第4話


 教授の部屋から出れば、夕日が差し込む廊下には他の学生が楽しげな声で笑って、僕とすれ違っていく。

 

 既に一年を残すだけになった学び舎で、僕の三年の学園生活も終えることになる。

 思えば途中入学で浮いていた僕が、試験の成績で密かに聞こえていた陰口を黙らせた時は、例えようのない快感があったし。

 それにやいのやいのと理由を付けて、アースコット教授の実技講義を、見学だけにしたりと色々な事があった。

 だけど、やっぱり一番記憶にのこっているのは、エリー姉さんとライアンさんの、言い合いから始まったあの騒動だな。


「……本当に色んな事があったよなぁ、ここも」


 そんな毎日通っている訳ではなかったけど、内容の濃い三年間だった。

 夕日の優しい日差しが僕を感慨深くさせているように、外のベンチには肩口あたりで短く整えた黒髪の女学生が座って本を読んでいる。

 そんな事をしたいお年頃か。

 僕もやっていたからよく分かるよ。けどそれは、誰かが声をかけないと後から思い出すだけで恥ずかしくなる。


 女学生を横目に、学び舎の玄関まで進めば、座っている女学生に妙齢の女性が声をかけていた。

 二人は知り合いだったようで、二人して玄関の方に歩いてくる。


「エリザベスさんも、大変ですねぇ、愚息の教えはいかがです?」

「愚息なんて。それはもう、大変丁寧に教えていただけて――」


 まっずい。黒髪の女学生ってエリー姉さんじゃん。

 運良く二人からは見えない所にいたのが良かったけど、気にはなっていたんだよ。黒髪の女学生ってエリー姉さん以外にいたか? ってさ。

 久しぶりに見たからよく分からなかったけど、髪切ったんだね。前に見た時は腰まで長かったから、肩口で揃えているの似合ってるよ。

 ていうか、もう卒業したエリー姉さんがなんで学生服を着て学園にいるの? もしかして、留年した?


「今も、弟さんが通ってらっしゃるのでしょう?」

「えぇ、愚弟がお世話になってます。それに、教授とも交流があるようで――」


 愚弟ですか。愚かですみませんね。

 けど、エリー姉さんと話しているのは誰だ?


「ウチのとですか……なかなか変わった弟さんですね」

「えぇ、きょうだいで一番の問題児ですので――」


 だぁれが問題児だぁ!? 魔獣のエリー姉さんに言われるのが、一番腹が立つんですけど!

