第12話  藤原浅葱はため息を吐く

【 藤原浅葱あさぎ

主と仰ぐ藤原白群びゃくぐんは浅葱にとっては従妹に当たる。白群とは既に長い付き合いであり、浅葱自身は最古参の配下と言って過言ではない。それ故、主のことをそれなりに知っていると彼女は自負していた。


浅葱から見て、藤原白群はやりたいことをやりたいようにやるという、良くも悪くも型にはまらず時に図りきれないことを為す人物であった。だからこそ主の目指すものを共に目に焼き付けたいと、鮮烈に惹きつけられるのである。


しかし一方で、飽きると政務を放り出して行方を眩まし、国主としてはどうしようもないところもある。そして浅葱は、感覚的にそろそろ白群が閉口している頃合いであろうと案じ、様子見も兼ねて主の執務室を訪れたのであった。


「白群様、浅葱でございます」

「あぁ、浅葱かい。お入り」


「はっ」

こちらに薄い笑みを浮かべる白群の姿が目に入る。

肩口で揺れる髪が採光窓からの差す陽光を淡く反射し、凛とした眼差しが浅葱を見据えたのであった。


「どうしたんだい、浅葱?」

思いのほか真面目に仕事をしている様子に浅葱は安堵する。


「いえ。そろそろ白群様が政務に飽かれている頃かと思いまして」

「ふふふ、まったくもってその通りだね」

いつもの柔らかい笑みで肯定しつつも、その主の双眸は不満を投げかけてくる。


「浅葱は何か面白い提案してくれるのかな?」

「残念ながら今回はご期待に沿えそうにありません」

そう言って、彼女はさらなる書類の束を白群の机上に置いたのである。それを白群は憮然とした面持ち迎えるのだった。


「浅葱、少し勘案事項が多いんじゃないかい」

「これでも舛花ますはな桔梗ききょうが加わり、大分楽になったはずですが」


「比較の問題じゃないよ。僕の感覚としてはもっと現場の判断で決めてしまって良いと思うんだ……」

白群はつまらなそうに深く息を吐いた。


「確かに改革の余地はありましょう」

「そろそろ法で国主が一切の決裁をしないと、定めることを真剣に検討したくなってきたよ」

「ご冗談を。それではこの藍国に白群様が敷かれた法が損なわれますよ」

「もっともだ。今にして思えばもっと遊びを残したものにしておけばよかったね。まあ、それもそのうち改定しよう」


白群は国主に任命された当時、形骸化していた藍の法を刷新し上意下達が徹底されるように、整備し直したのであった。重要な事項は彼女やその側近達が直接的に決定権を持つ現在のやり方は、素早くかつ正確に物事を決定できる点で当時は必要であった。


その反面、当然のことながら考えなければならない案件は国の発展に伴って指数関数的に増えていく。そのために、権限が少しずつ下位の官に移譲することを舛花が進めており、文官の育成が急務になっているのである。


この一切の経緯について環は知り得なかったが、彼はここに白群の見解を再現して見せたのであった。


「文官の養成が進めば、それも少しずつ改善に向かいましょう」

「そうだね、彼女の手腕に期待しようか」


「では、懸命に働く部下の手前、白群様も決裁を進めなければなりません。先ほどお渡しした軍予算の書類もお願いします」

「ははぁ、そう来るか。しょうがない、可愛い部下の頼みだ、確認しておくよ」


「はっ、お願いいたします」

浅葱は頭を下げて、白群の前から辞したのであった。








日も沈み、夜の帳が下りきった頃である。

蠟燭の灯りを頬に受けながら、自室で書物に目を通している浅葱は何者かの来訪を聞きつけたのだった。


走り寄る脚が砂利を踏み、次いで〝浅葱、いるよね!〟と慌てたような呼び声が上がる。戸を開けて顔を覗かせる浅葱が目にしたものは、膝に手をついて肩で息をする舛花であった。


「どうしたのだ、舛花?」

「はぁはぁ。浅葱大変だよ、白群様が城を抜け出されている!」

「何だと⁉ どういうことだ⁉」

少女に思わず詰め寄ってしまいそうになる。


敬愛する主の悪癖——退屈すると姿をくらましてしまう、これは臣下として頭痛の種であった。

だが、今日はそんな素振りはなかったのだ。それに近衛や門衛にも主が単身で出ていくのを止めるように言い含めてある。その彼女達から連絡が無いのも解せない話であった。


——一体、どうやって行方を眩ましたのだ?


