第25話
突然の結婚報告を済ませたアレックス兄さんは、「エルの体調に合わせて一緒に来たんだ」とエルマリカさんと書店に来た理由を言いはしたが、僕にはどうでもよかった。
書店に来た理由も、子どもができたことを報告したかった二人が急遽、時間が空いた今日の昼以降に書店に行くとビクター兄さんに伝えたらしい。
だけど、どこで間違えたのか、僕には昼に来ると伝わってしまったのが、大遅刻の原因ではあった。
アレックス兄さんの言い分に、納得はしたけど時間を返して欲しい。あと、本当に二人との食事も遠慮したい。
母さんと話していた時の『……説得っていうかなんというか』と言い淀んでいたのは、アレックス兄さんが僕のことをビクター兄さんから報告を受けた時と同じくして、エルマリカさんの妊娠が分かったかららしい。
まぁ、この国の大きな家の見合い話が飛んだと思ったら、見合い相手同士で子どもを作ったなんてこと、母さんも戸惑っていたとアレックス兄さんは笑って話していた。
僕にはそんな軽い話だとは思わないが、あの母さんが困っていたんだったら、僕も見てみたかった。寝込んでいたけど。
あと、一番重要なことをさらっとアレックス兄さんは言ったのだ。
『大変だったんだよ。エルと一緒に通運の荷車でデミストニアまで戻っていたら、雪で大渋滞だったし、エルも体調を崩すし、二日くらいは途中で荷車を止めてもらってさ』
と、その話を聞いて僕はピンと来たね。
彼の言う時期が、僕が気を失った原因の男が言った苦情のことと、ピッタリはまるのだ。
『荷物の遅延』のことでマリーさんに文句を言って、僕を揺さぶった苦情の発生源は、雪が原因の渋滞と、アレックス兄さんとエルマリカさんの体調不良のせいである。
まさかの答え合わせが過ぎる。
それに、色々と辻褄合わせにパーツが揃っていく感じもあって、一度ゆっくり時系列を整理したいのだけれど、そうもいかないのだ。
「ディオネ嬢、ついてきてよ。ちゃんとさ」
「ファビオさんこそ、場所分かってるんですか? さっきも同じ場所を通ったような――」
ディオネと僕は、町の議事堂に来ている。
一応は、デミストニア自治国の首都デミストニアの議事堂なので、書店の店番に来たディオネに「議事堂に行くよ」と言えば、顔を青くして小綺麗な服に着替えようとしていたのを思い出す。
慌てるディオネの姿に、僕とマイケルは笑って「町の議事堂の方だよ」と誤解を解くのに時間がかかったことを思い出した。
国を運営する方の議事堂だと、ディオネが慌てた通り服装規定があるけど、町の議事堂は特に何もない。
僕ら住民であれば、いつでも入ることはできる。
「ファビオさんのお母様に会うってことは、商会でも偉い人なんでしょ?」
「違うよ。母さんは町の議員だから、商会とは関係ない」
「へぇ、行政機関にも身内がいるとは……ズブズブってことです?」
「何がズブズブだよ。ビクター兄さんは、いい迷惑だって言ってるよ」
母さんは、子どもだからって容赦しないらしい。
ビクター兄さん曰く、魔鉱石の納品数を間違えて多く納品しただけで、厳重注意処分をもらったと嘆いていたくらいだ。
別に多く納品したくらい、わざとしていたら問題になりそうだけど、その時は全くの偶然だったと説明しても、ダメなものはダメと突っ返されたらしい。
「仕事と家庭は別、の人のはずなんだけどな」
どうもその印象も違うかもしれない。
なにせ今日、僕とディオネがこの議事堂に来た理由も、母さんからの手紙が原因なのだ。
アレックス兄さんとエルマリカさんが、書店に来た四日前のことに遡る。
とはいっても、二人が惚気た雰囲気で書店から出て行った後だ。
中の書類を触っただけで、見ていなかった封筒をようやく……いや、マイケルがもっと早く経済広報課の封蝋に気づいてくれればよかった話だ。
まぁ、そんな後のことは置いて、目的の出版許可証をもらえたと思って厚い方の紙を封筒から出すと、まさかの議長印がなかった。
許可証には、デミストニアの議長印は必ずと言ってもいいくらい押してあったから、四日前のような事態は初めてのことだった。
僕の喉から変な音が鳴ったのを今でも覚えている。
さすがに気が動転した僕は、封筒に入っていた書類を全部カウンターにぶちまけた。
そうしたら、小さな紙に『議長印はママが押します。ディオネ嬢と許可証を持って、四日後議長室まで来なさい。ママより』と、ご丁寧に書いてあった。
なんで、そこまで『ママ』と呼ばせたいのか、母さんは。
思い出すだけで、ため息が出てしまう。
「どうしたんです? そんな疲れた顔になって」
「いや、色んな人の印象っていうか思い込みが崩れているだけ」
特に、アレックス兄さんと母さんのだが。
「いいじゃないですか。人の印象って見た目が一番らしいですし」
「何それ」
「……まあ、ダルダラの受け売りですよ」
僕の横を、まさにルンルンとした足取りで歩くディオネに、僕は頭を抱えているのを彼女は知らない。
学園のことだけど、僕が魔術の実技を見学だけにした特例を、彼女も使ったようなのだ。
そのせいで、僕にも改めて特例が認められるか審議されることになった。
簡単な審査ではあったけど、急な審査はやめて欲しい。胸が締まる気分だったから。
「そういえば、孤児院の建て替えっていつ終わるの?」
「さぁ?」
思いつきで彼女に聞いてみた僕も悪いかもしれないけど、自分の住まいのことだろ。なんで知らないんだよ。
珍しそうに辺りを見渡すディオネは、「まだ時間かかります? ファビオさんのお母様の部屋まで」と暢気に欠伸をしつつ、僕に聞いた。
