幕間1

豪商の末っ子は、窮地を知らない。

「ファビオくーん、版画機の墨無いんですけどー」

 

 僕は、マイケルに「買い出しお願いします!」と指示を出す。

 いかんせん版画の量が多すぎて、今は猫の手も借りたいぐらいだ。

 

 というか、曲がりなりにもこの本屋の経営者たる僕に対して同僚のように話しかけるとは、僕はとんでもない人材を採用したみたい。

「はーい」とやる気のない返事が聞こえれば、マイケルは金庫に向かった。

 あんなでも、本の版画は一番上手なのだからやるせない。


「うわ、墨の分のお金ないですよー」


 そんなわけ無いじゃん。とは思いつつも嫌な予感がする。

 

 金庫を見に行けば、マイケルが「ほらっ」と金庫を開けてその中を僕に見せた。

 

 何も入ってなかった。貴重品くらいは入っていそうだったが、顔が引き攣る。


「前に買った紙代っていくらでした?」


「紙代ですか?」と帳簿を確認するマイケル。


「一枚百ベントを五千枚卸したんで五万ベント使ってますね」

「そんなにかかったの!?」


「紙ですからねぇ」とマイケルが言うが、他人事じゃない。

 元々、薄くて白い紙は高級品に分類されるが、せいぜい高くても二十ベントくらいのはずだった。

 最近の市場を確認していなかった僕の責任だが、さすがに高すぎやしませんか?

 紙十枚でご飯食べられるじゃん。


「墨どうします?」


 聞いてくる彼には悪いが、お金がないと何も出来ない。できるだけあそこに頼りたくないが、行くしかないだろう。

 後から何をお願いされるか、分かったものじゃないけど。

 それに何回も、お金だしてもらってるんだよね。怒ったところを見たことないが、そろそろ怒られそうだ。

 普段はつかないため息を、何回もついてしまう。嫌なものは嫌なのだ。

 僕はマイケルに「商会行ってきます」と告げる。


「いってらっしゃーい」と気の抜けた返事が返ってくる。


 本当は、マイケルに行かせたい。でも行かせたら辞めるとか言い出す、というか言ったし。

 やむなくだけど、僕が行くしかない。本当に行きたくないが。






 * * *






 ライフアリー商会の一室にて、目の前で座る僕と同じ金髪を長く伸ばした、少しタレた赤い目の周りには薄くクマができている次期商会長に向けて、懇切丁寧にお願いをしている。

 聞いている彼は、座り直して僕を見てくる。少し居心地が悪い。


「というわけなんですよ、ビクター兄さん。追加投資を前向きにご検討をお願いします」

「30日前も同じようなこと言って頭を下げて今日も、ねぇ」


 チクリとビクター兄さんの放つ言葉が胸を刺してくる。

「あのさ、ファビオ」と、最近で出てきた腹を兄さんはさする。

 

 さながら物語の悪徳商人のようにどっかりと椅子に座るビクター兄さん。その体重で椅子が軋む音が聞こえる。


「そもそもだけどさぁ。渡したお金はどこに消えたの? 結構、出したはずだよ」

「版画機に使いました」


「あの、帝国から取り寄せてたあれかぁ」と顎を触って上を向くビクター兄さんに、僕は変なこと考えていそうな予感があった。

 いつも、無理難題を言ってくる時と同じ格好だからなおさらだ。

 

「じゃあさ、その版画機を担保にしたら、返してはもらうけどお金を出そう」


 何言ってんだこいつ。ふざけんじゃねぇよ。オーレリア産の最新型版画機を担保だと? 複写速度と印刷速度過去最高水準、墨さえ用意できれば3色まで色分けも可能な高性能版画機。

 百五十万ベントもしたことは黙っておく。

 けど、それで融資してくれるというならばなんとかなるか。

 

 融資も結局、返せば問題ないのだ。兄弟特権みたいなものだろうけど、ありがたい提案ではある。


「分かりました。大変遺憾ではありますが、担保にしましょう」

「え、そんな態度でいいの?」


「失礼しました、次期商会長。提案していただいた通り、版画機を担保に融資をお願いします」


 クソがぁ! 食べ過ぎ飲み過ぎで太ったくせに! 会食だからとかなんとか言って夜の店に行ってぼったくられてるくせに!

