『深窓の令嬢の知られざる本性』発売前の書店にて1


 ゼクラット書店最初の専属作家ディオネ・スカンタールのデビュー作が出来上がった。

 僕とマイケルは書店で店番をしているが、二人でカウンターの椅子にいつも通り並んで座る。

 売っている本の整理も終わっているし、書店に客はいないから、暇つぶしに製本したデビュー作の本を二人で読んでいる。


 今日は学園での講義がない日だ。

 朝から製本をするにはうってつけの日だったから、早くから作業して開業する頃にはできている。

 もし、二十日前の夜にエリー姉さんに殴られていたら、こんなのんびりできていないし、この世にいなかったのかもしれない。


「やっぱり、ちゃんと書けてるよねぇ」


 マイケルの呟きは、同じ本を読んでいる僕も同感ではある。

『朝焼けに赤く輝く建物を見て、私は一人佇めば――』から始まる原稿の出来は、読むほどに本の中に入り込むような錯覚すら芽生えさせる。


「これを書いたって言うんだから……すごいよねぇ」


 読み出してから、マイケルの呟きは続いている。

 うるさいなと、何度か黙って読むように言っても無視された。ずっと文字を追っている彼の目に僕など写っていないし、彼の耳は頭で描かれている本の人物の声で一杯だ。

 マイケルの頭の中には、主人公を取り巻く騒動が想像できているのだろう。

 その証拠に、読む前から置いてあるコップに口を付けていない。


「絵もいいしね、言うことないよ本当」


 だから、僕に言っているのかいないのか、はっきりしてくれよ。僕も集中して読みたいのに。

 苛立ちが募る僕とは対象的に、マイケルの読む速度は変わらない。

 ページをめくる度に呟くせいで、これから読む僕への当てつけでもあった。


「ふう、凄い子だよねぇ、ファビオ君はどう思う?」


 独り言の呟きを我慢して聞いていた僕に話しかけてくるマイケルは、読んでいる途中の本に栞を挟んでコップに口を付ける。

 一息ついて、満足そうに僕の方を見てくる彼に、本の感想を書く紙を丸めて投げる。

 「いて」とマイケルは大げさに頭を抑えて痛がった。紙が当たったのは右肩なのに頭を抑えて「暴力反対」と面白そうに笑って僕を見てくる。

 

「一々口に出してうるさいんですよ」

「声でてた? ごめんね。でも、癖だから仕方ないよ」


 笑ったまま返すマイケルは、僕が投げた紙を広げる。

 興味ありげに広げて、紙に書いている内容を読もうとしているマイケルだが、広げ終わった紙を見た途端、興味が失せたように僕を見る。


「なにも書いてないじゃないか」

「あんたがうるさいから集中して読めないんですよ!」


 紙を返してくるが、その顔は実に不満そうで「じゃあ、僕は休憩室で続きを読んでこようかな」と本とコップを持って立ち上がる。

 

「ついでに昼休憩でもしていてください。ディオネも講義が終わったら書店に来る予定なんで」

「分かってるよ、大丈夫ちゃんと休憩しておくから」


 マイケルが休憩室の扉を閉めて、書店には僕一人が残る。

 整理した棚には売り余っている本はない。

 ディオネの本が問題なければすぐにでも売り出す準備もできている。






 ディオネの驚くほどの速筆は僕も驚いた。

 契約してくれた日から『深窓の令嬢の知られざる本性』の改稿依頼を出せば、休学していた間に彼女は一から書き直したのだ。

 修正で良いと言ったはずなのに、「エリザベスさんの話を聞かないと!」と興奮して取材するくらいには、時間を掛けているはず。


 当のエリー姉さんは怒りとかサッパリ忘れたようで、ディオネの取材に上機嫌に答えては、どこから取り寄せたか知らない有名店のアフタヌーンセットをディオネと食しながら過ごしていた。