 そもそも、名前を知らないあなたも、変わった弟さんって酷い言い草だよね。

 会ったことない人に僕の陰口を言うとは、エリー姉さんはやっぱり今も性根がひん曲がっている。


「愚息も――せっかくの見合いを――」


 二人から見えないように、物陰に隠れて話を聞いていれば、エリー姉さんと話している人が大体分かった。

 アースコット教授の母上だな、あの人。

 二人からも僕が見えないが、僕からも二人が見えない。どんな見た目をしているのかも分からないけど別に、分からなくてもいいか。

 アースコット教授の問題は、彼自身の問題だから僕が首を突っ込むのはお門違いというものだ。

 決して、気の強そうなアースコット教授の母上に会いたくない訳ではない。


 いやぁ、エリー姉さんも一緒だとは、あの時部屋出て良かったよ。本当に。






 * * *






 エリー姉さんと遭遇する危機を脱した後、夕日も落ちて街灯がついている通りを歩く。


 こんな薄暗い時間でも、ライフアリー商会を囲む白い外壁はよく見えて、敷地の外からでも商会本部の照明が点いているのがよく分かるくらいに明るい。

 小さな鉄門から、いつも通り警備員さんに挨拶をして門をくぐれば、もう目的地はそこだ。


 鉄門から商会本部までの短い道中を歩けば、色々と変わるものだけど、商会はなにも変わらない。

 ただ営業時間も終わっているからか、停まっている魔導車や馬車はない。

 普及が進んでいる魔導車の道路整備をしていたようで、歩く道は転んだら痛そうな程度に固く締められている。


 見上げれば四階からの明かりが、今日も灯っている。

 扉を開けて商会の中に入れば、窓口のカウンターには職員は一人もいない。

 既に閉店していることも相まって、静かな一階から三階まで上る。




 残業中の職員をちらほらと見かけつつ、三階に着いてから少し息を整えてビクター兄さんの執務室に向かう。

 今までなら聞こえた子どもたちの声は、三階の会議室まで聞こえる騒音になったせいで、おとなしくするよう父上が注意したらしく、それ以降はおとなしくなっていた。

 ただ休みの日なんかに商会に来れば、五月蠅いくらいに子どもたちの騒ぐ声が聞こえるから、僕がここに来る時は決まって今くらいの時間帯が多くなった。

 

 以前に比べて、静かな夜の廊下を歩いてすぐ僕は執務室の前に着いて、なにも考えず扉をノックをすれば、扉の向こうから誰かとビクター兄さんが話している声が漏れる。

 重要な話の途中であれば、帰るよう注意されるかもしれないが、僕の用事というかお願いを聞いてもらおうと来ただけだったから、その時はおとなしく帰れば良い。


 なんとなく間の悪い事をしてしまったなと、帰る覚悟で待てば執務室の扉が開いた。


「あれ、ファビオ。久しぶり」


 扉が開けばいつも見る金髪ではなかった。僕と同じくらいの背丈の彼を最後に見たのは、確か乱闘騒ぎの後でビクター兄さんと孤児院の現場を見に行った時以来か。

 知らないうちに瓦礫の撤去を主導していたし、道路の整備とかも率先して指揮していたからびっくりしたのを覚えている。


「お久しぶりです。アレックス兄さん」

 

「うん、ビクターに用あるんでしょ? 入りなよ」と扉を開けば、いきなり僕の手を掴んで執務室に入る。

 されるがまま執務室に入れば、「はぁ、……ファビオも来たんだ」と椅子に座っているビクター兄さんは、背もたれに寄りかかって肘置きで頬杖をしている。


「アレックス兄さん、帰ってきたんですね」と横のアレックス兄さんを見て言えば、「今日帰ってきたんだよ」と笑いかけてくれた。

 

 隣で微笑む彼をよく見れば、乱雑に切っている黒髪には砂埃がついていて、日に焼けた肌には汗が滲んでいる。

 父上譲りの赤い目は優しく僕を見ていて、エリー姉さんと似ている母上譲りの顔立ちは、髪を整えさえすれば好青年だ。

 僕と同じくらいの身長だけど、日に焼けた四肢は筋肉がついて、僕より一段と大きく見えた。


「そうなんですね。それで何を――」

「ファビオが知ることじゃないよ」


 ビクター兄さんが座ったまま僕を遮って、アレックス兄さんは「ファビオには早い話だからね」と優しく声をかけてくれる。

 さすがはきょうだいの長男だ。ビクター兄さんと違って包容力が違う。


「じゃあ、座っても良いですか」と二人に言えば、「……はぁ、好きにしなさい」とビクター兄さんは諦めた表情をした。


 ビクター兄さんが座っている椅子の対面にある椅子に座れば、机には二つのコップが置いてあった。

 僕がノックするまで、アレックス兄さんも座っていたようで、「ファビオも喉渇いたでしょ」と僕に聞いてくれる。


「いいんですか? お願いします」

「アレックス兄さん。ファビオは甘やかしする年じゃないよ」と、余計な事を言う次男。


 黙っててくれ、ビクター兄さん。せっかく久しぶりに会ったんだ、少しくらい甘えても末っ子の僕は良いでしょ?