 おっと、言葉がすぎたか。声に出したら、とっても危ないのでこの辺にしておこう。


「取りあえず、書類関係は後日でいいから、入り用のお金は出すよ。ゾトーさんにもらってね」

「さすが兄さんです。かっこいい。太っ腹」


 どこか諦めたようなため息をして何か言っているが、知ったことではない。

 三日後に発売するためには、何よりもお金が必要なのだ。




 ビクター兄さんとのお話は、これから会議があるらしい兄さんの邪魔にならないよう部屋を出た。

 ゾトーさんに兄さんとの話をして、「またですか」と小言を言われたし、大丈夫か? みたいな顔をされたけどお金を出してもらった。

 まただよ! ちくしょう。


 ちなみにだが、僕がここまで恥も外聞も考えないでお金を無心しているのは、三日後に出版する本のためだ。

 他の書店が出している娯楽本に一石を投じる様な娯楽のための本を売るのだ。今までの文字の細かい本とか、誰に読んでほしいか分からない参考書じゃない。

 次のページをめくる手を止められない本を。

 読んで楽しかったと思える新しい本を。






 * * *






 『吟遊詩人の吟誦ぎんしょう集』を世に送り出してから七日。期待とは裏腹に日が過ぎた。いや、経ってしまったが正しいか。

 僕の本屋で出版した『吟遊詩人の吟誦ぎんしょう集第一巻』は、全くもって売れていない。

 

 正確には、吟誦ぎんしょう集の作成を手伝ってくれた人の友達が買ってくれた。総売上、六部だけ。


 店先に並んだとりあえずの五十部は並んで、客は一瞥しただけで通り過ぎる。

 出版した日は初めて自社出版した本だったこともあって、売り文句の一つや二つ話したけれど、七日経ったらそんな気合いもなくなった。

 全然興味なさそうにページをめくる客の姿を見れば、売り出す言葉は出なくなる。

 さすがに、僕の目の前でそんな顔しなくてもいいじゃないか。むごすぎるよ。


 まぁ、七日も経てば色々なことが落ち着くもので、今日は珍しくも本屋にビクター兄さんが来る日だ。

 開店祝いで一度来ただけで、それ以降はビクター兄さんも忙しいから何だと来ていない。

 今回は、七日前に決めた融資の件で来るらしい。

 

 僕たちが伺うことも当然話したけど、伝言に来た職員さんはビクター兄さんが来ることは決定事項だと言ってそのまま帰った。

 嫌らしい言葉の集中放火を浴びそうで、その日から僕は憂鬱な気分だ。吟誦ぎんしょう集が売れていればこんな気持ちにならなくすんだのに。


「調子はどう?店長さん」


 物思いにふけっていれば、七日前に見た金髪の太っちょとゾトーさんと見たことない女性が僕の前にやってきた。

 開いていた書店の扉からそのまま入ったのだろうけど、知らせて欲しいものだと思うよ。

 