 僕が野暮用で実家に帰った時には、ディオネがいなかったことに拗ねてすらいたのだから、よほど気に入った様子だ。




 起承転結の、起の部分だった十五ページ分を読み切って次のページをめくれば『日の光がその青みがかった黒髪に反射して、夜にいる感覚が私を包む。』と冗長な表現がある。

 読み進めれば『横から見る彼女の瞳は、紅玉が埋まっていると錯覚するほどに輝いて、その瞳があたりの景色を反射しているようにも見えた。』と書いているけど、黒い髪に赤い目か。


 それって、エリー姉さんじゃん。

 

 『髪に反射して映える肌は、東国の白磁の陶器よりもなお白く、細い腕に脚は動く度に残光が残っている。』読んでここまで胸が気持ち悪くなるのは初めてだ。


「エリー姉さんを参考にした表現は、もっと短く簡潔に。っと」


 読んでられないってこんなの。何だよ、紅玉が埋まっていると錯覚するって。血に染まった赤い瞳くらいがお似合いだろ。

 僕が読んだ最初の本から『深窓の令嬢の知られざる本性』は大幅に増えて百二ページの長編になっている。

 以前は五十ページそこらだったけど、それを倍の量を二十日で仕上げるのは、さすがに人間味がない。


「まぁ、インク写りは……」


 いいな。やっぱり最新の版画機で刷った試作の本に、インク汚れは一切ない。

 文字が霞むことも、挿絵の版画ミスも見ているが概ね問題ない。ただ、絵の出来だけが最初の本とは違う気がするけど。

 

 まぁ、これくらいなら問題ない。

 僕のチェックも、横でぶつくさ呟くマイケルがいなくなってようやく進みだした。






 * * *






 チェックも、残すところ起承転結の転が終わって結にさしかかる。

 書店にも、夕日がかって来る頃に「お待たせしましたぁ」と待ち人がやってきた。

 休憩室の扉を開けば、昼休憩からずっと本を枕に寝ているマイケルに「起きてください」と肩を揺す。

 鼻を鳴らしてマイケルが起きる。


「……あぁ、ファビオ君。どうしたの?」


 寝ぼけ眼で僕を見るマイケルに「ディオネが来たんですよ」と返せば、「そうだったね。……よく寝たぁ」と背伸びをして立ち上がる。

 マイケルに「早く来てくださいよ」と言ってから休憩室から出るれば、待ち人のディオネは、休憩室から出た僕のすぐ前まで来ていた。


「どうも、今日は私の助手も連れてきました」

「助手?」

「はい、じゃあ挨拶して」


 ディオネはそう言って、後ろに下がれば二人の女の子が目に映る。

 見覚えのある茶色の髪をリボンで括った姿に、孤児院や商会での記憶が蘇る。


「セイラです」

「レイラです」


 あ、そうだ。この二人だ。恥ずかしそうに自己紹介する彼女たちに微笑んだ。

 ディオネはそんな彼女たちに。「なんで恥ずかしがるの? ファビオおじさんじゃん」と余計な事を言えば、「ディオネ姉ちゃん! やめてよ!」とレイラちゃんが恥ずかしそうにディオネの影に隠れる。


 書店に通ってきてから、ディオネもマイケルに似てきたよね。

 全くもって嬉しくない。


「それで、二人は何できたの?」と彼女たちに向けて言えば、セイラちゃんはどうしたら良いか分からないようで、レイラちゃんと一緒に彼女の影に隠れた。

 