「まぁ、いいじゃないか。久しぶりにファビオにもエリーにも会えたんだからさ」とアレックス兄さんがお茶を淹れに執務室を出て行けば、ビクター兄さんと二人きりになったことにため息を吐く。


「学園でエリーをみたかい?」


 とビクター兄さんは頬杖したまま聞いた。

 目の前で座る彼の顔を見れば、疲れているのがよく分かった。


「見ましたよ。学生服を着ていましたけど……」

「やっぱりかぁ」


「あのまま行ったのか……」と項垂れるビクター兄さんに「あのままって、何が?」と聞いてみれば、「アレックス兄さんに学生服姿の自分を見てほしかったらしいよ。それでね、さっきまでここで遊んでいたんだよ」


 なるほど。僕が学園でエリー姉さんを見つけて良かった訳だ。

 なんというかディオネの事以外なら良い具合に物事が運んでる。エリー姉さんと鉢合わせしなかったのが良い証拠だな。


「でも、なんでエリー姉さんが学園に?」

「あれ? 聞いてない?」


 聞いてないも何も。知らないよ僕は。

「誰からも聞いてないですけど」とビクター兄さんに返せば、「……エリーのやつ」と彼の眉間にシワが寄った。


「アースコット教授に用がなんちゃらとは聞こえたんですけどね」

「……まぁいいか。エリーの病気の件でね。私も詳しく知らないけどね」


 繊細そうな話のようで、苦笑いを浮かべるビクター兄さんに、これ以上聞いても無駄だと感じた。

 前に座るビクター兄さんが一息をついて、コップに残っているお茶を飲みきれば、ちょうど執務室の扉が開く。

 アレックス兄さんが、盆を持って運んできたのだ。

 それを僕も手伝って、彼から盆を受け取れば三つ分ものお茶が入ったコップが盆の上にあった。


「ビクター兄さんの分もですか?」

「そうだよ。飲み切りそうだったからさ」


 大当たりだ。

 

「ありがとうね」と執務室まで運んできたのは、アレックス兄さんの方なのに机に置くだけの僕に礼を言われた。

 むず痒くなる体に、少し照れて赤くなったと分かる自分の顔。

 顔を隠すようにコップを置いて、椅子に座り直してから盆を椅子の横に置いた。


「ありがとう、アレックス兄さん」とビクター兄さんが礼を言えば、さっきまでの苦笑いも眉間のシワもどこかに消えていた。

 彼をよくよく見てみれば、目のクマがない。

 最近は忙しくないのか、ビクター兄さんの目のクマがその多忙さの目安なのだ。


「いいよ。長男として当たり前のことさ」と照れもせず、柔やかに笑うアレックス兄さんに僕の用事を話す機会がないように感じた。

 どうしようかと考えて、コップの茶を飲んでみればちょうど良い加減のお茶が僕の喉を温めてくれた。


「それでね、ビクター。話の続きだけど、俺のお見合いのこと飛ばしてくれないか?」

「えっ!?」


 アレックス兄さんが見合い!?


「はぁ。ファビオがいるのになんで言うのさ」

「あぁ、ごめん。 忘れてた」


 横で笑うアレックス兄さんと、「まったく」と笑うビクター兄さん。

 

 えぇっと。急展開過ぎて二人を交互に見てしまう。


「ファビオ、エリーと母さんには内緒にしてね」とアレックス兄さんが僕の頭を撫でた。

 昔から、良くないこととか黙ってほしい時に、エリー姉さんとよくされたのを思い出す。


「別に……いいですけど、お相手は誰ですか?」

「アースコットのご息女だよ。綺麗な人」


 こともなげに言うアレックス兄さんに、僕は頬が引き攣った。

 

 まさか、いい大人二人が見合いを飛ばそうとしているのは、人として二人ともどうかと思う。

 これだったら、学園からそのままゼクラット書店に帰って明日ここに来たら良かった。

 ごめんよマイケル。職員に囲まれて窮屈だと思うけど、僕も今世間の狭さに窮屈さを感じているから。

 

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