第5話


 アレックス兄さんの話では、アースコットのご息女との見合いは母上が設けたらしい。

 もちろん、当の本人は何も知らなくて、母上からの手紙で知ったようだった。


「それでね、すぐに戻ってきたら、次は母さんが出張でいないって間が悪いよねぇ」

「だからって、見合いを飛ばすって簡単なことなんですか? アースコット家ですよ?」


「大丈夫、大丈夫。俺も彼女とは顔見知りだしね」とあっけらかんに話してくれるアレックス兄さんは、僕にバラしてからは色々と教えてくれた。

 だけど、そのほとんどが母上への愚痴だ。相当に溜まっていたらしい。


 アースコット教授もそうだけど、大丈夫だと高を括っているが、そもそもの話で見合いを飛ばすって結構な大事なんじゃないか?

 家に有益な縁をつなぐ。それだけのことかもしれないけど。


「なんとかなるでしょ」とお茶を飲みながら、アレックス兄さんは椅子の背もたれに体を預けている。

「そんな悠長なこと言ってられないでしょ」とビクター兄さんは、そのシワが寄った眉間を揉みながら答えている。

「そうかなぁ」と笑って「大丈夫だって」と続けたアレックス兄さんは、具体的な答えを言わずに笑っている。

 どこか、困っているビクター兄さんを楽しむかのようで、そんなアレックス兄さんにビクター兄さんのため息は深まるばかりだ。


「もう、この話は母さんが戻ってきてからでいいですか?」

「そうだね。俺もそのつもりだったけど、ビクターには先に言っておこうと思ってさ」


 項垂れているビクター兄さんを見て、終始笑っているアレックス兄さん。

 僕は蚊帳の外で進む話は、一旦終わったようだった。

 ただ、一点気になる事があってアレックス兄さんに聞いてみる。


「エリー姉さんには、伝えないんですね」

「伝えないよ。あの子に話したら、どこで漏れるか分からないからね」


 僕の問いに返すアレックス兄さんは、ビクター兄さんに向けていた笑顔をしかめて、苦虫を噛み潰したような表情になった。

 コロコロと表情を変える所は、昔と一緒で話していて楽しい気分にさせてくれる。


 アレックス兄さんにすら、信用がないエリー姉さんのことを不憫に思うことはない。

 昔から、きょうだいの秘密が漏れた時は、絶対にエリー姉さんから漏れている。

 そのことを分かった上で黙っておくことにしているのだろう。

 僕がアレックス兄さんの立場でも、同じ事を考えるはずだ。


「一旦アレックス兄さんの件は終わりにしておきましょう。考えたって何も始まらないですし」

「そんな冷たいこと言わないでよ。俺だって少しは覚悟決めてきたんだから」


「見合い相手がアースコット家じゃなければ、まだ良かったんですけどね」とビクター兄さんは遠い目をした。

 ライフアリー商会の次期商会長として、色々な事を抱えているビクター兄さんだからこそ、アースコット家とライフアリー家の見合いの事の重大さが分かる。


 ここまで、ビクター兄さんが懸念しているのには理由があるのだ。

 アースコット家の歴史は、僕らライフアリー家よりも深く長い。

 その歴史は、まだワグダラ王国から独立する前の一領土の時から続いているのだ。

 一説には、霊峰デミストニアの管理人をしていた家だという説もあって、その真偽は僕には分からないけど。

 一つ確かなことは、大昔からここら一帯の大地主だったという事。


 それを確かなこととして言えるのは、デミストニア家が王国から独立した時に、アースコット家が自発的に土地の寄付を申し出た騒動があったから。

 当時のアースコット家が、デミストニア家が管理してくれるならって、とんでもない大きさの土地を寄付しようとして寄付される側のデミストニア家側が管理できない。と何故か謝罪したくらいには大地主の家なのだ。

