第10話 売れない声優は原石を発見する
【 胎動する者たち】
仲間たちに襲撃を託し、玄は一人の若者に指示を出す。
「あなたは義塾へ向かいなさい」
「わ、私もやれます」
「あなたがやれるやれないの問題ではありません。ここの露見は今後に影響するのです。仮にそうなった場合に備える必要があります。だから、あなたが今から義塾に向かい、それを伝えなさい」
諭された若人は不承不承ながら頷き駆けていく。
玄はそれを見て、やれやれと望遠鏡を覗くのであった。
最も警戒すべきは武人の女であるが、得物が見当たらない。はてと覚えた疑問も些細なものだと断じてしまう。なぜなら、それ以外の面々も歌術は扱えるだろうが、急襲を防げるような武装には到底見えなかったからである。
「ついていますね」
玄は小さく幸運を言祝いた。
女達が帰り支度で背を向けた好機が合図となった。
弩弓につがえられた毒矢が標的に牙を剥く。塗り込められたのはキンポウゲの猛毒、矢が掠りさえすれば、全身麻痺からは逃れようがない。
矢羽根が風を切る。
既に歌術での防衛は不可能な距離にまで矢が迫り、玄は必殺を確信した。
(なっ⁉)
しかし、彼の思惑は裏切られることになった。
武官は何処からか取り出した二槍で脅威の悉くを打ち落とし、小柄な少女は並外れた体術を以て矢を払う。その信じ難い光景に玄は手を震わせた。しかしその悪夢が現実であることを、望遠鏡がレンズの向こうに映し出している。
双槍を振るう麗人の心当たりに玄は冷たい汗を流した。
大陸広しと雖も、おそらく彼女しかいまい。藤原白群が有する二枚看板の内の一人——二本一組の神槍を自在に操る知将、『二槍麗人』こと藤原
そして、同志たちの振るう刃を受けてさえ物ともしない少女、あの小さな武人の防御力は歩く要害と名高い『
こんなところで出会うはずのない、藍国の並外れた武人たち。
玄は襲撃の失敗を悟り、強く歯噛みした。
(——実験施設は完全に放棄です。実験道具の女は惜しいが、この際連れ出すことは叶わないでしょう)
女の処分を意に決し、顔を上げた玄は空の煌めきに目を眇める。
直後、到来する激痛に細い目を大きく見開いた絶叫したのだった。
「がぁあああ!?」
それは飛来した神槍に体の正中を貫かれ上がった、最期の咆哮であった。
【
浅葱たちが襲撃者の亡骸を検分している傍で、環は目を背けていた。
代わりに辺りを見回し、廃墟の中に隠れ紛れるように空いた空間が目にとまる。その違和感に、彼は
「桔梗さん、あれ。何か変じゃないですか」
環の指さした先を睨み、桔梗も頷く。
「ふむ、確かに。行ってみましょう。
「はぁい」
金春を先頭に近づきながら、環は違和感の正体を掴んでいた。
痛んだ廃材が掃き寄せられたように作られた不自然な空白、そしてそこに残る大地の傷跡。それは次第に既視感へと変わっていく。
これはまるで……
「——歌術の演習場ね」
環の疑念をピタリと言語化した桔梗に、金春も共鳴する。
「確かにぃ。お城の地下に似てますねぇ」
「ここであの男たちが歌術の演習をしていたというのか?」
解せないとばかりに首を捻る浅葱の意見はもっともである。
この世界において歌術を行使できるのは環を除けば女性のみのはずであった。その基本的な理を前に、男たちと歌術の演習というのがどうしようもなく結びつき難い。
「建物の中も見てみましょう。ここは最近誰かが使っていたみたいね」
周囲の廃屋を眺めていた桔梗は新しい轍の跡に気づく。
とある廃屋に足を踏み入れた環たち、そこで彼は出会ったのである。
猿轡をされて縛についた美しい女。
その大きな瞳が環たちを見上げていた。
「おい、大丈夫か?」
「ひっ」
浅葱の伸ばした手に、女は恐慌の声を漏らして身を捩じる。
「む」
慌てて手を引いた浅葱は困惑したように顔をこちら向けた。
環は膝を折り女性を見つめる。
「大丈夫、俺たちは君を助けに来たんだよ」
諭すように語り掛けながら、環は彼女の縛る縄を解いたのであった。
「大丈夫?」
「……は、はい」
(——えっ⁉)
問われて応じた女性に環は身を硬くした。
