第24話
昼にアレックス兄さんがゼクラット書店に行くよ。と連絡してきたビクター兄さんに文句を言いたいところだけど、休憩室で目の前に座る二人を見ていれば……。
「どうしたんだい?」
「いえ、お二人は仲いいんだなって」
残っていた水桶を御者に渡した後ですら、二人は売り場から動かずに笑い合っていた。
よほど気が合っているようで、アレックス兄さんに声をかけても、僕が声を張り上げるまで聞こえていなかった。
「まあね。短い時間だったけど、一緒に暮らしたからね」
「えぇ、久しぶりにゆっくり過ごせたわ」
それはまぁ、二人とも良かったですね。
アレックス兄さんとの文通でも、地名は伏せられた上ではあったが、美味しい魚を食べて、いい景色を見て、二人でのどかに暮らしていたんだろう。
色んな所に行って、いい休暇になったんだろうね。
僕に感謝してほしいくらいだ。アレックス兄さんたちの時間は僕が作ってあげたに等しいのだから。
「ファビオ、夕食はどうなの? まだだったら一緒に――」
「結構です。カビかけのパンを早く処分したいので」
「それだったら、俺たちも一緒に食べても――」
「エルマリカさんにそんなもの食べさせられません。申し訳ないです」
二人と食事なんて面倒でしかない。
それに、単純にアレックス兄さんとエルマリカさんに夕食を振る舞うなんて無理な話だ。
アレックス兄さんは昼に来るはずだったのだ。夕食のために買い出しなんてしているわけがない。ついでにエルマリカさんもってなっても無理な話だ。
「それもそっか。じゃあ、また今度時間があれば三人で」
「えぇ、あれば」
ねぇよ。そんな時間なんて作りたくもない。
どうせ、今みたいに僕は置物みたいに座って、食べるだけになるのは容易に想像がつく。
「私も楽しみだわ。アレックスのごきょうだいとお食事ができるなんて」
「そうだね。俺も楽しみだよ」
エルマリカさんの話に肩を寄せて返すアレックス兄さん。
どこか初々しい二人は、多分休憩室の机の下で手を繋いでいるんだろうな。
その証拠にアレックス兄さんの左肩とエルマリカさんの右肩が動いているのがよく分かる。だって、僕が目の前に座っているから。
休憩室に案内してから、時間はあまり経っていないが、僕の気分は最悪だ。
エルマリカさんが椅子に座るなり、「お可愛い書店ね」と言うものだから、喧嘩を売られていると思ったけど違うらしい。
アレックス兄さんが「本心で言っているようだから。俺もいい書店だと思うよ」と付け加えてくれて初めて、彼女に悪気がないと知った。
外での話も悪気がないのだとしたら、まぁ……いや、それはもうどうでもいいや。
とりあえず、御者の人も待ち時間が増えるのはかわいそうだから、アレックス兄さんの話を聞くか。
「それで、今日来た件って何ですか?」
「あぁ、それね」
と僕の言葉に、アレックス兄さんは襟を正した。
エルマリカさんに向けていた温和な目ではなく、何か決めたようなそんな感じの目で僕を見る。
「ファビオ。まずは、俺の代わりに通運の業務をしてくれてありがとう、ってことと、色々と迷惑かけたみたいでごめんね」
「全然大丈夫ですよ。それに、お礼は手紙でも書いてくれてましたし」
「いいや、ちゃんと目を合わせて話しておきたいんだ」
彼の赤い目が僕を射る。
お礼と謝罪をしている人の眼差しではないと思う。
なんというか、やっぱり怖いよ、その眼差しは。
アレックス兄さんのまっすぐな目を見てしまって、話を聞く側のはずの僕が恐縮してしまう。
「はぁ」としか返事ができない。
そんな僕にアレックス兄さんはお構いなく続けた。
「ただね、ファビオは人に振る仕事のやり方を憶えるべきだと思うよ。一人で抱えて破裂することはやめた方がいい」
あれぇ?
この流れは、アレックス兄さんが僕に謝るだけだと思ったんだけど。
彼のその目は、僕が文句を言えないようにする感じだと思ったんだけど、違うじゃないか。その目って僕に注意する目なの?
「あのぉ、まぁ、確かに破裂っていうか寝込んだというか――」
「けど、ファビオが自覚しているならそれでいいんだ」
何なんだよ、もう。
アレックス兄さんは、僕に注意がしたいの? それとも何なの?
あと、エルマリカさんは笑顔で僕とアレックス兄さんを見ているけど、あなたも何なんです?
