第3話
ディオネの単位不足発覚から十日と過ぎて、僕は今アースコット教授の部屋で菓子を食べている。
ただ、僕と同じように座る教授へ問いかけたい衝動を抑えて。
書類を見ては、うんうんと唸っている教授を見るとビクター兄さんと本当によく似た仕草をするから面白い。
締め切り分の原稿は先に受け取っているし、帰ろうと思えば帰れるけど、どうしても聞きたいことがあるから菓子を食べながら待って、頃合いを見て話す機会を伺っているのだ。
「もう、いいや」と投げやりに書類に何か書いているアースコット教授に、「大丈夫ですか?」と声をかければ「大丈夫、大丈夫。もうこれで終わりだしね」と何かを書いた書類を机に裏返す。
僕に見られるのが嫌なのだろうけど、唸るほど考えていた書類に少しばかり、興味が出てくる。
一息ついて、冷め切っているお茶で口を潤す教授に、聞きたかった事をようやく聞く機会が来た。
「ディオネの単位のこと知ってました?」
僕は、茶菓子を軽く食べる教授にディオネの事を聞く。
「知ってたよ。こんな身なりでも教授だからね」と続けて、手に持っていた菓子を机に置いた包み紙の上に重ねて「それに助手のことでもあるからさ」とまた、お茶を飲む教授。
あいつまだ助手してたの? 専属作家になって助手をする必要ないくらいお金渡しているはずなんだけど。
「ディオネ、まだ助手してるんですか?」と僕が不審がっているのを察したのか、クスリと笑って「してるよ」と返される。
不格好に背もたれへ寄りかかる僕に、アースコット教授は笑って「でも、仕事の量は減らしてるから無理かな」と彼も背もたれに体を預けた。
「なんでです?」
「だって、単位取るまで作家業は休止でしょ? まぁ仕方ないか、退学宣告されたらたまったものじゃないだろうしね」
退学宣告か。確かに、そこまで行くともう残された手段はない。宣告を受けた学生はすべからく退学だ。
今回のディオネの話も、学園からの最後通知で発覚したらしい。段階的には退学宣告から三番目の通知だ。
ディオネは、それまで隠し通していたのだから見かけによらず、計算高いのかもしれない。
違うか。計算高いんだったら、そもそもちゃんと単位取るか。
「そ、そんなことまで知ってるんですね」
「まぁね、本人から聞いたからね」
まさかの同時進行で、自分の原稿とアースコット教授の原稿を仕上げているとは。
というか、そのせいで勉強がおろそかになったんじゃないのか? まぁ、次会った時に聞いてみるか。
「でも、こうして原稿を仕上げてくれるんですから。アースコット教授も速筆になってきたんじゃないですか」
僕の言葉に「えぇ、そうかな?」と鼻を頭を掻いて照れる彼は、「ディオネさんに仕上げてもらっているからねぇ」と続けて「私はもうほとんど書き上げてないんだよ」と照れた顔で僕に返してくる。彼の言い方に違和感を覚えた。
「だったら、この原稿は?」
「もちろんディオネさんに頼んだよ」
「この前の原稿も?」
「そうだよ。この前もだし、もっと言うと助手してくれるようになってから、ディオネさんから提案されたんだよ」
「ディオネから……ですか」
「そう。やらせてみればさ、私よりもよく書けてるからびっくりしちゃったよ」
だからか。締め切り間近で慌ただしい教授を最近見なくなったのは、教授の原稿はディオネが書いていたからか。
僕は「それっていつからですか?」と尋ねてみれば「ちょうど、商会の乱闘騒ぎの後からだったはずだから……一年くらいかな」
昨日までずっとか、単位が足りないことって絶対それが原因だろ。
ただ、お金の話が気になる。
乱闘騒ぎの前に話した時は、彼女にも書店が直接支払うよう教授からもお願いされたし、その支払いも結局一回だけで終わったから、もう助手はしていないものだと勘違いしていた。
「じゃあ、ディオネへの支払いはどうなっているんですか?」
「私から払ってくれって言われたからね、そうしてるけど?」
