『深窓の令嬢の知られざる本性』発売前の書店にて2
ディオネの書いた本『深窓の令嬢の知られざる本性』は、特殊な今までにない形態の本と言える。
参考書や辞典、教本などの絵を用いた本は数多く世に出回っているけど、推理本や自伝、叙事詩などの娯楽本のような形態では文字のみが版画される。
飾る表紙は豪華で派手な色を使うが、一度めくれば文字だけ。
というのが今までの形態だった。
だが、ディオネの書き上げた『深窓の令嬢の知られざる本性』は本をめくれば、左のページに絵があって重要な展開を書いている時には、必ず右のページに文字と左のページに絵がある。
読み進めれば、適度に絵が入っていて物語の盛り上がり合わせた絵の配置は、文字だけでは想像できなかった情景を読者に与えることができた。
だからこそ、この本を書店で売りたかった。
機材も画材も、最高級とは言えないまでも高級で高性能なものを揃えているから。
でも、僕としたことが間違っていたのかもしれない。
「全然違うねぇ」
マイケルは店じまいが終わった時に、帰ることを伝えに版画機の部屋に来た。
ちょうどセイラちゃんとレイラちゃんの印刷が全部のページ分を終えた頃合いだったから、彼としては二人の仕事を面白半分で見てみたつもりだった。
「私たち、すごいでしょ! ディオネ姉ちゃんに教えてもらったんだぁ!」
セイラちゃんが、胸を張って二人が印刷した絵を見ているマイケルに返す。横でレイラちゃんが恥ずかしそうに鼻を触っているけど、その顔はセイラちゃんと同じで自信に満ちあふれていた。
僕も印刷できた頃からそれを見てはいるけど、ディオネの言った通りだ。
僕より上手い。どこが上手いかまでは詳細を言葉にできないけど、僕が印刷した絵よりも、元原稿の絵に完成度は近い。
「じゃあ、版画はセイラとレイラにしてもらっても良いですよね?」
「全部?」
ディオネが僕に切り出す言葉は、二人の仕事をこの目で見てもう分かっているし彼女がそこまでの自信が何故あったかも分かった。
だが、セイラちゃんとレイラちゃんは子どもだし、売れるかも分からない新作に彼女たちを巻き込むのも違う気がする。
「うーん、全部は無理かなぁ」とディオネは腕を組んで考える。
「でも、私の出す本は二人にして欲しいんですよ」とディオネは考えたようで僕に答える。
「まぁ、ここまでの印刷ができるのは素直に凄いと思うけど」
そもそも、売り出す前の本にそこまでする必要があるのか分からない。
ディオネの言っていることは分かるけど、そもそも――。
「僕と二人の違いって何さ」
「あぁ、それはですね」
ディオネは版画機に近づいて、原板を取り出す。それと元になった彼女の絵を僕の前に見せてくる。
セイラちゃんとレイラちゃんは、マイケルとじゃれ合っているようで「帰りたいんだけど!」と彼の声が聞こえる。
「マイケル、残業にするから残ってください」と言えば「まぁいいけど……カーラさんにちゃんと言ってよ」と諦めたようで二人を相手に遊び始めた。
「ファビオさん、これの違い見て分かります?」
ディオネは原板と、それの元になった彼女の絵を僕の前に見せてくる。
その絵は『深窓の令嬢の知られざる本性』で一番最初に見ることになる。令嬢と婚約者が言い合う所を、主人公が見てしまう場面だ。
元の絵に変化はない。ただ、原板は明らかに朝とは違う点がある。
この版画機がいくら高性能だと言っても、絵のような細かいものまでは印刷できない。文字については完璧だけど。
だから絵が必要な時は、いつも頼んでいる専門の商会に、原板を作ってもらうのだ。僕もその原板は細かく確認している。
だけど、この変わった原板のどこが変わったかは、言語化できない。
「分からないんですか? こんな分かりやすいのに?」
「違う感じはあるけど……教えてください」
