第6話


 アレックス兄さんとビクター兄さんとの執務室での話し合いから一日経った。

 学園での講義が終わってつつがなく書店に戻れば、マイケルの昼休憩が終わった後だった。

 

 手伝いに来ていた商会の職員に帰ってもらってから、仕事支度をして僕はカウンターの椅子に座っている。

 日が傾き始めてから店番をしているが、流行が過ぎた『深窓の令嬢の知られざる本性』を手に取る客はいない。

 そもそも、書店に客がいないのだ。


「今日、ディオネが来るんだって?」

「そうですよ、僕が呼びましたから」


 学園で会ったディオネに、ビクター兄さんとの条件のことで、時間をもらうことが出来た。

 一応カーラさんにも事情を伝えているから、彼女が書店に来たからって怒られる事はない。


 学園の廊下を教材を持って歩く彼女を見た時は、別人のようだった。

 生きる力がないただの屍のような雰囲気に、口を半開きで歩いている姿は、恥じらいの一つもないように見えた。

 小声で呟く呪いのような言葉を吐く彼女に、話しかけて良いものか少し悩んだけど、そうも言ってられなかったから。

 書店に来てほしい事を話せば、途中から徐々に目が見開いて、その目はアレックス兄さんとは違った怖さがあった。


「でも、ファビオ君から聞いてると、彼女相当まいってるようだね」

「怖かったですよ、あそこまでいくと、死人かと思いましたから」


 いや、死人だったな。

 僕が話し終わってから生き返った魚のように、僕の肩を掴んで飛び跳ねる彼女に注目が集まるし、気が狂ってるような奇声すら上げる彼女から離れたくなった。


「それで? カーラさんは来ないの?」

「父上が急遽こっちに帰って来たみたいで――」


「なるほどね、それで頭でっかち人間達もソワソワしてたんだ」といつものように、カウンターで頬杖をつくマイケル。

 手伝いに来てくれる商会の職員のことを、マイケルは頭でっかち人間と呼んでいる。

 さすがに、本人達には言わないけど陰口みたく隠語のように話してくるマイケルに、「頭でっかち人間っていうの辞めましょうよ」と言っても「頭でっかちには頭でっかちでいいんだよ」と不満げな声で僕に返すのが通例になっていた。


「僕、知らないですよ」

「いいって、三人が帰ってくるまでの我慢だから」


 帰ってこれるかは、ディオネ次第だけどね。

 僕たちは誰もいない書店のカウンターで待ち人を待つけど、その待ち人は一向にやってこなかった。





 

 日も落ち始めて、書店の前を通る人の足取りが早くなってきた時、ディオネが走ってやってきた。

 カウンターで寝ているマイケルの歯ぎしりがうるさい。


「遅くなりました!」と大きな声が書店に響けば、「うわ!」とマイケルが起きて跳ねた。

 そこまでびっくりする程なのか。

 座っていた椅子を蹴ったらしく、「いてて」と脛を押さえている。


「遅かったけど大丈夫なの?」

「はい、アースコット教授に補習を言われて――」

 

 大丈夫か? 原稿、手伝ったりしてないか?

「原稿は手伝ってないよね?」とディオネの話を遮れば、「してないです! 本当にただの補習です。単位の為ですから!」と妙に興奮して答えた。

 妙な怪しさがあったが、単位が全ての状況だから問題ないようだったら別に突っ込んで話をする必要もない。


「ディオネぇ、うるさいよ、あと久しぶりだね」

「あ、マイケルさんはまだいたんですね。帰ってると思ってました」


「サッパリしてるね」と苦笑いをするマイケルは、「まぁ、寝てたからね。もう帰るよ」と欠伸と背伸びをして立ち上がって休憩室に向かった。

「顔も洗わないと」と目を擦ったまま歩いて、「いって」と本棚に脛をぶつけていた。


 そんなマイケルを横目に本の整理していれば、少しばかり売れた本の補充のためにカウンターの奥の棚に行くと、売れ行きが良くなくなった『深窓の令嬢の知られざる本性』の在庫がたくさんあった。