 ちなみに、このライフアリー商会の敷地も元はアースコット家の土地で、それを買い取っている。

 その時の売値は当時の国家予算並みだったというから、アースコット家もライフアリー家もお金の感覚がおかしいと思う。






 アレックス兄さんの一件の話が終わって、三人のお茶もなくなった頃、そろそろお開きになる雰囲気が執務室に漂っていた。

 まともに僕の話が出来ないままだった。

 明日以降に出直すこともできたのだろうけど、近況を話して笑い合う二人に「ゼクラット書店の経営の件なんですけど」と切り出す。

 二人とも忙しいのだ。一緒にいることが珍しいこの組み合わせの中に、僕も参加できているのは奇跡に近い。

 

「……それのことで来たのか」とビクター兄さんが、続けて「なるほどね」と呟けば、横に座っているアレックス兄さんは僕の方を見た。

「書店のこと? ファビオがやってた店の?」と彼が聞いてくるから、「そうなんです。黒字回復してきたんですよ」と僕の声が少し高くなる。


 「へぇ、すごいね」と笑ってくれるアレックス兄さんと、腕を組んで考えたままのビクター兄さん。

 そんな二人に、先日のカーラさんとの会話を思い返して返済期間のことを話す。

 

「カーラさんには、返済しきるまで二十年って言われたんですけど、前倒しで返済ってできないんですか?」

「その話ね、カーラさんに言われたけどさ。無理だよ」


 キッパリと、そしてサッパリしたビクター兄さんの返答は想定したとおり。

 だけれど、少しは考える素振りをしてくれたっていいと思うけどね。せめて期待させて欲しいんだけど。

 

 まぁ、返済計画は、ビクター兄さんがちゃんと練っているはずだし、無理のない範囲で返せてるはず。

 だから、そう言われるのは仕方がないにしてもだ。

 

 長過ぎだって。その頃には、僕四十歳間近じゃないか。

 嫌だよ。四十歳になってやっと独立できるのって。


「前倒しって、そんな長いの? どれくらい借りたんだい?」とアレックス兄さんが僕に聞いてくるが、正直僕も今どれだけ借りているか分からない。


「ファビオには分からない様にしていますから」とアレックス兄さんの言葉を目の前で肩を落とすビクター兄さんが答える。

「じゃあさ、帳簿見せてよ」とビクター兄さんに向けてアレックス兄さんが話せば、深いため息をついて椅子から立ち上がったビクター兄さん。

 いくら頼んでも見せなかったその帳簿を、アレックス兄さんのおかげでついに見せてもらえそうだ。

 いきなりのことに背筋が伸びる。


「あぁ、ファビオはお茶淹れてくれるかい」


 立ち上がって執務用の机に手を置いたビクター兄さんが、僕に向けて口にする。

 もう一つの手を腰に当てて、僕を見てくるその目は帳簿の保管場所を見せるわけないだろと言わんばかりだ。

 

「……分かりました」


 ビクター兄さんの言葉を、渋々引き受けて席を立つ。

 

 僕も帳簿を見たいのだけど、「早く行きなよ、ファビオ」と続けて、「君が出て行くまで帳簿は出さないから」と信用が毛ほどもない言い方をされた。


「かわいそうだけど、ファビオ行ってきて」とアレックス兄さんも口だけかわいそうと言うだけで、その顔は笑っている。

 

「すぐ戻ってきますからね」と言って机の横に置いていた盆を持てば、アレックス兄さんが空のコップを二つ僕に差し出す。

 アレックス兄さんとビクター兄さんの分のコップだ。

「本当ですからね」と受け取ったコップと、自分が使ったコップを盆にのせて執務室から出れば、扉の向こうから何か聞こえないかと聞き耳を立てるが何も聞こえなかった。

 

 僕の足音は中から聞こえているのか、二人の笑い声が聞こえ出したから仕方なく給仕室に向かう。






「戻りましたよ」と執務室の扉を開ければ、机に一冊閉じている分厚い本があった。


「ありがとうね」とアレックス兄さんが立ち上がって、僕が持っている盆を持とうとするが、「最後までやりますから」ともう一度座らせる。


「成長したねぇ、でも……」

「え、なんですか?」


 でも、と言った後黙って微笑むアレックス兄さんと、机の本を片付けて「ありがとう」とコップを受け取るビクター兄さん。

 もちろんアレックス兄さんにもコップを渡して椅子に座る。盆はさっきと同じく机の横に置いた。


「いやぁ、思っていたよりも……なかなかだね」

「だから何がです?」


「はは」と空笑いのアレックス兄さんに首をかしげる。

「もしかして、このぶ厚い本が帳簿ですか?」と訝しむ僕の問いに「そうだね」とアレックス兄さんが返す。

 