「それにさ、原稿料は私が受け取ってるけど、そのうち七割はディオネさんに渡したいんだけどね。彼女には固定で五千ベントを払ってるよ。『差額は研究費の足しになれば』と言ってくれるんだ、謙虚な子だよ」
唐突な答え合わせができたかもしれない僕に、たたみかけるように「まぁ、さすがに原稿料をもらいすぎてるからお菓子とか差し入れてるんだけどね」と菓子を食べながら話してくる。
「じゃあ、この菓子はディオネの差し入れ用のですか?」
「そうだよ、教えてもらった店の菓子だけどね」
そう言って菓子の包装を見て、僕に「ほら、ここだよ」と最近できて有名になった店の名前を見せてくる。
嬉しそうにしている教授に、僕の肩が落ちているのが分かる。
「じゃあ、単位も融通してあげてくださいよ」
「無理だよ。何言ってるんだい?」
僕の呟きに返してくるアースコット教授は「単位は無理にしてもね、授業内容の解説も予習箇所も教えてるのに、それでも単位が取れていないのは彼女だ」と優しく僕に言ってくる。
「分かりますけど、僕らの管理不足でもあるわけですし……」と僕が返せば、少し考え込むアースコット教授。
さっきまでの和やかな雰囲気が霧散したようで、重たい空気が部屋に充満し出す。
「ファビオ君の言いたいことも分かるけどね」と呟くアースコット教授は、下を向いて口を開く。
「管理不足はディオネさん自身だから、僕らの責任ではないよ。まぁ、彼女に期待して原稿を任せていた私が言っても」と一拍おいて、「ファビオ君から見れば、そんなことは関係ないか」と笑って冷めたお茶を飲み干す。
後の言葉がないようで、追加のお茶がいるか聞いてくるアースコット教授。
最初に淹れてもらったお茶が、既になかったから「お願いします」とコップを彼に渡す。
快晴の外からは、学生の楽しげな声も聞こえてくる。窓から入ってくる風は涼しくて部屋の空気を入れ換えてくれる気がしたが、黙る僕にはアースコット教授の言った言葉の意味が理解出来なかった。
ようやく日が傾いてきたアースコット教授の部屋に、僕は一人で受け取った原稿の確認をしている。
そもそも、僕が学園で受けないといけない講義は、一年前に比べると少ない。
あと一年で卒業する僕にとっては、講義が終われば後は自由時間な訳だから、こうして日の高い時間からアースコット教授の部屋で暇を潰している訳だ。
断じてマイケルが、ライフアリー商会の職員と、一緒に働いているゼクラット書店に、帰りたくないからではない。
「管理不足……か」
僕からそんな言葉が出るとは、僕も思わなかった。
管理する側よりも、される側にいることが多かった僕に、管理する側に考えが分かる訳ない。
あまつさえ、ディオネを管理しようとすら考えなかったはずなのに、気がついたら管理しようとしていた。
今気がついて良かったと、楽観できたらそれはそれで良いんだけど、自身が嫌になる。
ため息を吐けば、もらった原稿で何個目かも数えていない誤字を見つけて、修正するようペンを入れる。
余りの誤字の多さと、よく似た誤字の傾向は確かにディオネが書いたと分かるが、ちょっと多すぎるぞこれは。
「ふぅ、ふぅ……ファビオ君、まだいたんだ。進捗どう? お茶いるかい?」
僕に声がかかった。
原稿を見ていた僕は、その声の主を見るとアースコット教授が慌てたような格好でも講義から戻っていた。
扉を開ける音が聞こえてなかったから、集中して確認作業が出来ていたのだろうけど、戻ってきた教授の慌てた姿を見て首をかしげた。
「なんで慌ててるんですか?」
「いやぁ、それは言えないけどさ。私も色々と大変なんだよ」
まぁ、大変な理由は多分、分かる。
「見合いの件ですか?」と僕がアースコット教授に聞いてみれば、「何で分かったの!?」と大きな声を出して僕に聞いた。
まぁ、裏返した書類をそのままにして講義に行ったら誰でも見たくなるじゃないか。
「なんとなくですよ」とその書類を見て、アースコット教授が今日の見合いを飛んだことを知ったのだ。