彼は彼女の声に驚愕していたのである——女の声は彼の知るとある有名声優に酷似していた。その声はまさに変幻自在、高低だけでなく細太すらをも自由に扱い、幼女から老女の声まで違和感を覚えさせずに演技する卓越した才能。
そして、彼は彼女の骨格を見て理解した。つまりは、この女人こそはその潜在能力を持っている可能性が高く、研究を後押しする存在になり得ることを見抜いたのである。
「桔梗さん、この人をお城まで連れて帰っていいですか?」
「聞きたいこともあるし、それは問題ないわ。でも何だい環君、こういう女の子がタイプだったりするのかい?」
悪戯っぽい笑みを浮かべる桔梗。
「はい」
「「えっ⁉」」
桔梗も金春も環が顔を赤らめながら、慌てて否定すると予想していたのである。しかし、冷静に首肯する狐面の男に今度は二人の方が驚かされてしまう。
「まさか、ホントに……」
「この人は声がとても良い。可能性を感じます。あくまでも俺の直感でしか言えないんですけど、この声質ならかなり多くの歌術を扱えると思います」
期せず玄と同じ理由で環はこの女に目を付けたのだった。
彼女は扱える歌術の多さから、男達の実験に無理やり使われていたのである。
「……あ、ああ。そういうことか。つまり君は、この女を歌術師として才能を見たということだね」
「はい」
【 藤原浅葱】
藤原浅葱先の視察報告をするために
その後ろには桔梗と環も伴われている。
「白群様、失礼いたします」
「ああ、入ると良い」
主君の許可に入室する三人に、白群の視線が環に注がれた。
「おや、そちらは環かい?」
「はい、俺です」
「ふふ、いい男ぶりじゃないか」
狐面女装姿に微笑む白群に、環は困ったように肩を竦める。
そして白群が浅葱を質した。
「それで、浅葱?」
「はっ。桔梗から報告がありますれば」
「急ぎの要件かい、桔梗?」
「いや、そうでもないわ。でもあなたが聞いたら喜ぶことだと思うわ」
相変わらずの不遜なもの言いで桔梗は不敵な笑みを浮かべる。
彼女の些か礼を失した態度が浅葱には気になるが、白群は彼女を盟友として遇しているため差し出口は控えていた。
「———まさか
双眸を大きく見開き、驚いたかのように問う白群。
失われた術式を再現する、それは前人未到の奇跡である。
側近の浅葱から見ても、主が驚くということはなかなか珍しいのだが、但馬環という稀人が来て以来、それが立て続けに起こっていた。
「ええ」
頷いて応じる桔梗に、白群は手を叩いて高らかに笑う。
「あはははははははは。それは凄い」
主の哄笑を聞きながら、浅葱は静かに目を伏せるのだった。
桔梗に、環、彼女たちは主を押し上げ、その覇道の助けになるだろうことは間違いない。
しかしと、彼女は胸の奥に小さく燻る不安を意識せずにはいられなかった。
但馬環——彼の扱う力は大き過ぎるのではないか、いつしかそれが自分たちに向けられるのではないか、と。
だが、浅葱はそれを杞憂であると飲み下し、白群に未知なる襲撃者について報告するのだった。
「白群様、気掛かりなことが。実は此度の実験中に襲撃者が——」
かくして、浅葱は己が主に国内で襲撃を受けたこと、そして襲撃者の男達が歌術の研究をしていたようであること、そこで女人を保護して連れ帰ったことなどを詳らかに語ったのであった。
「なるほど。報告ご苦労様、浅葱」
「はっ」
(———もしや、既に見通されていたのだろうか)
余裕の表情を些かも崩さない白群を見て、浅葱は主が暗躍する者達の存在をどこまでも想定していることに考えが至ったのである。
「環、君は戦闘の訓練もすること。萌葱に話は通しておくよ」
「は、はい……はい⁉」
「白群様、環君に研究以外のことをさせるの頂けないわ」
急に白群に水を向けられた環が驚き、そして桔梗が不服そうに眉根を寄せる。
「これは必要なことだよ。残念ながら桔梗の要求でもこれを変えるつもりはない」
「そう、しょうがないわね」
目を閉じて諦めたように息を吐く桔梗に白群は微笑む。
「環には復元だけでなく、いろいろな術式を覚えさせておくんだ。あぁ、それとその保護した女人は桔梗、君のところで使ってくれて構わない」
「はいはい、わかりましたよ」
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