんせ萌葱様はこの藍国で最も強い武人。普通はまともな勝負になりませんってぇ。歌術師の立ち回りを覚えたら、もう少しいい勝負になるかも知れませんよぉ」


「歌術師の立ち回りって?」

「まあまあ。千草を見ていればわかりますぅ」

そう言われて環は対峙する二人に目を向けるのだった。


「手加減してやる。千草よ、本気でこい」

「はい、御指南よろしくお願いします」

開始の合図は萌葱の踏み込みからだった。裂ぱくの気合と共に大地を蹴り砕いた萌葱は、弾丸のように高速で地を滑る。

(———⁉)


あれが先ほど己に向けられたものであることは想像に難くない。

外野から見ても速すぎる疾駆は、向き合うとまさに瞬間移動と見紛うもの。


しかし対する千草はそれを慌てずに迎えた。

移動の物理量を上乗せした大上段からの打ち下ろしを細い刀で払い、下段から返す大剣の一閃は、刀身に滑らせるように逸らした。


次いで女傑が放つ高速の突きを、少女は体位を捻り転じさせて躱す。

萌葱の膂力とまとも打ち合えば、千草の細刀など即座に折れてしまうに違いない。

少女の戦い方は相手の怪力を如何にいなし、正面からぶつからないかというものであった。


さらに四合、五合と萌葱の豪剣と高速の打ち合いを演じ、遂に千草の祝詞が具現する。

「———風拳!」

彼女は風塊を萌葱に向けず、自身の足元に放ったのであった。

巻き起こる砂塵に萌葱が飛び退った。


大地で反射した風塊は威力を減衰させながら術者に向かい、千草はそれに踏み乗るように十メートル以上も瞬時に後退した。

二人を分かつ距離は当初よりもずっと広い。


離された距離を詰めようとする萌葱を少女の歌術が襲う。

乱れ舞う風の刃を大剣で悉く断ち、獰猛な笑みを浮かべる萌葱の視界に影がよぎる。


いつの間にか千草の方から駆け出し距離を縮めていたのである。

少女を迎えるは女傑の剛撃、しかしその剣閃は空を切った。


千草の姿はほどけ空に溶けるように消えてしまったのである。否、それは圧縮した空気が可視光を歪ませ見せた虚像、数瞬の蜃気楼であった。


そして、現れた実体は既に萌葱をその刃圏に捉えていた。

お互いを見定めて振るわれる剣閃。

再開される打ち合いは加速し、その剣戟は剣光の綾を為す。


その時は唐突に訪れた。


一合の度に速度を増す萌葱の剣速に、千草が付き合いきれなくなったのである。

正中に刀身を引き戻せない千草に萌葱の大剣が迫った。


しかし、これこそが少女が狙い定めた勝機。

口中で最後の一節を詠じ術理を解放する。


「———風拳!」

具象の風塊は女傑の大剣を横から殴打し、その風圧ゆえ剣閃の軌道が逸れた。

そして、萌葱が大剣を引くよりも、初動に勝った千草の刃が断然早い。


少女の剣光が萌葱に狙いを定めた。


しかしその時、萌葱が行ったのは千草をして予想しえない曲芸めいた回転運動。

颶風に逆らわず、勢いのまま高速に体を捻り、乱転しながら大剣を振るったのであった。


これらは刹那の出来事。


環には両者の勢いが交わったかに見えたが、刀剣が交わる金属音はしない。

刃同士が触れ合う寸前に両者は動きを止めていたのであった。


「——参りました、萌葱様」

千草が玉の汗を浮かべながら降参する。このまま打ち合えば、千草は刀ごと両断されていただろう。


「うむ。千草よ、腕を上げたな」

涼しい顔で萌葱が笑い、こちらを振り返った。


「どうだ、環。参考になったか?」

「え、えっと」

(いや、そんなこと言われても……全然何やってんのか分からなかったよ……)


環にとってそれは慮外の速度で行われる運動の連続であったのだ。

千草の間合いを制して隙を伺うという戦法は環にとって間違いなくヒントになるものであったが、二人が為した模擬戦の動きを理解できるはずがなく、彼としては困惑した顔で応じざるを得ないのであった。


「うん、すごかったよ」

「そうかそうか。まあ頑張れ」

彼の様子など微塵も気にした風もなく、萌葱はからからと笑いながら環の肩をばんばんと叩くのであった。


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