2話 これ、ローマ字じゃね?

 筆記体で、いかにも英語っぽく書いてあるけど、ローマ字。

 だってあたしが読めるもん。


 「ご本に興味が有るのかな?」

 セイレンのどこか呆れたような声に我に返る。

 や、見つかっちまった。

 かなり凝視していたらしい。

 いっかと、セイレンの目を合わせ頷いてみる。


 おや?と、柔らかく微笑んで

 「君は本が好きみたいだよね」

 と、あたしを抱えると膝にのせた。

 バックハグっすか!と、妄想を暴走させようと思いもしたが、脳ミソは兎も角、赤子相手に我に返った、この間は一秒もありますまい。


 じたばたとする珍妙なものを目にしたセイレンはきょとんと愛らしい。

 見なかった事にしてくれるようで、読んでいたものとは別の、手近な本を取った。

 まったくもって出来た兄だ。

 それはそうと、読み聞かせですね。

 ありがとうございます。


 さて。

 膝の上にに絵本を広げる。

 古いけれど落書きも欠損も無く、丁寧に扱われていたのが分かる。

 絵本を捲る。


 おおっ、久々の紙の匂い。

 やっぱ、好きだなぁ、本。

 読書家ってほどじゃないけど、本は好きだ。

 老眼で読むペースは大分は落ちたけど。

 ああっ、字が読めますぅ、眼鏡なしで。 


 ふと、視線を感じセイレンを見上げる。

 珍獣を見るような目をして驚いておられます?

 あ、あたしまだ首が座ったばっかだった。

 …ま、いっか。


 湧き出る知識欲の欲求の方に流され、本の方へと目を落とす。 

 耳元でくすぐる声に、既知感を覚える。

 あれ?この声… ん、聞き覚えがある。

 誰だっけ?何で聞いたっけ?

 んーーーあ、集中、集中。  


 色は匂へど、散りぬるを

 我が世、誰ぞ常ならむ

 有為の奥山、今日越えて

 浅き夢見し、酔ひもせすん 

 

 ん、紛う方無くいろは歌ですね。

 頭の中でかな交じりに変換する。


 しかし、仏様がどうとかって歌だったと思ったけど、この世界には仏様がいらっしゃるのだろうか?と明後日なことを考えていたら、

「この文章に意味は無いのだけれどね。文字の基本だから」 

と、宣われた。


 漢字があれば深読みし放題の歌なのに、なんてこった!と、悲愴な表情を作ってセイレンを見詰めていたら、?て顔された。

 困った顔も美人です。

 しかし 書き文字がローマ字筆記体で、文字列がいろはって覚えにくそうね。


 ここはもしかして、あたしとそう代わらない年代の人の創作物だろうか?と推察してみる。

 まあ、代わらないっても前後十歳位の幅を見てるけど。


  筆記体は最近は学校で習わないと聞いた。

 そもそも欧米の方は、あまり使わないのは知ってた。


 ルーマニア人に、なんで筆記体使わないの?て聞いたら、筆記体で書くとママの字でも読めないからね、と言われた。


 で、前出のアメリカ人には中学の英語の授業で習った筆記体を、得意気に披露して差し上げた。

 英語解らないくせに何で筆記体書けるんだ!しかもキレイ!と男性→男性へと送るサプライズなカードの代筆をさせられていたことを、ずるずると思い出した。

 

 それと、声。

 明らかに声優さんのものだ。


 今どきの声優さんは分からないと断言できる。

 人数が増えすぎです。

 まあ、脳味噌の容量の問題もあるとは思うけど、覚えらんない。

 だから、あたしに聞き覚えがあるということはベテランさんの域だと思う。

 と言うか思い出せなくて気持ち悪い。

 スマホ欲しい。


 ここはアニメとかゲームの世界なんだろうか。

 

 でもさ。


 ネットを賑わしてる転生モノって、大概その世界を理解してる子って相場が決まってないかい? 