 そうなんだ。書店に置いている帳簿の三倍は、分厚い。本というより、もう辞書だ。


「お茶うすいな」とビクター兄さんは、僕の淹れたお茶を一口飲んで呟いた。

 淹れている時にも、これ薄いかなぁ。とは思ったよ。

 でも、早く戻りたかったし。


「まぁさ、二十年だっけ? 返済期間」

「そうですね。ビクター兄さんが設定したらしいですけど」


 僕は、ビクター兄さんを見てアレックス兄さんに返す。

 素知らぬ顔する彼は「アレックス兄さんは、帳簿を見てどう思います?」とアレックス兄さんを見て話を振った。

「そうだねぇ」と考え込めば、「うん、適正だね」と続ける。

 アレックス兄さんは「というか、この返済計画でよく会議とおしたよね」とビクター兄さんを褒めた。

 その言葉に満足したのか、口角を上げて微笑むビクター兄さんは「こんなことは茶飯事ですから」と言って「兄さんの教え方が良かったんです」と二人して頷きあって笑っている。

 

 いやいや、返済計画がどうとか言われてもね。

 褒められるくらいに凄いのも分からない。

 僕、その帳簿は見たことないし。


「ファビオ」と笑い合っていたと思えば、僕の方を向くアレックス兄さん。

 

「なんです?」と彼に聞けば「悪い事は言わないから二十年で返済しような?」と肩を優しく叩かれる。

 コロコロと表情を変えて、今は哀れんでいる顔で僕を見つめるアレックス兄さんに、「新刊で黒字回復してるんですよ? 数で勝負すれば返済も前倒しに――」


「一冊しか出てないよね。今のところ」


 ビクター兄さんは僕たちを見ているだけで、僕の話を遮ったのはアレックス兄さんだった。

「そうですけど……申請中の分がありますし」と答えるが、「それからは?」と彼に詰められるように返される。

 その目は見開いて、瞬きの一つもしない。

 僕、アレックス兄さんを怒らせるようなこと話したか? すっごく怖いんだけど。


「まだ、原稿もないです。ちょっと専属作家が……」


 小さくなる声から反比例するように、胸の音が大きく聞こえてくる。

「専属作家のせいなの?」とアレックス兄さんにすぐ返されれば、話す言葉が出てこなくなる。

 息も浅くなってきて、一度深呼吸すれば「ファビオ、アレックス兄さんは怒ってないよ」とビクター兄さんが僕を見透かしたように口を出す。


「……怒ってるように見えた?」

「端から見ればね」


 アレックス兄さんに返すビクター兄さんは、やれやれと息を吐いて僕に「一点だけ条件がある」と切り出す。


「なん……ですか?」


「ディオネ嬢がどれだけ原稿を書きあげるか。それから、上がった原稿が出版できるかを確かめること。この一年で」

 

 ビクター兄さんは、一つ指を立てて話してくれる。

「ビクターも十分甘いけどね」と笑うアレックス兄さんと、「いえ、持続可能性を確かめるだけです。それからの話ですから」とお茶をすするビクター兄さん。


「ファビオ、私達が満足する量を上げてくれば、それから考えよう」

「その量って、どれくらいです?」


 僕は、ビクター兄さんに聞いてみるけど「それは自分で考えて」と突き放されて、「頑張れ」と僕の肩をアレックス兄さんが揉む。


 

 それ以降、その量について話しても、ふらふらと躱されるままで商会の施錠時間まで三人で話せば二人して僕をからかってくる。

 無性に苛つくけど、今日だけはそのからかいを受け続けることにした。

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