「やっぱり、続編出さないと厳しいですよねぇ」


 とディオネが口にすれば、カウンターに両肘をついていた。


「でも、単位が優先だからね」とそんな彼女に返すと、「分かってますよぉ」とカウンターに突っ伏した。

 不満があるのだろうけど、約束事は守らないと。


「そういえばさ、いつもあんな感じなの?」

「いつも? あぁ、学園のことですか」


 彼女はそのままの体勢で、僕と話をするらしい。

 腰とか大丈夫かな。と思いつつも「機嫌が悪いというか、なんというか」と彼女に切り出す。


「そうですかね? 普通にしているつもりですけど」


 普通じゃないけどね。

 すごく怖い雰囲気だったし、周りの学生も避けてたし。


「まぁ、いいや。いじめられてるとかなさそうで」

「私は全然いいんですけどねぇ。いじめられても」と退屈そうに話す彼女は、「そうそう、カーラさんに早く帰ってこいって言われてるんでした」と崩した体勢を戻して、カウンターの椅子に座る。

 いじめられるのはよくないけど、ディオネだったらそのいじめを題材にしそうだった。

 

 本の整理はまだ残っているが、遅く帰った理由に僕の名前を出されるのは釈然としないから、先にディオネと話す。


「先に聞きたいんだけどさ、単位ってどれくらいで取れそうかな?」

「うーん。……一応なんですけど、カーラさんが学園と話してくれて、前期課程で不足分は取り終わるようになってますよ? それがどうかしました?」


 不足単位って十個だったよね?

 ケロっと言い切るディオネを見て、「今期の分もあるけど大丈夫なの?」と返せば「それが、不足単位は試験で合格点を取れば、問題ないようにしてくれたんで」と笑って言った。

 試験だけで合格? 「それもカーラさんが?」僕の言葉に「そうなんですよ、おかげで、出席するだけの講義も大変で……」と答える。


 なんかとんでもない裏道を進んでいるような気がするけど、頑張ったであろうカーラさんの事を思って黙っておこう。

 少し引き攣った頬はそのまま、話題を変えようとすれば休憩室の扉が勢いよく開いた。


「カーラさんもすごいことするね! 聞いちゃったよ!」と休憩室から出てきたマイケルは、すごい良い笑顔で僕らの方に歩いてくる。

 また、変な悪巧みでも考えていそうな感じだったが、どうせいつものようにカーラさんに怒られて仕舞いだと思うから、マイケルのことは一旦黙る。


「そうなんですか?」

「すごいことだよ! だって出席が必要な講義も試験になったんでしょ?」


 と興奮するマイケルに、「そうですよ」とディオネは首をかしげて返す。


「学園の講義って基本的に融通聞かないからね。アースコット家のあの……」


 と言葉が詰まったマイケルに、「魔術課のね」と補足をすれば「そうそうあの人! ファビオ君も苦労したよね」と余計なことを言ってきた。


「ファビオさんが?」


「そうなんだよ!」とこんな時間から、僕とアースコット教授の実技科目を見学にするため戦いを語り出しそうだった。

 

「その話はもういいから」とマイケルを遮って、「とりあえずさ、今日の用件・話すけどいい?」とディオネに聞けば、彼女は頷いた。


「僕も聞いていいかな?」と横からマイケルが聞いてくるから、「まぁ、いいですよ。ビクター兄さんと話したことで――」と、昨日の話し合いの結果を二人に伝えた。


 


 




 

 二人に条件の事を話せば、目を輝かせるディオネと懐疑的な目を向けてくるマイケル。

 当然、アレックス兄さんの見合いの件は話さない。

 だって、二人のことが毛ほども信用できないから。


 あくまで同僚のマイケルと専属作家のディオネに、僕らの個人的な話を聞かせたら、エリー姉さんよりも早く漏れる確信がある。

 だって、片や自称情報通と事実を脚色して本にする作家なのだ。

 こんな二人に話す奴は、確実に馬鹿だ。


「いい条件ですね、一年の期限付きで。俄然、やる気が湧いてきましたよ!」

「えぇ、本気? 無理だと思うけど?」と肩をすぼめて、興奮する彼女にマイケルが口を出した。

「無理って何ですか。やってみないと分からないでしょう?」とディオネが言い返す。


「どれだけの量が必要か分からないんでしょ? じゃあやるだけ無駄だって、いいように言いくるめられたんだってそれ」と続けて「聞いて損した。無理だって無理」

 

「それにさ、ディオネも現実見なよ。そんなだから単位も取れないんだよ」

「え? 喧嘩売ってます?」


 マイケルの言葉に、ディオネは両腕の袖をまくって少し顎を突き出した。

 突き出したかおには、眉間にシワが寄っていて不穏な空気が書店内に漂い始める。


「やってみないと分からないですよ? 何でもやらないと」

「あのね、君が天才売れっ子作家でも、元経営者の我が儘に付き合わなくていいんじゃない?」


 ディオネの言葉に、マイケルが返す。彼の言葉が槍となって、僕に突き刺さった。

 