「えぇ」と不満そうな顔で、机を持ってきて話し始める。
「まず、版画の絵って平坦だしインクの強弱の表現ができないんですよね」
「はい?」
彼女の言っていることが分からない。
「ここからですか?」と気怠そうにするディオネに、申し訳なさよりも興味が勝ってくる。
「全部聞くから! 教えてよ」
「そんな上からでいいんですか?」
「……教えてください。ディオネ嬢」
やむなく頭を下げる僕に「仕方ですね」と顔は見えないけど、得意げにしているであろうディオネは説明を続けた。
「例えば、人の顔を見てください。光が当たる頬は明るくて、あごの下は暗いですよね?」
「あ、影があるからだよね」
「はい。でも普通の版画だと、全部同じ濃さのインクになってしまいます。影も頬も同じ色。だから立体感が出ないんです」
「なるほど」
「それを解決するために、原板を複数使うんです。その方が影の表現も、他の表現も載せることができるんでより立体的に見えるわけです」
絵一つに何枚も原板を使うって? それは、無駄使いじゃないかな。売り出す前にそこまでお金を掛けるのも控えているし。それに――「重ねて塗るんでしょ? そのページだけ厚くなるよね?」
ディオネが僕の言葉に「確かに、ファビオさんの言うとおり、一ページが厚くなりますけど、些細なことです」とさも当然に返された。
変わった原板をまっさらな紙に版画していくディオネは、僕が版画した絵とディオネが今、版画した絵を見比べるように置いて指を指していく。
「要は、ファビオさんの印刷した絵と二人の絵の違いはですね――」
「複層に版画することで、こことか立体感がちゃんと表現できるんです。最初に言った平坦って言った意味分かりますよね」
ディオネの指には、インクが濃い部分と薄い部分を指差す。
確かに、僕の版画した絵は色が全て均一に塗っているからインクのせいでどこまでが人の服かが分からない部分がある。
元原稿にあった絵の影がないが――。
「本当だ。ちゃんと影ができてる」
「やっと分かりましたか」
やれやれ、といった感じに椅子に座るディオネを横目に、彼女が版画した絵を見る。
うるさくなってくるマイケルたち三人の声も、聞こえなくなるくらいに集中してみていれば、ディオネが僕から絵を取り上げる。
「まだ、説明の続きですよ」と彼女は出来上がった絵に色を付けだしていく。雑に見える手さばきでも、描かれた絵を見て「おぉ」と声が出た。
「違う色が、確かに映えるね」
僕の言葉に、うんうんと頷くディオネは「薄い部分を作ったから他の色も馴染むんです」と続けて「この技法を複層原板法と名付けました」
名付けましたって、天才かな? やっぱり、僕の目に狂いはない。専属作家契約してくれて本当良かったよ。
「これができるのは、今は私とセイラとレイラだけです」
ディオネは、遊んでいる二人を指さして僕に笑いかける。
すごいけど「まぁすぐ真似されると思うけどね」と彼女に返せば「その時はその時です」と椅子に座って自分で作った絵を照明に照らして見ている。
「終わったぁ?」
マイケルが二人を両手で抱き上げて僕に聞いてくる。
二人は遊び疲れたのか目を擦って眠たそうにしていた。
「終わりましたよ」
「本当、今日はよく寝られそうだよ」
マイケルは僕らの方に歩いてきて、ディオネの近くに二人を下ろす。
「かえるぅ」とセイラちゃんが彼女に言えば「もう帰るの?」とディオネは絵を置いて、二人の頭を撫でる。
「そろそろ終わりましょうか」
「版画のことは?」
僕の提案を遮るように、ディオネは版画のことを聞いてくる。そうだった、まだセイラちゃんとレイラちゃんのこと決めてなかった。
「とりあえず、カーラさんに聞いておくからさ」
「じゃあ、私が言っておきますよ。いい比べものあるんで」
彼女は、絵を二枚持って僕に答える。