 ただ、太っちょとゾトーさんは知っていたが、あと一人は本当に知らない人。

 後ろで束ねた青色と黒色が混ざった髪に、僕より高い身長に体格もいい。ワグダラ王国民の特徴だ。

 深い青色の瞳は鋭く、僕を値踏みするように見据えている。ビクター兄さんとは対照的に、一切の甘さを感じさせない厳格な雰囲気を纏っていた。


「すこぶる調子はいいですよ。元気満タンって感じです」


 僕が、盛大に皮肉を込めて言ってやったが、優しく笑いながら「よかったね」と全然効いてない様子で返される。

 出だしは頗るよくない。彼らは当然、本を買ってくれる訳ないので、奥の休憩室に案内する。

 店番を版画機の部屋で点検していたマイケルに交代してもらって、くだらないやりとりをビクター兄さんとする。

 だけどこんなことで、憂鬱な気持ちは晴れるはずもない。何なら黒く曇ってすらいる。


「ファビオ。ちゃんと聞いてほしいんだけどね、融資の件だけど」


 休憩室に入ってすぐ、ビクター兄さんは本題に入った。

 座り心地がよくない椅子に座って僕を含めた四人は腰を動かす。版画機にお金をかけすぎて、椅子を買う予算を削ったせいだ。


「まず、これまでの融資総額を確認させてもらうよ」


 ビクター兄さんの言葉を皮切りに、ゾトーさんが取り出した帳簿には僕が見たくもない数字が並んでいた。

 

「開店準備資金として一千万ベント、版画機購入に五百万ベント、そして開業から今回に至るまでの運転資金として二百六十万ベント。合計一千七百六十万ベントになります」


 改めて言われると、僕の胃がキリキリと痛んだ。とんでもない額だけど、今回の吟誦ぎんしょう集さえ売れていれば運転資金分は返せたはずなのに。

「前に話した版画機の担保の話はどうなんです? 五百万ベント分の価値あると思いますけど?」と苦し紛れは僕も分かっているけど、ビクター兄さんに切り出す。


「カーラさん、版画機について教えてあげてください」


 ビクター兄さんが青髪の女性に声を掛けた。女性はその言葉に立ち上がって僕の目を見る。


「私、カーラ・ダグリャルと申します。ライフアリー商会では審査部長補佐を勤めています、よろしくファビオさん」


 青髪の女性――カーラさん――が、僕に自己紹介してくる。カーラさんの言葉に会釈して返す僕だけど、審査部長補佐って、取締役の一個下の役職じゃないか。

 ビクター兄さんは商会の偉い人を連れてきたのか。

 カーラさんは、自己紹介もそこそこに椅子に座り直して、書類を僕にも見えるよう机に置いて話し出す。

 

「では、説明します。版画機などの査定させてもらったところ、中古市場では全て合わせて八十万イグト程度の価値しかありません」

「え?」


「最新型とはいえ、一度使用された版画機は大幅に価値が下がりますから。それに加えて、版画機の需要がほとんどない現状では、買い手も限られます」


 カーラさんの言葉が僕の頭に反響して、真っ白になった。五百万ベントも使った最新の機材の価値が、八十万ベントしかないって言われたら誰でもそうなる。


「つまり、担保だけで融資額はカバーできないってことになる」とビクター兄さんがカーラさんの言葉に続ける。

 僕はビクター兄さんに向けて、まとまらない頭を整理して真剣な目で見てくるビクター兄さんに切り出す。


「……じゃあ、どうすれば。……そうだ! 他に担保できるものって――」

「ないよ。大して売れない本の権利なんてたかがしれているし、土地くらいしか担保できないけど、この土地ってライフアリー商会が持っているから担保の意味ないしね」


 どうしようもないのか。僕は何かないかと焦る頭で必死に考えるが、ビクター兄さんが言った土地くらいしかもうない。

 高価なものも版画機とかの機材くらいか。じゃあ無理じゃないか。


「それで、なんだけどね」とビクター兄さんは、僕の目を見据える。


「この本屋の経営権を商会に移譲してもらえないかな」

「経営権って……本気で、言ってるの? ビクター兄さん」

「私はいつだって本気でやっているよ。今の状況でも融資の返済はできてるけど――」


 ビクター兄さんの追い打ちとも言える言葉に、声すら出ない。カーラさんもゾトーさんも僕を真剣に見つめてくる。

 一呼吸おいたビクター兄さんは続ける。


「それ以上に借り続けるのは全然よくないことぐらい、ファビオも分かってるよね?」

「僕も兄弟に恥を塗ることはしたくない。だから、新しい経営者に任せるんだよ。紹介するよ、カーラさん」


 ビクター兄さんの声に、カーラさんが立ち上がる。凜としたその立ち振る舞いを見るだけで、僕はうるさいほどに鳴る胸の音が止まらない。

 