浅葱は足早に少女の後を追いながら、その話に耳を傾ける。

舛花によれば、夕餉の前の湯あみを共にしようと主の元へ向かったところ、どうもいつもと様子が異なり、白群が頑なに固辞し続ける。そこで、不審に思った舛花が質したところ、白群の代わりにそこにあったのは主に扮した環であった。


愛する主人と湯を共にせんとしていたら、それが別人だったのである。

舛花の愕然は想像に難くない。常なら意識を手放してもおかしくない彼女であるが、少女を繋ぎとめたのは主君の身に案じる理性的な判断であった。そして、白群を探すのであれば浅葱に任せた方が良いと即座に結論付けたのである。


兎にも角にも、浅葱も環に直接確認しなければならない。そして、両者は主の私室に飛び込んだのである。

「やあ、二人とも。どうしたんだい、そんなに慌てて」


「……おまえは環なのだな」

「ふふ、その通り」

あたかも主君の語り口調で振舞う件の人物は、自身が偽物であることは否定しない。


「あんた! ボクをだましたね!」

「待て、舛花よ。これも白群様の指示で環がやっていることだろう」

隣で舛花がキンキンとした声で環を謗るが、それを浅葱は制す。


環は目を眇めながら、頬杖をついて愉快そうにこちらを眺めているのであった。

「流石は浅葱。僕のことを良く分かっているね」

「むっ。なぁ環よ、そろそろその演技をやめてくれ。こちらもやりづらくてかなわぬ」

白群さながらの笑みを浮かべる環に、浅葱は困り顔を向けるのだった。


「うん、わかった。ゴメンね二人とも。白群様には可能な限り、影武者を続けるように言われていたから……」

狐面がない分違和感があるが、眼前の人物が但馬環に戻ったことに安堵した浅葱。


そして彼女は環を続けざまに質すのだった。

「はぁ。それでいつから入れ替わっていたのだ?」

「うーん、お昼くらいからかな? しばらくしたら浅葱が来たよ」

浅葱は昼過ぎのやり取りを思い浮かべ、思わず歯噛みする。


(そうか、あの時には既に⁉)


そして、同時に環のあまりの影武者の完成度に戦慄してしまうであった。

出会った頃こそは雰囲気がやや異なるところを感じられたが、今や古参の自分ですらもう見破ることができないのである。


「白群様の指示通り続けてはいたけど……流石に女の子と一緒にお風呂に入るわけにはいかないよ。それは舛花に悪いと思う」

なるほど、さしもの環も湯あみの段になって隠しおおせないというのもある。だが、舛花への配慮から代役を続けることを良しとしなかったのであろう。いかにも彼らしいところである。


「それで、白群様はどこへ行くとおっしゃられていたか?」

「街で遊んでくるそうだよ」

「まったくあの方は……」

はあ、と浅葱は深く息を吐き出し、瞑目して額に手をやる。

大方、街を遊び歩いているであろう主人を、これから探し出さねばならないことを思うと既に頭が痛い。


とはいえ、白群がこうして勝手に城を抜け出すのは珍しいことではない。

最初こそ白群の安全を優先して抜け出されないように、見張りを厳としたこともあったが、白群の抜きんでた身体能力を考えると、単純な見張りでは荷が勝ちすぎる。それに、ただの暗殺者に不覚を取るような君主ではない。そのため、抜け出されてしまったら、探すという対症療法を繰り返さざるを得なかったのだ。


そして今度は環に自身の身代わりを任せ、こちらが気づくまで時間を巧妙に遅らせにきたのである。

何とも身勝手で手の掛かる君主であった。いや、だからこそ。その常識に囚われない飄々としたところに皆が惹きつけられているのであろうか。


浅葱は見張りについている兵士たちに向かって大声で叫ぶ。

「誰かあるか!」

「はっ」

駆けてきた兵たちに浅葱は主君の逃亡を伝え、待機している人員も駆り出しての捜索を指示したのである。






但馬環たじまたまき

城下に繰り出して昼食をとっていた環たち、そこで彼らは並外れた怪奇を眼にしたのである。

向かいの席の桔梗ききょうは大きく目を見開いて手に持っていた箸を落とし、金春こんぱるは小さな口に咥えていた肉の切り身を離してしまう。


二人の反応を訝しんだ環。

その驚愕に染められた視線を追って、環が振り返った先にいた影は——


——女中姿の藍国国主、藤原白群びゃくぐんその人であった。


互いに交差する視線。

片や食事処に客として座す環たち、片や向かいの宿で従業員として店先を掃き清めている白群のものである。


 愉快そうな白群に、環もあんぐりと口を開けた。


(——どうしてこうなったんだ⁉)


この邂逅が過日の再演だとすると何とも締まりのないものであったが、少なくとも白群の微笑は、今回は仕返しとばかりに環を驚愕せしめたのである。







【 藤原浅葱あさぎ

一晩を過ぎてようやく見出された主の姿。浅葱は就寝せずに待ち構えていたが、兵士からの報告を聞いて目を瞬かせてしまった。

「……何だと?」


「そ、それが。宿屋で掃除をしておりました」

「はぁ?」

報告に来た者によると、藍国の主は宿屋で下働きしているところを発見されたのであった。


賭け事でってしまった白群は借金のかたに腰の愛刀を取り上げられてしまったらしい。身分を明かして踏み倒すわけにもいかず、かといって配下が目を怒らせて待ち構えている城に取って返すを良しとせず。正々堂々と、女将に押し付けられる雑用に甘んじていたらしい。


剣豪と呼び声高いその手で、楽し気に箒を振り回していたところを見出されたのだった。


改めて聞いても脱力を禁じ得ない内容に、浅葱は深いため息を吐いたのである。

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