第9話  売れない声優は賊に襲われる

但馬環たじまたまき

「——これに乗るんですか?」

有角の騎獣を見上げて環は呻く。


隆々とした筋骨はあまりに力強く、およそ環が知る馬とは似ても似つかない。

「分かるわ。私も向こうで乗馬経験はあったけど、これに人が騎乗して操れるとは思えなかったもの。馬というより巨大な牡牛よね」

隣で相槌を打つ桔梗ききょう金春こんぱるは不思議そうな目を向けた。

「ふぁ? これ以外に馬があるんですかぁ?」

「ふふ。何でも無いわ、金春」


少女の頭を撫でながら話を濁す桔梗に、環は問いかける。

「も、もしかして俺も乗るんですか? 正直なところ乗馬経験すらありませんよ」

「馬に乗るために厩舎に来ているんだから、当然君にも騎乗してもらう。ただ、君が十全に扱えるとは思っていないわ。そのために助っ人を呼んだから、安心しなさい」

「……助っ人ですか?」


「ああ、私だ」

環の不安そうな呟きに応える声が彼方から上がった。

厩舎への闖入者、長髪を揺らしながら颯爽と歩み寄ってきたのは藤原浅葱あさぎであった。


「ほわぁ⁉ 浅葱様ですぅ」

浅葱の登場に金春は大きな目を丸くする。

なぜならば、青藍において浅葱の為すところは大きい。武では萌葱もえぎ、文では舛花ますはなや桔梗の名が筆頭に上がるが、そのどちらにも長け、両者の知識や感覚を求められる業務は浅葱に集中するのであった。


一例であるが、萌葱が作成した滅茶苦茶な予算書の意図を汲み、舛花が納得するような予算案に書き換えたり、逆に桔梗や舛花が求めるものを感覚派揃いの武官連中に行わせたりなど、ありとあらゆる者が彼女を頼みにしていた。


高い処理能力を以てしても、浅葱は常に複数の仕事を抱えざるを得ないのであった。

そのため、桔梗も彼女の登場に少しばかり意表を突かれたのであった。

「まさか浅葱が来てくれるとはね。他の仕事は大丈夫かしら?」


「白群様に視察するように命ぜられてな。それに私も歌術の復元にはもともと興味があったんだ。だから今日は妹に押し付けてきた。いつも私が面倒見てやるばかりだからな。こういう時くらいは役立ってもらわなくて姉妹甲斐がない」

「なるほど、それは良い。萌葱も机に齧りつけば、少しは浅葱の有難みが分かるだろう」

 浅葱が浮かべる涼やかな笑みに、桔梗も愉快そうに応じるのだった







「環、後ろに乗れ」

馬上から浅葱が狐面の女装男子に手を伸ばした。

その手を掴み、引き上げてもらった環は何とか彼女の後ろ跨った。しかし、想像以上の揺れが彼の気を動転させる。


「わっ、わっ⁉」

「私の腹に手を回すんだ、桔梗を手本とすると良い」

隣では、桔梗も小さな金春を後ろから抱くように手を回していた。

浅葱の呼びかけに従って、姿勢が安定するとやっと一息つくことが出来る。


「——ちょっとぉ。桔梗様ぁ、ダメですよぉ」

「くっく、ここがいいの? はむはむ」

ふいに困ったような声を上げる金春。

目を凝らすと桔梗が金春の耳を口に含み舐っているのであった。それを見て浅葱がげんなりした声を出す。


「……環よ、あれは真似しなくてもよい」

「うん、それだけは分かる」


深い溜息の後、浅葱は手綱を振るう。

「では行くぞ、金春も付いて来い!」

「ふぁい!」


城下の街を出ると浅葱が駆る騎馬が風を切り始める。

馬が刻む振動に環は腕に力を込めたのだった。


騎馬は林立する木々を悠々と抜け、既に使う者もいなくなった街道跡へと躍り出る。

騎馬の疾走に環は翻弄されながらふと気づいたのだった——浅葱の首筋から漏れる甘やかな香と、彼の体を柔らかく撫でる髪の存在を。


環は己を弄ぶものが不慣れな乗馬だけでないことに気づき、道中ずっと平静でいられないのだった。





【藤原浅葱】

浅葱は腕を組んで遠巻きに狐面の女、否男——但馬環を眺めていた。

いや、それは浅葱だけははない。桔梗や金春も環からやや離れた位置取りをしている。


それもそのはずで、環たちが今まさに完全復元の一歩手前まで来ているのが、こと絶大な威力を唄われた業火の歌であった。その火勢ゆえ、桔梗は居城の地下空間での実験継続を断念し、より広く秘匿可能な演習空間を求めたのである。


それが今、浅葱たちが佇む、かつて鬼獣の脅威によって廃村と化した村跡であった。

桔梗の首肯が合図となり、狐面の男は高らかに神威を問う歌を詠む。

「——————————————————————火之迦具土の槍!」


眼前に巨大な紅蓮が立ち上り、それが今度は地を這って空間を飲み込んでいく。

紅炎の発する煌々たる光が浅葱を照ら出し、空気さえも焦がすような熱が離れた彼女の肌をも焼こうとする。


その熱とは対照的に己の背中に冷めたい汗の流れを感じた。顕現した途轍もない神威が彼女を戦慄させたのである。

(……恐ろしい。これが火之迦具土の歌か)


