第6話 グループワークの誘い

 高校に入学して数週間が経ち、僕は少しずつ新しい環境に慣れ始めていた。


 相変わらずクラスに溶け込めているとは言えないけれど、瑞希のアドバイスのおかげで、以前のように完全に塞ぎ込むことはなくなった。

 周囲を観察する習慣も、少しずつ身についてきた。


 ある日の現代社会の授業。先生が大きな声で発表した。


「さて、来週からグループワークに入ります! グループは2人以上5人以下で組んでください。テーマは各グループで自由に設定して構いません。来週の授業までにメンバーとテーマを決定し、私に報告するように!」


 クラス中がざわめき始めた。


 生徒たちは一斉に動き出し、気の合う友人同士で集まり、あっという間にグループを作り始める。楽しそうな話し声が教室中に満ちていく。


 僕の視界の端には、莉乃と佐々木の姿も捉えられた。彼らはすぐに、何人かの男女と楽しそうに話し合い、グループを組んだようだった。莉乃の明るい笑い声が響き、佐々木も得意げに会話の中心にいる。彼らの周りだけ、陽光が降り注いでいるかのようだった。その眩しさに、僕の胸の奥に微かな痛みが走る。


 僕は、自分の席でじっと座っていた。誰からも誘われる気配はない。自分から声をかける勇気も、まだ湧いてこない。

 また、一人で取り残されるのか。そんな諦めにも似た感情が、胸中に広がる。


 ふと、莉乃の視線が僕の方を向いたような気がした。彼女は僕が一人でいることに気づいたのか、一瞬だけ、心配そうな顔をしたように見えた。

 しかし、すぐに佐々木が何か話しかけ、莉乃はそちらに顔を向け、また楽しそうに笑い始めた。僕の胸の奥に、チクリとした痛みが走る。


 クラスのほとんどの生徒がグループを組み終え、賑やかだった教室が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。


 残されたのは、僕と......。

 視線を教室の隅に向けた。

 

 そこには、僕と同じように、誰からも声をかけられず、一人で座っている橘千栞の姿があった。彼女もまた、困ったように周りを見回している。


 野中千穂のグループは、既に楽しそうにメンバーを決め終えているようだった。その野中が、橘さんの方をちらりと見て、明らかに不快感を滲ませた目で睨みつけているのが見えた。

 橘さんの視線が、野中たちのグループを一瞬捉え、すぐに伏せられた。その表情には、諦めと、ほんの少しの寂しさが浮かんでいるように見えた。



 瑞希の言葉が、頭の中でこだました。


『もっと周りをよく見なよ』

『人間関係って、観察から始まるんだから』


 僕と橘さん。クラスの中で、最後までグループに入れずにいるのは、僕たち二人だけだった。

 橘さんの姿を見て、他人事とは思えなかった。僕と同じだ。いや、僕以上に、彼女は孤立しているのかもしれない。


 もし、このまま誰も声をかけなかったら、橘さんは一人で取り残されてしまう。

 先生が適当に余った生徒を組ませるかもしれないが、それはきっと彼女にとって良い状況ではないだろう。


 僕に、何ができるだろう?


 心臓がドクドクと音を立てる。

 声をかけるなんて、中学時代からほとんどしてこなかったことだ。


 でも、瑞希は言った。『自分を変える努力をする』って。

 今が、その時なんじゃないのか?


 僕は、ゆっくりと立ち上がった。橘さんの席まで、数歩。その距離が、ひどく遠く感じられた。


 一歩、また一歩と、足を進める。


 橘さんは、僕が近づいていることに気づいていないようだった。まだ、ぼんやりと窓の外を眺めている。


 橘さんの席の横まで来て、僕は立ち止まった。


「あの……」


 僕の声に、橘さんはびくりと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。

 彼女の大きな瞳が、メガネの奥で僕を捉える。少し驚いたような、警戒するような表情だった。


 僕は、緊張で喉がカラカラになるのを感じながら、精一杯の勇気を振り絞って言葉を続けた。


「橘さん……もし、よかったら……僕と、グループ組みませんか?」


 橘さんは、目を見開いて僕を見た。そして、小さく、ゆっくりと頷いた。


「……はい」


 その小さな返事に、僕の心の中に、じんわりと温かいものが広がっていくのを感じた。



 新しい一歩を踏み出せた。

 そして、この一歩が、何かが変わるきっかけになるような、そんな予感がした。

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