唸っていたのは絵の女性の事だろうけど。
「カマかけられた訳かぁ」と講義の資料を机に置けば、僕と話していた時に座った椅子へもう一度座って「ちゃんとファビオ君には話しておかないとね」と意味ありげな顔をして話し始める。
「ちょっとね、見合いを飛ばし続けすぎてね。母がカンカンに怒っちゃってさ」と膝に肘をついて手を組む彼の姿は、講義に出る前の余裕綽々とした姿とはほど遠い。
聞いてほしそうに僕を見てくる目も、講義前までの年長者然とした目つきではなく迷える子どものようなつぶらな目をしている。
「まぁ、見合いを僕も行ったんだけどね、香水っていうんだったっけ? あの匂いのきつい液体を皆使うからさ。吐きそうになって……」と匂いを思い出したようで、吐きそうな顔をしている。
そんなアースコット教授に「それでまた飛んだんですね」と返せば、ゆっくりと頷く彼の姿にもう哀れみしかなかった。
「そうなんだよ。……それでさ、母が今……学園に来ててさ。びっくりしたよ、講義前にさ、チラッと玄関口が見えたんだけど――」
「その時に見たと」
「そう、それで講義が終わってすぐに走って戻ってきた訳だ」
要はだ。見合いはしたけど、香水の匂いがキツいからもう見合いしたくないんです。って意思表示をしたら、見合いを設けた母親が職場に来ちゃった。ってことだ。
いや、子どもかあんたは。
「教授に飛ばれた人がかわいそうですよ」
「いや、その人なんだけどさ、絵と全然違うんだよ。だって、この絵から十五年経っているらしいんだよ?」
アースコット教授が僕に裏返していた書類を渡してくる。さっきも見たが、その書類の絵の女性は活発そうな雰囲気のする女の子だった。
茶髪に同色の瞳、そばかすがついた顔からは、まさに活発そうだなとパッと見た感じの印象で分かる。
よくできた絵だと思うし、絵自体が教授が言う十五年経っているといっても、そもそも――。
「よかったじゃないですか。十五年経っているんだったら教授と同じ年くらいでしょ?」
「そうだね、彼女の歳は二十八歳だ」
アレックス兄さんと同じ年か。別に良いんじゃないかな? でも違うのだったら。
「小さな女の子がいいんですか? それなら今後の付き合いは控えさせてほしいんですけど」
「ち、違うって! 見合いをしないよう話そうとしたんだ。小さな女の子だと思ったから! かわいそうだろ?」
「で、会ってみれば……」
「……二十八歳だった。びっくりしたよ本当にね」
あぁ、見てみたかったなぁ。その見合い。それって、絶対面白いじゃないか。
義憤に駆られた男が、意気揚々と見合いに行けば女の子は、ちゃんと大人の女性でしたって。売れるよそれ。
「時間が開いたらでいいんで、その見合いのこと本にしましょうよ。面白いですよそれ」と僕がアースコット教授に提案してみれば「勘弁してよ」と小さな声で呟く。
アースコット教授は特大のため息をして、不格好に背もたれへ寄りかかった。
「教授の母上もいらっしゃるんでしょ? 今、学園に」
「そうだね、直に呼び出されるんじゃないかな。」
アースコット教授に問題発生だな。
仕方ないか。新しい原稿は彼が元気な時にでも頼むとしよう。
「じゃあ、僕は帰りますよ。あとこれ、もらった原稿の誤字が多すぎるんで直してからゼクラット書店に送ってください」
「待ってよ! 心の準備ができていないんだ。だから……」
下を向いて何か言いたげなアースコット教授のことなど待ってられない。原稿については特に何もないようだから直してくれるのかな?
椅子から立ち上がって背伸びをする僕に、「いや、ファビオ君は巻き込めないな、ごめんね」と悟ったような顔で口にする彼へ「ではまた」と言って部屋を出た。
閉めた部屋の扉の向こうから聞こえるため息の大きさは、ビクター兄さんのため息とよく似ていた。
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