「駄目ね。文献の記述にある火力にはまだ足りないわ。こことここ、それとここの詠み方を変えて頂戴」

桔梗は首を振りながらそう断じて、記録簿を捲りながら修正を求めた。

「分かりました」


(まだこれで不完全なのか⁉)

平然と応じる環に、浅葱は驚愕を深めた。

繰り返される業火の具現と桔梗の修正要求。

まざまざと見せつけられているからこそ、浅葱には明確だった。


このような術を為す者が相手では、数の力は意味を為さない。ただただ無残に焼き払われるだけであろうと。仮に戦場で相対したとき、敬愛する主君の守護を果たせるだろうか、という自問に答えを出す。歌術がなし得る神威には、同様に歌術で対抗する他ない。


歌術の専門機関である詠官府を提案した桔梗の洞察と、但馬環という人間の特異性。この両者が自陣営にある幸運を、浅葱は感謝していた。


不意に浅葱に走る肌が粟立つ刺激。

環が詠い言祝ぐ火炎の祈りに、何かがかちりと嵌るような感覚は、術理発現の前兆。

「——————————————————————火之迦具土ひのかぐつちの槍!」


「「「⁉」」」

大地を焼き、空気すらも焦がす紅蓮の火炎に、視界が赤く染まった。

獄炎に飲まれた木々は瞬く間に超高温の業火に巻かれ、灰燼と散っていく。形を保つ消し炭すら無く、大気を局所的に熱対流せしめる陽炎の痕跡が残るばかりであった。

まさに地を焼く破壊の奔流、空すら歪ませる火炎の極致。


それを呆けた顔で見つめる浅葱たち。

——術理完全復元の瞬間であった。







【 胎動する者たち】

青藍からやってきた一行を監視するか者たちがいた。

木立に溶けこむように身を隠す男たち。


彼らは環たちの奇行を最初こそ訝しんでいたが、それが歌術に関する実験と思い当たると、徒に手を出すことなく見守っていたのであった。

しかし、狐面の女の歌術は彼らを驚愕せしめ沈黙を破ったのであった。


「——何だ、あの術は⁉」

「見たことも無いぞ、げん殿あれは?」

男たちは口々に狼狽の言葉を吐き、神経質そうな男を質す。


玄、線が細い壮年の男はこの隠された施設で秘密裏に歌術の研究を任されていた俊英であった。

「あれは——火之迦具土の歌の記述と一致しています。だがそんなはずは……」

看破しながらもその正体を認め難いとばかりに、玄は震える手で眼鏡に触れる。


「して、火之迦具土の歌とは?」

「鬼獣戦役の時代のことです。六歌仙第一仙『灰燼太后かいじんたいごう伯林青べれんす、現帝が用いた歌術。火炎を生み出す術式の中で、最も破壊に特化したものです。ですが、彼女の以外の担い手はなく、既に無くなったも同じとされている和歌です」


「そのようなものが何故……」

「藍国の中には我々同様に、神々が編み込んだ歌の中に理を探ろうとする者たちがいるようですね。しかも並外れて明哲。失われた術式を再度構築してしまうとは、脅威以外の何ものでもありません」


玄が鳴らした警鐘は、男たちの脳裏に最悪の光景を結ばせる。

挙兵した男達の大兵力を容赦なく焼き払う地獄の業火。

無論彼らはそれを許容できるものでは無いと断じて、誰ともなく顔を見合わせると、一行への襲撃が決まるのだった。


男たちの決意に玄は一つ頷いて、口を開く。

「あの指示を飛ばしている女が研究者でしょう。それと狐面の詠唱者、この二人だけは無事に返してはなりません。この先の戦局に関わります。仮に失われた歌術の復元が可能だとすると、今後どんなものが投入されうるのか想定すらできません」