 何故か痛む、胸の奥の痛みからか涙が出そうになる。

 悔しさからではない。確かな痛みがある。

 目をそらしていたものを、突きつけられたような痛み。

 その正論が痛い。


「いや、そこまで言うのはファビオさんに失礼じゃ……」

「言わないとね、君はすぐ調子に乗るんだよ」


「我が儘は言い過ぎじゃないと思うけどね」と腑に落ちない様子のマイケルは、「泣きそうな顔しないでよ。……はぁ、少しくらい話聞くよ」と椅子に座り直した。

 痛みが引かない胸を押さえて、「……マイケルの言うとおりですけど、返済のことを考えてくれるだけで十分なんだって、なにもしなかったら三十八歳で経営者だよ?」

 

「別に良いじゃん。昔からライフアリー商会もそれくらいで代わってるでしょ? 大丈夫だって」

「それはそうですけど、ゼクラット書店は僕の店です」


「それに取り戻すのに二十年は長過ぎます。我が儘なのは分かってます。二人の力を貸してほしいんです」


 言い終わってから二人に向けて頭を下げた。

 こうして頭を下げるのは、いつ振りか分からない。別に、適当なことを言って手伝ってもらえるとも思っていない。

 

「帰ったらよかった……」と下げている頭を上げてマイケルを見れば、「別に僕は、いつも通りのことをするだけだからさ」と頭を掻いてあらぬ方向を見ている。

 

「私は、単位優先ですよね?」


 と不満げに聞いてくるディオネ。


「そうだけど、前期課程でちゃんと終わるように僕も手伝うよ」

「えぇ、できないでしょ。それ」と返すディオネに「……そうかも」と返せば三人で笑った。


 二人がいてくれて良かった。

 これで僕の計画が進められるかもしれないのだ。

 なんとか、ビクター兄さんからもう一度考え直すと言われるくらいには、ディオネに頑張ってもらわないと。


 一しきり話した後、「もう話ないよね。帰るよ僕」とマイケルは立ち上がって、棚から荷物を担いで勝手口の方に歩き出す。

 ディオネも、「まって、マイケルさんには話ありますよ。馬鹿って言ったこと――」とマイケルにくいかかろうとしていた時、玄関から物音が聞こえた。


 不審に思って暗く見えにくい玄関を見れば。


「あぁ! ファビオ! 俺だよ俺! 中入れてよ!」

「……アレックス兄さん……なにしてるの」




 


 扉をずっと鳴らしているアレックス兄さんに玄関の扉を開ければ、アレックス兄さんが息を荒げて、慌てて中に入った。

 そんなに急いでいたのか、「水、くれない?」と言ってくるアレックス兄さんに「マイケル。ごめん、水汲んでもらってもいい?」と聞けば、何度も頷いて休憩室に向かった。


「とりあえず座ってください」とカウンターまで連れて行って、アレックス兄さんを椅子に座らせる。

 

 急いで水を持ってきたマイケルは、状況が理解出来ていないのか立ったままのディオネに「ちょっと邪魔だよ」と手で退かしてカウンターにコップを置いた。


 「これ、どうぞ」とマイケルが言えば、アレックス兄さんがすぐさまコップを手にして「ありがとう」と一息で飲みきった。


「死ぬかと思った! 助かったよ」

「いきなりどうしたんです?」


「あぁ、それね。見合いの日が明日っていわれてさ、飛んできたんだよ」


 あぁ、見合いの日が明日ね。

 はいはいはい。なるほどね。結局、飛ばすんだね。

 だけど、まずいね。


「アレックス兄さん。この話を知らない人がいまいるんですけど」

「そうなの? そのふたり? ごめんね、あと商会には俺がここにいることは話さないでね」とアレックス兄さんが目を見開いて二人に話す。

 アレックス兄さんに、二人とも怖じ気ついた様子で固まった。

 

 執務室で見たその目を、今度はディオネとマイケルに向けている。

 前にビクター兄さんが見ていた光景を、次は僕が見る番になったわけだ。


 確かに、その目は怒っている様に見えるけど、それよりもだ。

 せっかく黙っていた話を、よりにも寄って一番話したらダメな二人に聞かれたのだ。

 僕が思っているより、アレックス兄さんは馬鹿かもしれない。

 

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