第23話


 マイケルと久しぶりの店番もそこそこに、客は一人も来なかったゼクラット書店を閉めた。

 今日の用件はこれからアレックス兄さんが来て、僕に何かを話すらしい。

 別に謝られても困るだけだが、当初ビクター兄さんから聞いていた話は昼にはアレックス兄さんが書店に来てくれるということだけだ。


「アレックスさん、来ないね」

「僕は待っておきますよ」


 閉めた書店のカウンターで僕とマイケルが二人並んで座っている。

 既に、外の夕焼けも濃いオレンジの色に染まっていて、直に夜になる。


「もう、僕いいかな?」


 隣に座って腕を組んでいるマイケルに、「閉めてるんですから、というかなんで残ってるんです?」と僕も腕を組んだまま彼に返す。

 少し言いづらそうに顔をそらした。

 

「アレックス兄さんに何かあるんですか?」


 マイケルとアレックス兄さんの接点なんて、アレックス兄さんが初めて書店に来た夜くらいのはずだ。

 店仕舞いをしてからというものの、どこか挙動不審のマイケルは何かを決めたようで、ふぅ。と息を強く吐いた。


「妹と父ちゃんから、送迎馬車の券をもらったことのお礼しろってうるさくてさ」

「そんなことで?」


「そんなことってなにさ。家に帰ったらアレックスさんと会ったかとかお礼はしたかとか聞かれて参ってるんだよ」


「まるで弱味を握られてるみたいでさ、ムズムズするの分かる!?」


 それはさすがに分からないな。何だよ、ムズムズするって。

 横に座って力説していたマイケルは、立ち上がって「ファビオ君だって、家族に脅された気持ち分かるでしょ!?」と僕の肩を揺らして話し続ける。

 マイケルの個人的な話に共感できるわけないし、家族に脅されてムズムズするんだったら、僕はもうムズムズを通り越している。

 物心ついた頃からエリー姉さんに脅され続けていたから。


「だからさ、今日なんだよ。このムズムズ感とおさらばするためにはさぁ!」

「そうですね。今日アレックス兄さんが来てくれれば」


「まだ来てないじゃん。いつ来るの? 今?」


 とマイケルは僕の肩を掴んだまま、肩を落として項垂れる。

 そんなこと聞かれても、とは思うが、いかんせん昼に来ると連絡を受けていたから、僕とマイケルの基準では大遅刻だ。

 アレックス兄さんの基準は分からないけど、もしかすると、まだ昼だと思っているかもしれない。


「……もしかしたら、もう一回割引券くれるかな」

「何をバカなことを言ってるんですか」


 そう言って、僕の肩からマイケルの手を離すが、力が入っていない彼の手は肩と一緒に下に落ちた。


 仮に、アレックス兄さんからもう一度割引券をもらえたとしても、どうせマイケルの家族からまたお礼がどうのとせっつかれることになる。

 それでも、また送迎馬車に乗りたいのか。聞いているだけ時間の無駄だな。






 マイケルの家族の話はどうでもよくて、すでに夕焼けもなくなった外には明かりが灯っている。

 あれだけ弱味がどうのこうのと力説していたマイケルは、結局アレックス兄さんを待ちきれずに帰っていった。

 『アレックスさんにファビオ君から伝えておいてよぉ』と、いい年の大人がまだ学生の僕に泣きついて頼んできた時はさすがに頭を抱えた。


「それにしても遅いな」


 表の表札には閉店の札をつけているから客は来ないとしても、扉は開けているからアレックス兄さんが来るまで待たないといけない。

 二階に上がってしまうと、誰が入って来たか分からないのだ。


「あぁ、あれ」


 今日の昼休憩の最中に、マイケルがどこかから配送されてきた書類を裏手の本棚に置いていたのを思い出した。

 『何か届いたよぉ。置いといたから』と面倒臭そうにマイケルが僕に言ってきたから、適当に返してそのままにしていた。

 重要そうなものでもなさそうな口ぶりだったから、あまり気にしていなかった。


「これかぁ。……って経済広報課からじゃないか」


 何が、何か届いたよぉ。だ。

 重要な書類じゃないのかこれ、本棚にあった薄い封筒には『ゼクラット書店宛』として書いてあるだけ。


 それだけを見れば『何か』と言ってしまうのも、分からないこともない。

 ただ、封筒の裏にある封蝋には、デミストニア自治国の紋章の下に経済をモチーフにしたベント硬貨があるのだ。


「マイケル……もう覚えろよ、これくらい」


 たまに、マイケルに新作の原稿の申請を頼むこともあるのに……。

 いい加減な仕事をするマイケルにため息をつくが、今は手に持つこの封筒の中身だ。

 大体の予想はついているが、開けて見るまでは分からない。

 カウンターの引き出しを開けて、ペーパーナイフを取り出してから、慎重に封筒の上部を切る。


「ふぅ、よし」


 右手で封筒の中にある書類を触れると、少し厚い紙が一枚と薄い紙が二枚。

 これだけで、上手くいったことが分かる。伊達に本の出版申請をやってない。


 少し頬が緩むと、外の明かりが不自然に消えて、一気に書店の中が暗くなった。

 