頷いた仲間たちを後目に、〝……四人か〟と玄は胸中で呟いた。


彼女たちはただ郊外で歌術の試射に来ただけであろうが、それが運の尽きになった。遠目に見て護衛と思しき武人は一人。

詠唱者を含めても二人。


大した兵力ではないことに玄は感謝していた。詠唱の隙を与えず人数で押せば、問題なく討ちとれるはずである。そう女たちを睥睨しつつ玄は判断したのであった。






【 但馬環】

実験の成果を抱えて騎馬に向かう環は、突如響いた金属同士が打ち鳴らされた不協和音に振り返る。


どこから取り出したのか分からないが大振りの二槍を構える浅葱と、彼女の足元に散らばる矢の数々。


環は遅れて自身が襲撃されていることに気づき、背筋を凍らせた。

「浅葱様!」

「うむ、気を付けろ毒だ!」

金春の警戒の声に浅葱が首肯する。


見れば金春も桔梗に迫る矢を手甲で弾いていなし、足で蹴り上げながらも器用に零れ出る毒の雫を避けるのだった。

「桔梗、こちらへ。金春やつらを頼めるか?」


「お任せあれぇ」

浅葱の声に従った桔梗が双槍の庇護圏に入ったことを目にして、金春は走り出す。

少女が標的となるも、地を滑るようにジグザグに疾走する矮躯は狙い撃つことが容易ではない。そして計らず彼女を射線に入れた矢も、その手甲に音を響かせ弾かれるのだった。


矢の中を躍る少女。

翻るスカートの下に垣間見えるすらり引き締まった脚——そこから生み出される瞬発力で金春は襲撃者との距離を瞬く間に詰めるのだった。


驚愕に顔を歪めながらも素早く抜刀し、迎え撃たんとする男達も素人ではあり得ない。


振り上げる刀にも躊躇なく躍り出た金春。

そして少女に男達の乱刃が迫る。


両者が交差した。


思わず目を背けてしまう環、しかし彼に届いたのは金属同士がかち合う耳障りな打撃音。

目を開くと、視界には複数の凶刃に捉えられえた少女。


(——ああ、金春が⁉ ……ってあれ?)


そのいずれもが金春に届いていない。

いや、身に届いているのものの刀傷をつけていないのであった。


その光景に目を瞠る環であったが、刀で切りつけた男たちの衝撃はその比ではなかろう。つまりは、研ぎ鍛えられた刃の切っ先よりも金春の素肌の強度が勝るのである。

「馬鹿な⁉」

「……『鉄面六臂てつめんろっぴ』」

襲撃者の一人が漏らした呟きに、金春がにやりと口の端を吊り上げる。


「正解ぃ」

金春眼前の男と距離を刹那の間に詰め、得物を弾き、拳を素早く男の鳩尾に叩き込む。


些かも淀みない動作だった。

これら全てが瞬きの間に行われ、襲撃者は呻き声を上げて、ぐらりとその体を傾かせた。


次いで矮躯を沈めながら回転し、しなる鞭のような脚が風を切る。放たれた回し蹴りは刀を折り砕き、男達を跳ね飛ばしたのであった。


(金春、すごい⁉)

少女の隔絶した強さに目を奪われていた環に、桔梗が口を開く。

「見ての通り。金春は強いでしょ」

「驚きました。俺はてっきり金春は桔梗さんの雑用係のようなものだと思っていました」


「君は見る目がないわね。いや足りないのは考えかしら。あまり実感できていないのかも知れないけれど、詠官府はその重要性ゆえ機密性も高いところよ。そこにただの雑用係が存在するわけがないでしょう」

「桔梗さんのことだから、金春が可愛いから傍に置いているのかと」

口をついて出てしまった本音に、桔梗は気を悪くした様子もなく微笑む。


「なるほど、一理あるわね」

「認めちゃうんですか⁉」

「まあ、なんせ金春は白群様から取り上げた人材だからね」

「へ?」


「金春はもともと白群様直属の近衛、動く防御壁、人呼んで当代の『鉄面六臂』。戦闘力だけで言ったら萌葱や浅葱に匹敵する実力者よ。私が知識を捧げる代わりにボディーガードとして金春をつけてくれるように頼んだのよ。だってどう見ても金春は私の好みだったからね」

「は、はあ」

環の呆れたような声にも桔梗は平然したものである。


「それで白群様は承諾したということですか?」

「ええ、随分と苦い顔をしながらね。まあ、現代日本の知識を上手く運用できる私を留めおくにはそれだけの価値があったということでしょうね。そしてそれは少なくとも先見の明がある選択だったわ」


自信に満ちた桔梗らしい言。彼女の場合はそれが成果で裏付けられている分、白群も文句を言えなかっただろうことは想像に難くない。







足元に転がる男達の中に事もなげに立つ少女の姿。

十人以上もいた襲撃者を軒並み薙ぎ倒して、金春が手を挙げた。

「こっちは終わりましたよぉ」


「ご苦労だったな」

そう労って、浅葱は片手の槍を宙天へと投擲した。

槍は宙で急激に軌道を変じ、高台へと飛ぶ。


数瞬の後に上がる断末魔、それを聞き届けた浅葱は虚空へ〝戻れ〟と命じた。どういう原理か、くるくると回転しながら飛来する片槍が浅葱の手に戻る。

「覗き見ていた者も倒した。さて、我々の刃を向けた意図を問い質すとするか」

倒れ伏す襲撃者に歩み寄った浅葱は端正な眉を顰めた。


「……金春、全員殺してしまったのか」

「まさかぁ。気絶させただけですよぉ——って、あれぇ?」

応じた金春も即座に気づく、全員が絶命していることに。


「苦悶に歪んだ表情と血色から判断して神経毒ね。服毒死でしょう。一体何なのかしら?」

桔梗の疑問に浅葱も頷いた。


「ふむ、ただの賊とは考えられないな。あちらも調べておこう」

丘を見上げた浅葱。

彼らはそこで一人の男を目する。槍に体腔を穿たれ仰臥する男は既にこと切れていた。

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