3話 これ、血じゃね?

 頭部から、とくとくと血が流れ出している。

「ミリア!」

 にーちゃんに抱えられる。

 ごめんよー。

 にーちゃんはちゃんと注意してくれてたのに。

 にーちゃんの後ろからとーちゃんが帰ってきた。

「セイレ…って、ミリア!どうした!」

 大丈夫だよ、って言いたいけれど話せる訳もない。

 思った以上に、怪我のダメージは大きいとみた。

 辺りはどんどん無音になり、視界が悪くなる。

 とーちゃんやサーラさんが慌ただしくしているだけが解る。


 ごめんよー、粗忽者で。

 にーちゃんの心臓がばくばくしている。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。


 けれども。

 なんだか、その心音が妙に心地好くて。

 あたしは眠ってしまった。


 薄闇の中、目が覚めたら、頭がぐわんぐわんする。

 発熱したかあ。

 あーあ、大事しちゃったなあー。

 おや?

 人の気配がする。

 メイドさんが寝ずに看病してくれて居るのかな。

 あたしはサーラさんが心配だった。

 目を離した隙に怪我なんてされたら、責任、感じるよね。


 けれど、そこにいるのはにーちゃんだった。

 すっかり生気を無くした、虚ろな顔。

 胸には、べったりと血が付いている。

 わー、あれ、あたしの血だよね?

 あんなに出したのか。

 枕元の椅子に座り、あたしの方に顔は向いているけれど焦点が定まっていない。

 んー、このままではヤバい気がするよ?

 どうすっか?

 喋れないのがもどかしい。

 んー。


「…にー」

 あ、声になった。

「にー…」

 にーちゃんと言うのはまだ無理か。


 にーちゃんの焦点が、あたしに定まる。

 その瞬間、みどりの瞳から堰を切ったように滂沱の涙が溢れ落ちる。

 喋れないのが、ほんっとに腹立たしい。

 ごめんなさい、って言いたいのに…!

 にーちゃんは、決壊したダムのような涙をただ流し続けている。

 どうすればいい?


 …!

 あたしは、にーちゃんの方へ思い切り手を伸ばして、そして笑ってみた。

 解らないときは微笑わらえ!

 笑えばいいと思うよ、ってやつだ。

 にーちゃんは悪くない。

 心配かけて、ごめんなさい。

 と、念を送る。

 通じろ!


 にーちゃん、にーちゃん。

 大好きだよ。

 通じろ!

 通じて!

 お願いだから!


 途端、壊れたようににーちゃんの頭ががくんと落ちた。

 いつの間にか、にーちゃんに握られていたあたしの手。

 にーちゃんの涙がぽたぽたと落ちる。


 こんな時なのに、なんでかな。

 あたしは今まで、こんなにも他人に泣かれたことがあっただろうか?なんて思っていて、ごめんね、ちょっと憘んでしまった。


 けれど、お願いだから。

 もう泣かないで。

 にーちゃんが、渇れてしまう。

 にーちゃんが、萎れてしまう。

 そんな風に茶化したいけれど。

 ごめんなさい。

 あたしの体力は限界を告げた。



 どれくらい経ったのだろう。

 インフルエンザみたいだ。

 違うけど。

 そっかあ。

 まだ、続いているのね。

 枕元にはメイドさん。

 朦朧とした頭は、誰だか解らない。

 寝ずの番なんだろうな。

 ごめんなさい。

 本当に、ごめんなさい。

 自分を過信してました。

 額に冷たい手が当たる。

 ひんやりとした心地好さに、たちまち眠りに落ちる。


 そんなことを何回か繰り返した。




 復活!

 漸く頭のぐわんぐわんが無くなった。

 三日寝込んでいたらしい。

 目を醒ましたときに枕元に居たのは、サーラさん。

 抱き締めてられて、泣かしてしまった。

 ごめんなさい。

 本当に、ごめんなさい。


 ベッドの上でお座りして、すりおろした林檎を食べさせて頂いていると、ノックの音。

 にーちゃん!では、なくてとーちゃんだった。

 食事中だったので、挨拶代わりに「だー」と両手を拡げてみた。

 腰が抜けたみたいに倒れ込んだとーちゃんは、あたしを抱き締めて「良かった、良かった。」と泣いた。


 沢山の人を泣かせてしまった。

 申し訳ない。

 そうだ。

「にー…?」

 にーちゃんは?と尋ねたいが伝わるだろうか?