「そろそろだよ。議場を抜けて一番奥の部屋らしいから」
歩き疲れた様子は見せていないディオネに、エントランスで見た案内看板を思い出しつつ歩く。
仕事中の議員とすれ違うと、書類を片手に他の議員に説明している職員の姿もあった。
議事堂は二つある。この町の議事堂と、デミストニア自治国の議事堂である。
同じ敷地に二つの議事堂があるなんて、他の国と比べてもここくらいなものだ。
形態的には、ライフアリー商会とライフアリー通運に似ているのは、この議事堂がライフアリー商会を真似て建設されたからだ。
実家まで似ていないのは、不幸中の幸いといっていいかは分からない。
その辺の話は長くなるだろうから、思いを巡らせることはしない。
とりあえずは、この四角い議事堂のエントランスから中庭を迂回して議場を通り過ぎたから、もう部屋までの中間地点は過ぎている。
「私、ファビオさんのお母様に会って、本当にいいんですか?」
僕の隣を歩くディオネが、急に変なことを言う。
多分、母さんは僕よりディオネに会いたがっているはずだ。
じゃないと、手紙にわざわざディオネの名前は書かない。
「いいでしょ。ディオネのファンだって、母さん言ってたし」
「……初耳なんですけど」
「え? あぁ、初めて言ったね、今」
僕だって、それを聞いたのは最近の話だから。
「……どうしよう。余計に緊張してきたかも」
「それはそれは」
いい気味だ。
母さんの部屋までもうすぐといったところで、どこかの部屋の扉が開いた。
案内看板では、その部屋は母さんの部屋じゃない。興味はなかったけど、つい気になって部屋から出てくる人を見た。
「……教授、どうしたんです?」
痩けた顔立ちに、所々跳ねている濃い茶髪。猫背に、落ちたように下を向く顔。
ジョアン・アースコット教授その人だ。
横にいるディオネは、アースコット教授のことが分からないようで首をかしげていた。
学園で見たディオネと同じような雰囲気を醸し出しているのだから、分かると思ったんだけど。
「……やあ、ファビオ君。私のことはお義兄さんと呼んでも――」
「一生、呼びませんから」
死人のような彼から、まさかの提案である。
ただただ、場所が悪い。だって――。
「お義兄さん? 教授がファビオさんの?」
ほら、食いついた。
面倒なことにディオネが、目を輝かせて僕を見る。
どうせ、マイケルにもバレるんだろうな。色々考えたら、気が遠くなる。
「その話は後で話すから」
「絶対ですよ」
ぐいっ、と僕に寄るディオネを剥がして「分かったから。絶対するから」と返すと、興味津々な彼女は「いい題材だったらいいな」と次の原稿のことを考え始めた。
別に、題材にしても良いけど、アレックス兄さんとエルマリカさんの話は絶対に避けられない。
二人のあの惚気た雰囲気にやられてしまえばいい。
「というか、アースコット教授は何でここに?」
それは、彼も考えていそうだ。僕たちがここにいる理由も、彼には分からないだろうし。
「あぁ、姉さんの話さ」
「分かりました。では、また学園で」
面倒な話はもうたくさんだ。
さ、ディオネ。母さんのところに――。
「アースコット教授ってお姉さんいるんですか?」
「あぁ、ディオネ嬢もいたんだね。私の姉のこと? もちろんいるよ」
話を広げないでくれるかな。
ディオネ、お前はこれから母さんのところに行くんだ。
ここでもたもたしていても――。
「けど、ファビオさんに教授は『お義兄さん』って呼んでもと言ってましたけど、何かあるんですか?」
「あぁ、ファビオ君から聞いてないんだ。……姉さんとファビオ君のところの長男さんが結婚するんだ。だから」
もう全部、ディオネに教授から言ってくれます? 僕、帰り道にディオネに説明するの嫌なんですけど。
「へぇ。世間って狭いですね」
「よく古い言葉を知ってるね。さすが、不足単位を取り直しただけあるね」
「ありがとうございます」
……褒められて、照れるんじゃねえよ。その原因は、今までのディオネの怠慢だから。
はぁ、肩にかけた鞄が重く感じる。出版許可証しか入れてないのに。
「教授もディオネも、もういいです?」
「あぁ、ごめんね。私はもう帰るよ。手間かけたね」
とアースコット教授はこめかみを掻いて歩き出す。
ゆっくりとした足取りに、踏み出した足がコートに躓いて一人で転びそうになっていたが、「大丈夫。ちょっと疲れがたまっていてさ」と何でもないと言いたげに、僕たちとすれ違った。
彼の萎れた背中を見ていると、あれを思い出す。
「教授、見合いの件って大丈夫なんですか?」
と背を向けたままの彼に聞いて見ると、僕の言葉にビクついて、僕たちの方に振り向いた。
何かに怯えているようで、キョロキョロと辺りを見渡してから「じゃあ、また!」と駆け足で議事堂を出て行こうとするが、何度もコートに足を引っ掛けて転びそうになっていた。
「教授の見合いの件って?」
僕と一緒に教授が走り去る所を見ているディオネが聞く。
よしよし、引っかかった。
アレックス兄さんの話より、先にアースコット教授の事を話そう。そうすれば、ディオネも満足してアレックス兄さんの話とか忘れてくれ……たらいいな。
「母さんの件が終わってから話すよ」
「絶対ですよ!」
分かったって。そんな寄らなくてもいいから。
あと、そんな目で見ても、今は話さないよ。
だから! そんなに寄ってくるな! 歩きづらいだろ!
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