「もう」と言いながらも二人の頭を撫でて、ディオネは「二人は私の助手ですからね、手伝ってもらわないと」と話す。

 いや、別に手伝ってもらう事はない。

 助手だからって、子どもに手伝ってもらうほど人手不足じゃないぞ。


「大丈夫。さ、二人ともマイケルおじさんもいるからね」


 ディオネがそう言えば、隠れていた二人が顔を出す。

 二人ともそんな人見知りって感じでもなかったけど、子どもってよく分からないな。


「マイケルはどこ?」


 セイラちゃんが僕に聞いてくれば、休憩室の扉が開いて「マイケルおじさんだよぉ」とマイケルが顔を出した。


「「わぁ!」」 と二人が声を上げてマイケルに突撃する。

 なんでマイケルは子どもに人気かよく分からないけど、二人の世話をしてもらうには適任か。


「おい! 今日はディオネだけじゃないのか!」

「私もそのつもりでいたんですけどね、二人が連れてけってうるさくて」


 ディオネは頭を掻いて「疲れましたよ、二人のお守りは」とカウンターに歩き出せば、マイケルにしがみついた二人に向けて「マイケルおじさんが遊んでくれるって、よかったね」と興味なさげに椅子に座る。

 ディオネの言葉を聞いた二人は、「うん!」と返して、マイケルの服を掴んで休憩室に入っていく。


「ファビオ君、変わってよ」

「店じまいする時呼ぶんで」


 引きづられるマイケルを見て休憩室の扉を閉める。

 開けていたらうるさいからね。


「で、君は? 今からでも感想言おっか?」


 ディオネに話しかけたが、彼女はカウンターに置いていた本を手に取ってめくる。

 僕が読んでいた本をさらっと目を通した彼女は納得していないようで。


「やっぱり、絵の感じに躍動感ないな」


 本を閉じる彼女は、「この本、誰が版画しました?」と聞いた。

 躍動感とは? 走る姿とかのあれでしょ。いる?


「僕が版画したけど、躍動感ってなに? いるの?」

「えぇ、本当に書店の人です? まぁ、実物見てもらった方が分かるか」


 ディオネは本を置いて引き気味に僕を見る。

 立てば、そのまま休憩室に向かって歩く彼女についていく。

 扉を開くと、一気にマイケルと二人の声が書店内に響いてくるが、「二人ともお仕事の時間よ!」とディオネが大きな声でセイラちゃんとレイラちゃんを呼んだ。


「「はぁーい」」と二人の声が重なって聞こえれば、休憩室から出てくる。


 二人を見て、すぐにディオネが版画機を置いている部屋に案内した。


 歩いていくディオネに「君の仕事場じゃないんだけど」と切り出すけど、「いいじゃないですか、減るものなんてないんですから」と返される。


 「インクと紙が減るんだけど」

 

 既に僕の言葉を聞いていない彼女は、セイラちゃんとレイラちゃんの三人で楽しそうに話している。

 

 部屋に着くなり、窓を開けて版画機を起動するディオネに「二人ができるの?」と聞けば、「できますよ、私が仕込んだもの」と当然のように返すディオネ。

 僕には不安しかないけど、彼女の自信満々の表情からは失敗することなんて一切考えていないように見えた。

 ディオネが、二人に版画機の取り扱いを一通り説明していけば、レイラちゃんが僕の方にやってきた。


「版画の元原稿と原板はどこにありますか?」


 レイラちゃんが聞いてくる。

 朝に使ってすぐに片付けた原稿を棚から出してレイラちゃんに渡す。

 そこまで重いものでもないけど、彼女にとっては重いはずだがレイラちゃんは軽々と受け取った。

 

 笑顔で「ありがとう!」と言うレイラちゃんに「いいよ」と返すが、大事なものだから二人のやることを注意深く観察する。

 壊されたらたまったものじゃない。

 勝手に案内して説明を終えたディオネは、部屋に置いている椅子に座って鼻歌までしている。


「試し刷りしても良いですか?」

「いくらでもやっていいからさ、手早くね」


 セイラちゃんは、僕に聞いてきたはずなのにディオネが勝手に答える。


「分かった!」とセイラちゃんが版画機で紙を刷っていく。


「大丈夫なの? 本当に?」

「大丈夫ですって、ファビオさんより二人の方が版画上手ですよ」


 ディオネは僕に笑って答える。

 版画機の前で座って出来上がる紙に、真剣な眼差しの二人を見るけど。

 

 そんな技術あるわけないだろって、僕の方が上手いって。

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