「何?」


 と封筒から目を離して外を見ると、見た事もない形状の馬車が書店の前に止まっていた。


「あれはさすがに――」


 ないな、と口にする前に馬車から降りてきた人を見て、すぐに閉じた。

 アレックス兄さん、遅いよ。あと、その馬車はやめた方がいい。薄暗いからよく見えないけど、結構ダサいよ、それ。






 ダサい馬車から降りたアレックス兄さんを出迎えることもなかった。

 彼の手を引かれて降りた人を見たからだ。


 アレックス兄さんと親しげに話しているその人――というか女の人――は、書店から差す明かりで見えた範囲だけだけど、濃く長い茶髪を腰辺りまで伸ばしている。

 馬車から下りきった彼女の背丈は、靴底で少しばかり上がっているのだろうけど、アレックス兄さんよりも高い。

 それに、堀の深そうな顔立ちと、アレックス兄さんの手に添える彼女の肌は白かった。


「いやぁ、まさかね」


 カウンターに、中の書類を見ていない封筒を置いて、一応立ち上がる。

 扉の窓から見える二人は、何が面白いのか笑っている。


「何が面白いんだか、こっちは全然面白くないんだけど」


 まだ一人の書店で呟くが、そのうちに入ってくるだろう二人に、一抹どころではない不安がよぎった。

 僕が予想している女性だったら、とりあえずは自己紹介してお礼を言えばいいか。


 扉の向こうは寒いはずなのに、アレックス兄さんはまだ外にいる。

 待っているだけで僕の心が疲れてきた。

 ため息を一つついて扉まで歩くが、それでもアレックス兄さんと女の人は気づきもしない。


「アレックス兄さん、待ってましたよ」


 扉を開けて、アレックス兄さんに声をかけると、ようやく二人の世界から戻ってきたようだ。

 こんな寒い夜に、よく外にいられるな。以前のアレックス兄さんとは雰囲気の変わった彼を見る。

 

「……あぁ、ごめんね」


 とアレックス兄さんが僕に言うと、「あなたがファビオ?」と悪びれもせずに女の人が僕を見る。

 そうだよ。僕以外にこの書店で待っているアレックス兄さんの弟はいないだろ。とは思いつつも言わずに、「はい。ファビオ・ライフアリーです」と僕なりの精一杯の笑顔を振りまく。


「あら、少し苛立って。どうしたの?」


 女の人は、知らぬ存ぜぬといった様子で僕に返す。

 人を見る目はありそうだが、無自覚に人を煽る癖でもあるのか、この人は。


「アレックス兄さん、早く入って」


 冷え込みが厳しくなるこの時間に外にいては、風邪を引いてしまう。

 扉を開けた手も、短時間ですでにかじかむくらいに感覚が鈍くなっている。


「ありがとう、それじゃ遠慮なく」と僕に答えるアレックス兄さんは、女の人を見て「さぁ、エルマリカ。先に」と空いている片手で女の人――エルマリカ・アースコット――を書店の中に誘導した。

 彼女の後に書店に入っていくアレックス兄さんは、僕に耳打ちをして「あぁ、馬車は書店の前で待機してもらうから。馬に水をあげたいんだけど、いいかな」と言った。

 ダサい馬車でも、馬には関係ないから、仕方なく平常心で耳元で話すアレックス兄さんに返す。


「……水桶一杯はあるんで。それでいいですか?」

「助かるよ」


 僕に返した後、馬車の御者に「それじゃあ、あまり時間はかからないけど、水桶だけもらえるから。待ってて」と伝えて、書店に今度こそ入っていった。


「……手伝いましょうか?」


 と恐縮している御者の人が僕に聞くが、「大丈夫です。水桶一杯しか用意できないですけどいいですか?」と返す。


「助かります」


 と言って、馬車から降りてここまでの道中を曳いていた馬二頭をなで始めた。

 それにしても、ダサい馬車でよくここまで来られたものだ。


 書店の中で見るより、近付くとよりそう思う。

 四輪の扉付き馬車ではあるが、その車体というべき部分が船の形になっている。

 書店の中で見た時は、南の地方でよく採れるといわれているバナナかと思った。本からの知識だけで、食べたことはないけど。

 そして、船の形の車体の中央、四つの車輪のちょうど真ん中に、屋根が付いた壁のある荷台がある。

 ただ、御者台はなさそうで、くびきが伸びている船の先端に馬具と鞭が置いてあった。

 かわいそうなことに、あの船の先端が御者台になるのか。


「あのー、なにか飲み物要ります?」


 さすがに冷える夜で待つことになる御者に聞く。

 馬をなで終えていた彼は、前輪に止め金具を付けているようで、僕の言葉に「お構いなく、荷台の中で待つので。それに水桶の水で結構ですよ」と言って、後輪にも金具を付けようとしていた。


「では、水桶持ってきますね」


 なかなかたくましい御者にそう返して、書店の扉を閉める。

 中の温かい空気に、扉の取っ手を持っていた手に感覚が戻る。

 

「売り場でも見ていてください。欲しい本があったら売りますんで」


 と僕に言われるまでもないようで、アレックス兄さんとエルマリカさんは二人寄り添ってまた世界に入り込んでいた。


 もしも、二人が赤の他人だったら外に放り出して扉の鍵を閉めてやるのに。

 やるせない気持ちを抱えて、休憩室まで水桶を取りに行く。


「ファビオ。あの馬車どう?」


 ちょうどカウンターまで歩くと、アレックス兄さんの声がした。

 振り向いて彼を見ると、「かっこいいでしょ」と僕に笑いかけている。


「……そうですね。いいと思いますよ」


 微塵も思っていないが、アレックス兄さんの隣にエルマリカさんがいるから、お世辞を返す。だが、彼から返ってくる言葉はない。

 アレックス兄さんはエルマリカさんに夢中なようで、二人して本を開いては談笑している。


 喉の先まででかかった、『クソよりもダサい』とは言わなかった自分に拍手だ。

 もし、アレックス兄さんが一人で来ていたら笑ってやったものを。

 クソが。

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