「説教臭くなっちゃったね」
「そうね。馬車に乗ってからソワソワしちゃって可愛かったけど、今のアレックスも素敵よ」
「君の方が素敵さ」
「あら、お世辞でも嬉しいわ」
くせぇって、だからさ。
二人は、僕などそっちのけで笑い合う。
目の前の二人など見ていられなくて、天井を見上げると、少し明かりが点滅していた。
最後に魔鉱石の交換っていつしたっけ? あぁ、ちょうど一年前くらいか。
あの時くらいから忙しくなったんだ。『深窓の令嬢の知られざる本性』様々である。
でも、最近は暇だから、明日にでも交換しようかな。
マイケルに頼めば、どうとでもなるだろうし。
「ファビオ? おーい」
「え!? あぁ僕ですか?」
「ファビオしかいないんだから、しっかりしなよ」
二人のことから目をそらして、明日のことを考えていると、アレックス兄さんが仕方ないなといった様子で肩をすくめる。
横では、上品に笑うエルマリカさんが口元を隠している。
「それで、一体何です?」
「お手洗いってどこかな?」
「それなら、ここを出て、左の通路の突き当たりに青い取っ手の扉があるんで、そこが便所です」
「ありがとう、少しエルと待っててくれるかい? いい?」
とアレックス兄さんは、僕の返事を待つことなく立ち上がって、そそくさと休憩室の扉を開けて出て行った。
彼の突然というよりも、その突発的な自由さに、「いいですよ」の言葉が喉で止まった。
「本当、自由な人ね。アレックスは」
「えぇ、まぁそうですね」
エルマリカさんの問いかけに、僕は同意しかないが、あなたもその気質がありそうだと思うんですよね。僕は。
よく見れば、彼女の濃い茶髪と彫りの深い顔つきは、どことなくアースコット教授を思わせる。
ただ、性別が違うだけで、気高さやまとっている雰囲気はキャロン姉さんのようだ。
「ジョアンと仲がいいんですって?」
エルマリカさんは左耳に、その長い髪をかけて僕に言った。
高圧的とも感じる彼女に、さっきまでの惚気た雰囲気はなく、机の下で足を組んだ様子で僕を見る。
ジョアンとは、アースコット教授のファーストネームで、エルマリカさんからその名前を聞けば、実感を持ってアースコット教授の姉なのだと思わざるを得ない。
「えぇ、まぁ仲がいいっていうより、仕事を一緒にしているので……」
「そう、あいつも色々と大変そうだけど。あなた、このままで大丈夫なの?」
「……大丈夫とは?」
「私がアレックスと結婚したら、学園でやりづらくないかってことよ」
「それは……大丈夫だと思います。僕、もうすぐ卒業なので」
僕と彼女の一連の会話は、彼女の「そう」という一言で終わった。
前に座るエルマリカさんとの、さながら尋問のようなやり取りに、首をかしげたくなる。
結婚って、それじゃあ見合いをするってことですか? 思うに、別に見合いする必要ないでしょうけど。
なんで、アレックス兄さんが出て行ってから雰囲気が全然違うんだよ。緊張するじゃないですか。
「だけれど、あなたもまだまだね。アレックスの仕事を手伝って寝込んだんでしょ?」
緊張している僕に向かって、急に突っ込んだ話をする彼女は、遊び相手を見つけたような顔をしている。
少し弄ぶような言い方が、僕の琴線を撫でるが、まだ耐えられる。
「まぁ、十日間ほどですけど」
「フフ。かわいらしいわね、あなた」
余裕そうな笑顔で、僕に返すエルマリカさんは、続けようと口を開くが、不意に笑う。
僕のどこがおかしいのか、琴線を一本弾く音が頭の中で鳴った。
「失礼。あなたが倒れたって聞いた時のアレックスがおかしくて。思い出しただけで笑ってしまうわ」
「はぁ、そうですか」
僕のことを心配してくれたアレックス兄さんには、ありがたい気持ちが……別に湧かない。だって、アレックス兄さんがちゃんと仕事をしていれば、僕が寝込んだりしなかったと思うから。
ただ、さっき会ったばかりだけれど、本当に初対面だけれど、エルマリカさんは相当に底意地が悪そうだ。
二人はどういう出会い方をしたのかとか、二人はどこを転々としていたんですか、とか色々と、聞いてみたいなと思っていた僕の時間を返せ。ほんの少しだけど。
あと、エルマリカさん。アレックス兄さんのいない今が、あなたの本性ですか?
「気にならないの? アレックスのこと」
「アレックス兄さんが気にならないというより、今日は僕に謝りに来たってことですか?」
「まぁ、それもあるわ」
アレックス兄さんの退席中から、ずっと僕を見ていたエルマリカさんが目をそらして扉の方を見た。
彼女の仕草に、僕もつられて扉を見る。
急に静かになったこの部屋に、アレックス兄さんが向かってくる足音が微かに聞こえる。
僕よりも早く気づいたエルマリカさんは、今の余裕感のある雰囲気を隠して、アレックス兄さんがいた時の惚気た雰囲気に戻った。
ガチャッ。と音が鳴ってゆっくりと扉が開く。
「ありがとうね」
とアレックス兄さんは、そのままエルマリカさんの横に座り直すと、彼女がアレックス兄さんに耳打ちした。
「そうだね」
彼女の物言いに納得した様子のアレックス兄さんはそう言った後、「今日来た本題なんだけどさ」と首を掻いて恥ずかしそうにした。
「何です? 本題って」
さっきまでの謝罪とお叱りは前座だってこと?
それなら、もう笑うしかないけど、とりあえず話だけでも聞こう。アレックス兄さんとはあの夜以降、久しぶりに会ったんだから。
横に、もう苦手な人がいるけど。
「子どもができた」
「……誰のですか?」
「俺たちの」
じゃあ、結婚じゃないか。
エルマリカさんは、だから僕にアースコット教授との関係みたいなことを聞いたのか。意味が分からなかったけど、納得だ。
でも、薄々ね、本当にそうかもなぁ。くらいは想像したことはあったけど、二人は見合いをする相手同士なわけで、見合いの意味ないようなことするか? とか思って考えないようにしていれば、これか。
「……なるほど、結婚の報告ですか」
急な展開に、緊張の糸もちぎれた。急すぎるから。
僕の返した言葉に、「不思議じゃないのかい?」と訝しむアレックス兄さんは、首をかしげていたがどうでもいいや。
一つ息を吐いて天井を見上げれば、明かりの点滅はおさまっていたけど、どこか弱々しく光っている。
まさに、僕の気力と同じようなそれに笑ってしまった。
「なんで笑うんだい?」
あんたらのせいだよ!
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