初夏を告げる駅

軸の無い 。

初夏を告げる駅

以下に続く独白は、また一つ、私が子供から遠ざかったのだという、私への宣言である。


私は高校への入学を経て、初めて電車通学を経験した。


通学の時間が好きだった。胸躍るわけでもなかったが、どこよりも微妙に心が落ち着く時間だった。


住宅を抜けて緩やかに車窓は原風景へ移っていく。


私が通学していた地域は、恐らく人口減少の只中にある、のどかな町だった。


最寄り駅の周辺には小高い建物が二つや三つ建っており、いつも草花の香りが戦いでいた。


さびたシャッターの連なる通りが駅から見える。いかにも、というべき様子であった。


しかし、当時の私がそれらを注視することは無かった。日ごとに、匂いは日常へと埋もれていった。


五月二十日の夕方。自分を取り巻く環境を僅かながら把握し、少しずつ友人ができ始める頃。


それは、病院に向かう都合でいつもより早く下校した日だ。部活動を休んだことに、幾許かの悔しさのようなものが浮かんだ。


やがて私は静かなホームに立った。


数時間早く来るだけでこんなにも違うのか。そう感銘したのを覚えている。


いつにも増して人の少ないホームを何の気なしに見回した。


すると、向こう側の第一ホームに見知らぬ人を認めた。人の数が少ないのだから、特定の人物が目につくのは当たり前であったが。


その人は、私の通う高校の制服と同じのを着ていた。ぽつんと佇んでいるさまが、妙に私を惹きつけた。


あまりじっと見ているのも悪いと思い、すぐに視線をそらしてからさほど間も置かず、車輪の音が聞こえた。


私のいるホームに来るものらしかった。


ふむ、学校でも見かけたことのない容貌だった。きっと他の学年だろう。


乗車する三秒でそう片付け、程なくして電車に揺られた。


車窓からは昼真っ盛りの青空が聳えていた。まだ明るい帰途に、高揚感と罪悪感を覚えた。



事の重大さに気付いたのは、数日後だった。


とある友人と、数か月ぶりに話をした時のことだった。


その日の私は、一人で弁当を食べていた。だが、そこに石野が訪れてきたのだ。


石野とは、小学校からの仲であった。と言っても、いつも一緒にいる仲でもなかった。


ふとした時に石野が近くにいるような、そんな距離感が私にとって気楽で良かった。


廊下の奥にその姿が見え、私のいる教室に顔を突っ込む。


私を見つけると、変に毅然とした歩き方でこちらに寄ってきた。


「よう。隣、座るよ」


久しぶりに会ったわけだが、特に感慨も無かった。


「そっちは何組になったんだっけ」


質問だけ投げて、私は肉の乗った米を食らった。


ふと、石野の弁当箱を見た。私のよりもふた回りほど小さい。


石野が小食なのは知っていたが、それでも特別少なく見えた。足りているのだろうか。


「前よりも、量が少なくなってないか?」


「飯を食うのが億劫なんだ。同じ理由で昼を抜いてる奴だっている」


ふーん、とだけ言ってまた肉と米を頬張った。


「そっちこそ前より箸の進みが遅い。見栄を張った量に見えるけど」


続けてそう言った。


「まさか。部活で疲れるから、十分な量だよ」


「そうかい、さっきから不審な動きをするものだから。勘ぐり過ぎたかな」


気になることを言われ、私は少し大袈裟に眉を顰めた。


「不審な動きって何のことだ?」


「おい、無意識なのか?ずーっと目が泳いでいる。特に廊下の方に、な」


部屋が少し涼しく感じた。


私は、それで初めて気が付いた。言われてみれば、石野を見つけたのも私が先だった。


「何か探してるような目つきだ。そんなに気にかかる人でもいるのか?」


石野の観察眼は、時たま気味悪さすら感じる。この発言こそがまさにそれだった。


思い当たる節があった。やっと気付き、そして自分を疑り、納得した。


「まぁ、答えを知りたいわけじゃないけど」


石野はそれだけ言って、弁当をせっせと食べ始めた。何故か昼休みが長く感じた。


放課後、グラウンドへ向かうべく外靴に履き替えた。


その時に考えてみた。恐ろしかった。


私が部活動を終えて、友人と帰りの電車を待つ間、隣のホームに期待している光景は。


大して動かさなかった筆記用具をしまって床に就く時、瞼の裏に映し出されるのは、あの立ち姿だった。


このエゴの塊は、私の足取りを確かに重くした。



ひとたび気にしてしまうと、私の一挙手一投足はぎこちなく変わっていった。


あの人を見つけてから、もう一か月半が経っていた。今年二度目の定期テストが近付く頃だった。


普段の動きを模写するように、家を出る。晴れている空も、どこか塞いで見えた。


駅に広がる青臭さは、夏が近付くにつれてその濃さを増していた。ふと第一ホームを見れば、その奥にナズナが見えた。


やはり、あの人の姿を妄想していた。自己嫌悪に苛まれそうだったが、らしくないと必死に誤魔化した。


その日の授業は味気なかった。昼休みに石野は来なかった。ずっと自分と向き合う羽目になった。


ふと、朝の自己嫌悪を思い出した。


私は、私らしくないことが嫌だった。私は、誰かの為にじめじめと燻るような人間ではいたくなかった。


テスト期間に入ったことで部活動も無くなった放課後。私は重たいリュックを背に昇降口を出た。


肌に張り付くような湿気が、私を引き留めようとしていた。だが、僅かばかりの焦燥と高揚が背中を押した。


寂れた町を歩いた。ちらほらと学生の声が飛び交う歩道は狭く、息が少し上がるのが分かった。


路が長かった。青信号を、私は小走りで渡っていたかも知れない。


駅へ入った私は、いつもと違う階段を降りて、いつもと違うホームに立った。


見える景色が少し異なっていた。いつもは見えない屋根が見えた。


人が少し多かった。そこには喧騒があった。


私は今一度、息を吸った。喧騒を引き裂いて、むせ返るような草いきれが肺をいっぱいにした。


そして、あの人を見つけた。



この一連の独白は、また一つ、私が子供から遠ざかったのだという、私への宣言である。


私の視線はそのまま、線路の向こうに見えるナズナへ向いていた。ナズナは、もう枯れかけていた。


打ち鳴らされた車輪の音が初夏の駅に残響するばかりの、まだ明るい夕方だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

初夏を告げる駅 軸の無い 。 @_kayui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画