 迷い込んだ先のゲームをやりこんでいたり、本を熟読して「・・・これは・・・・!?」て、無双する。 


 じゃ、無かったら神様とかが何か言ってきたり。

  あたしゃ、この世界の見当がとんと付かないのだけど。


 や、ゲームは好きだったよ。

 一時期は某元祖乙女ゲームに多大な金額を貢いだし。

 某RPGのカジノのアイテム手に入れたくて徹夜でやって次の日仕事サボった事もあった。

 だって、セーブは出来ないカジノから出たらポイントがリセットされるんだもん。

 悪魔と戦うために五時間ほどダンジョンをうろついたこともあったし、どうしてもベストエンディングが分からずに百八人仲間にしたした後、たった二行のために攻略本買ったこともある。  


 三十代半ばから老眼が始まり、同じころポータブルゲーム機が主流になって、画面の字が読めなくなって、ゲームから遠ざかったけど。


 と、なるとだよ?

 この先どう動くのが正解なんだろうか?

 正解?…て、有るんだろうか?

 

 「どうしたの?お眠かな?」

 柔らかいセイレンの声。


 ねぇ?あたしここにいてもいいのかな?

 ん?と小首を傾げて覗き込むセイレン。


 やっぱ難しいことは考えずに初志貫徹しよう、とお気楽極楽を座右の銘にすることにした。



 母親のことが分かったのは、セイレンととーちゃんが「もう二季節になるねぇ。ミリアの母が亡くなってから」なんて、しみじみとあたしを見ながら宣って判明した。


 ちゃんとした日数は分からないけど100日くらいで一季節と呼んでるみたいだ。

 二季節だから半年~八か月くらいかな?と、自分の成長と合わせて鑑みる。


 で、あたしが産まれると略同時に身罷られたとのことだ。

 うー、呑気に金持ちっぽいし、止事無き方なのかと勝手に思ってたさ。


 すまん、セイレン。

 幼子から母親を取り上げるようなことになって。

 そう思いながら、じぃーとセイレンの目を見つめていたら立ち上がっていた。


 さっきまでのしみじみとした湿っぽい空気はあっという間に無くなって、あんよは上手大会というか…

 とーちゃんとセイレンの間を行ったり来たりしていた。

 


   そんなとき、ちょっとした事件が起こった。 


 その日、子供部屋へ行くと、にーちゃんは居なかった。

 しばらく待っても来ない。

 キョロキョロと不安気にしていたらサーラさんが、「セイレン様は今日は学校見学ですよ」と、教えてくれた。

 そうか、学校は存在するのだね。

 寂しいけど仕方あるまい。

 学業は大切だからね。


 構ってくれるにーちゃん不在で、暇を持て余すのだけど、だからといって書庫で読書は憚れるだろうし、ここは幼児らしく惰眠を貪ることにしよう。

 今日もぽかぽか良いお昼寝日和だし。


 ラグに突っ伏して、とろとろしていたら思いの外、時間が経ったらしい。

 珍しくサーラさんが、居眠りしている。


 ぼーっと覚醒するのを待っていたら、ちょっとした悪戯心が湧いてきた。

 お家を探検してみるか?


 部屋の扉のノブは、下ろすタイプのもので辛うじて手が届いて、鍵も無さそうだ。

 回すタイプなら無理だったけど。


 そっーと扉を閉め、廊下へと出る。

 寝室とは反対方向に行ってみよう。

 折角の探検だからね。


 暫く歩くと、エントランスに出た。

 ほーっ。

 広いなあ。

 一体、うちのとーちゃんは何やってる人なんだろう、なんて思いを巡らせていたら玄関の扉が開いた。


「ミリア?」

 にーちゃん!

 あたしは1日ぶりのにーちゃんに、抱きつくべく走り出した。

 否、とことこと歩きだした。


 「ダメ!」

 と、同時に足に抱き付いた。


 あれ?


 にーちゃんの履いていたブーツには大きめの宝石で飾られていた。

 それは決して、下品な大きさでは無いのだけれど、幼児の額に傷を付けるには充分な代物だった。

 ましては、ボウズ。

 頭部を護る髪の毛が殆ど無い。


 わたしの視界は、赤い幕に覆われた。


 これ、血じゃね?

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