「セイレンか?」

 とーちゃんの緑の瞳を覗き込む。

 でこにでっかいガーゼが当ててある姿が映る。

 くん、と頷く。

「…協力してくれるかい?」

 何の事か分からんが、くん、と頷くしかあるまいよ。


 とーちゃんに抱っこされて、部屋を出る。

 何処に行くのかな?

 いつもの子供部屋ではない部屋の前。

 にーちゃんの部屋?

 とーちゃんが扉をノックして、中に声をかける。

「ミリアが目を醒ましたよ。」


 どたどたどたと、中から音がしたのに扉は開かなくて。

 向こう側に、気配は感じるけれど、一向にノブが回らない。

「セイレン?開けておくれ?」

 とーちゃんの問い掛けに、扉の向こう側から、か細い掠れた音がしているけど聞き取れない。


 これ、マズくないか?

 緊急事態!

 あたしは、とーちゃんに抱っこされてる腕から飛び出す如く、扉に体当たりする。

「これ!ミリア!」

「にー!にー!にー!」

 出せる限りの声で、叫ぶ。

 拳でノックしたいけれど、ぺちとも音はしない。

「にー!にー!にー!」

 盛りのついた猫のようだ。


 そうしていると、ようやく扉が開いた。

 にーちゃん!

 あたしは脊髄反射で、にーちゃんへと飛び付いた。

 ナイスキャッチ!ではあったけれど、にーちゃんには勢いで尻餅をつかせてしまった。


 にーちゃんは、すっかり窶れていた。

 そんなにーちゃんの胸に、コアラかナマケモノの如く張り付く。

 よかった。

 取り敢えずお着替えはしてくれていたのだね。

 とーちゃんが寂しそうにしてるけど、今はにーちゃんの方が心配だ。

 にーちゃんの服にしがみつき、碧の瞳を覗き込む。

 いつもよりは弱い力だけどちゃんと見詰め返してくれた。

 弱い、弱い微笑み。


 にーちゃんの瞳に、ガーゼをつけたボウズの姿を確認する。

 表情筋に総動員命令をかけ、笑う。


 にーちゃんは、あたしを抱き締めてると、声もなく泣き出した。

 鼻を啜る音は、やがて規則的な呼吸音に変わった。

 どうやら眠られてしまったようですね。


「おい、おい。」

 呆れたとーちゃんは、あたし毎にーちゃんを抱き抱えると、ベッドへと運んだ。

 一応あたしを引き剥がそうと試みたけれど、にーちゃんに確りと抱き締めていた。

「このまま、一緒にいてくれるか?」

 と、溜め息混じりに言われたので、くん、と頷いた。



 そんな経験をしながら、あたしは三歳に成っていた。

 そして、前世の記憶は、いまだにしっかりある。


 思えば、母親を亡くしたばかりの少年に、血塗れの幼児を見せ付けるって、どーよ?て、思う。

 トラウマになってなきゃいいけどなあ…。

 怪我の方はすっかり見えなくなりました。

 毛も生えてきたしね。

 ほんと良かった、毛が生えて。


 にーちゃんは、一年遅らせて学校へと入学しました。

 そもそもはこの世界、六歳から十六歳の間で六年間在席すれば良いらしいので、休学とか留年とかではないらしいです。


 あ、にーちゃんとは七つ違いでした。

 あの美しさで小二かよ、恐ろしい子。


 学校は寮生活になるので、最近の子供部屋はあたしとメイドさんの二人になります。

 三人とも処罰もなく、お仕事続行で良かったです。

 とーちゃん、いい人。


 勿論、子供部屋でのメイドさんたちからの監視は強固なものとなりました。

 書庫の本を読んだり、惰眠を貪ったり。

 でもね、このままではいけない!と一念発起。

 手始めにラジオ体操を思い出しながら、やる。

 第二は流石に曖昧だなー。

 すると、それは奇っ怪な行動に見えたみたい。

 不安に思ったメイドさんずが慌て出した。

 見かねたとーちゃんが遊び相手を連れてきてくれました。

 この流れでまさかスーラ?と思いきや、ラウノ君でした。

 ウノって「スペイン語?」と、思わず声に出してしまったらラウノ君に聞こえてしまったようです。

 テーブルに置いてあった紙に『志山風花』て書きました。


 これ、漢字じゃね?


 

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