ディオネはカーラさんに、自分たちが作った版画と僕の作った版画を比べさせようとしているのかな? 恥ずかしいじゃないか。
「まあ、僕たちより二人の方が上手だしね、いいんじゃないかな。ね、ファビオ君」
「二人が子どもだからどうしたらいいか分からないんですよ、大人だったら即戦力ですよ」
マイケルの言った通り、セイラちゃんとレイラちゃんの方が上手だけど、眠たそうにしている二人を見て、彼女たちは年相応の子どもなのだ。
それに、僕が雇える権限はない。悔しいけど。
「まぁ、カーラさんに聞いてくれるんだったらお願いするよ」
「了解です!」とディオネは僕に返す。鞄に絵を入れて担いでから、二人を抱くディオネ。
「正面玄関は閉めました?」とマイケルに聞けば、「あぁ、閉めてるから開けてくるよ」と部屋から出た。
「なんか、すみません」
「いいよ、専属作家なんだからさ、もっと我が儘でもいいくらいだよ」
ディオネは作家としての矜持は人一倍あるのだけど、彼女を観察していれば人との交流に関して線引きしているように見える。
「売り出す時はどうする? 書店に来る?」
「いやぁ、迷ってます」
ディオネは恥ずかしそうに答える。原稿が上がってから、彼女に聞いているが明確な答えはまだもらっていない。
「版画のこともあるしさ、カーラさんとも相談するけど。早めに教えてね」と僕の言葉に「……考えておきますよ」と返して部屋を出る。
窓と起動中の版画機をそのままに、僕もマイケルとディオネたちを見送ってから片付けようと部屋をでた。
ゆっくりと正面玄関まで歩くディオネに、カウンターに置いていた紙を渡す。忘れるところだった。
「何ですかこれ?」と二人を抱いている彼女が僕に言う。
「原稿の修正分だよ。嫌だったら別にいいけどさ、見といてね特に令嬢の外見の事とか書いてるから」
「あれは変えないですよ? だって、エリザベスさんと考えましたから」
ディオネは不思議そうに返す。そうなの? エリー姉さんも関わってるの? じゃあ、変えたら怒るだろうな。
「修正はなしでいいや」と僕が返して「帰ったらカーラさんに相談してね」とディオネに言って紙をポケットにしまう。
「分かってますよ、ではまた明日」
そう言って、ディオネは玄関を出た。「腕痺れてるから、歩いてよ」と彼女はセイラちゃんとレイラちゃんに言っても、二人は「このまま帰る!」と彼女に甘えている。
「仕方ないか」と諦めたディオネは、ゆっくりと魔道具が照らし始める道を歩き出した。
「僕も帰るよ」とマイケルが帰り支度をしたようで、正面玄関から出ようとしている。
「ありがとうございます。これから忙しくなりそうですね」
「勘弁してよ、あの二人に手伝ってもらうのはさ」
マイケルは頭を掻いて疲れた顔で僕に答えるけど、「それはカーラさんが決めることですよ」とマイケルに返す。
「そうだった」としかめる顔には、笑顔も見えた。
「じゃあ、また明日もよろしくお願いします」とマイケルに言えば「また明日」と僕に手を振って帰って行く。
二人を見送れば、外はすっかり夜になって魔道具に照らされる僕の影が書店に入る。
見上げれば星が数え切れないくらいに輝いて、ディオネが書いた『日の光がその青みがかった黒髪に反射して、夜にいる感覚が私を包む。』の分が頭をよぎった。
綺麗な髪の表現にしてはやりすぎかなとも考えたけど、エリー姉さんと考えた分にケチ付けてまた殴られるのは割に合わないから黙っておくことにしよう。
正面玄関の扉に鍵をして閉まったことを確認すれば、ふと思ってしまった。
「僕の版画ってセイラちゃんとレイラちゃんより下手ってことか」
僕の仕事がなくならないか? これ。
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