オジン半ズボン

クライングフリーマン

半ズボンの思い出

 ======== この物語はあくまでもノンフィクションです =========

 初めて半ズボンは小学校何年だったかなあ。

 その頃は、半ズボンは、お金持ちのボンボンの象徴だった。

 TVのドラマやアニメで出てくる半ズボン少年は、ボンボンだった。

 生地が少ないから、半ズボンの方が安上がり?とんでもない。

 大量生産のアイテムでは無かったから、高かったのだ。

 お小遣いを3ヶ月我慢して、半ズボンを買って貰った。

 妹は、かなり嫉妬した。「いつもお下がり」、と膨れて。

 私は男きょうだいがいなかったから、おとこ兄弟のお下がりなんかない。

 近所のおにいちゃんのお下がりを貰ったことはあるが、長くは着られ無かった。

 成長期だから。

 ともあれ、『半ズボン』信仰は、数ヶ月で崩れ去った。

 怪我をしやすいのである。怪我をすると、包帯や消毒液赤チンが目立つのである。

 当時は、所謂「救急絆創膏」なるものは無かった。

 医者に行って、初めて大きな絆創膏を貼られる。

 面倒なのは、そこからだ。

「どうしたん?」会う人ごとに状況説明。

 半年後、寒くなってから長ズボンに。翌年からは半ズボンは止めた。


 今は、家の中では作務衣の半ズボンを履く。

 外に出る時は、長ズボンかジャージズボンだ。

 リスクが大きいのだ。

 夏は、腕だけでなく、半ズボン履いたら、脹ら脛も焼ける。


 母の遺品整理の後、自らの衣装も整理した。

 履けなくなった、半ズボン。思い出はゴミ袋行き。


 その内、何も履けなくなるだろうな。


 半袖?アンダーシャツは年中半袖である。

 もうカッターシャツもあまり着ないだろうな。

 喪服以外の背広も全て捨てたし。


 そう言えば、「省エネルック」とかで、政府肝いりで流行らそうとしたことがあった。

 流行らなかった。

 実用的で無かったから。


 今も昔も、「上級国民様達」は、「とんでもねえ、あたしゃ神様だよ」と言って、下々のことをろくに調査せず、物事を決める。「ほんの思いつき」に後付けの「屁理屈」という「黒リボン」をつけて。


「見下ろしてばかりいないで、降りて来て見上げろよ。」と言いたくなる。


 今日もオジンは半ズボン履いて、世間にモノ申す。

 ボランティアで。


 ―完―


 ※オジー・オズボーンさんが先日亡くなられました。

 ご冥福をお祈り致します。


 オジン・オズボーンは、漫才師。芸名の由来がオジー・オズボーンさんかどうかは不明。


 この作品のタイトルは、漫才師名から。知らんけど。

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オジン半ズボン クライングフリーマン @dansan01

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