「で、カーラさんに書店の経営者として出向してもらって、ファビオは経営から降りることを条件にする」


 僕はお役御免か。


「ファビオは一従業員として残ってもらってもいいし、別の仕事を紹介することもできる。でも、経営者としては……正直言って、七日で六冊しか売れない本を作り続けるのは、商会としてもリスクが大きすぎる」


「それに――」とビクター兄さんが言えば、カーラさんが話し出す「商会では、この立地を活かして従来通りの参考書や専門書を扱う書店に戻す予定です」


 そうか、もう決めているんだ。ビクター兄さんにも父上にも迷惑を掛けている事は分かってはいたけど、実際にほのめかされると胸にクルものがある。

 カーラさんとゾトーさんは、机に置いている書類をかたづける。

 ビクター兄さんは、立ち上がって僕の肩を揉んだ。

 

「それに、まだファビオは15歳じゃないか、父さんにも話したけどさ、道楽で書店をするより学園で学び直した方がいいよ」


 決して道楽で書店をしていた訳ではない。

 僕は、たくさんの人に楽しんでもらえる本を……。

 

「ファビオ」ビクター兄さんの声が優しくなる「経営者じゃなくていいじゃないか。この書店には色んな仕事があるんだし、色々経験することは良いことだよ」


 僕は立ち上がろうとしたが、足に力が入らなかった。

 

「……分かりました。でも、少し考える時間をもらえませんか」

「もちろん。でも、これ以上の融資はできないよ。早めに片したいから三日以内に返事をもらえるかな」


 僕の夢が、計画が音を立てて崩れる。

 僕は、自分が窮地に立っていたことを知らないまま。立っていたのだ。そして、その場から転がり落ちた。

 笑いものだな。






 話が終わればすぐに三人が帰った後、僕は一人で書店に立っていた。

 棚に並ぶ『吟遊詩人の吟誦ぎんしょう集第一巻』は、まるで僕を嘲笑っているように見えた。


 マイケルがカウンターに肘を置いて、いつものように飄々と声をかけてきた。


「ファビオ君、どうだった? やっぱりお金の話?」

「……経営権を渡せって言われましたよ」


「あー、お金よりも大きい話だった」マイケルのあっけらかんとした反応に、僕は首をかしげる。


「マイケルは平気なんです?」

「僕はどこで働いても同じだからね。ライフアリー商会に直接雇ってもらえれば給料も安定するかな?」


「知らないですよ、そんなの」と興味もないことを言うマイケルに返すと「それで? 新しい人を連れてきたの?」とマイケルは僕に聞いてくる。


「あの、青髪の人ですって、名前はカーラさんって言います」

「あのやり手そうな人かぁ」


 マイケルは、さっきまでいた三人の顔を思い出しているのようで「いい人だったら良いなぁ」と両手を頭の後ろに置いて呟く。

 僕はマイケルの独り言に返す力も残っていない。書店を見回せば、希望に満ちていたこの空間が、今は牢獄のように感じられた。


 夕日が窓から差し込んで、売れ残った本の表紙を橙色に染めている。僕は一冊手に取り、ページを開いた。吟遊詩人が歌う恋の歌が、活字になっているだけ、踊っているようにすら見えた七日前に戻りたい。


『きっと、誰かが読んでくれる日が来る』

 そう信じて作った本だった。でも現実は、容赦なく打ち砕く。

 僕は本を棚に戻し、深いため息をついた。明日からは、ビクター兄さんの下で働くことになるのだろうか。それとも、学園に入学して勉学を励むことになるのか。

 でも、書店は残すと言ってくれたのだし、せめて本の出版に関わっていたいものだ。


 ただ、ただ一つ確かなことは、僕の本屋経営者としての夢も計画も、今日で終わりということだった。


 店の外を歩いて過ぎる人々。誰も彼も僕の店を見ようともしない。

 あぁ、おじいさんにも言われたっけ。

「ファビオは、窮地に立てない子だね」って、確かにそうだと思うよ。

 まさか、僕が立っていた場所が窮地だと一瞬たりとも考えたことがなかったんだから。

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