第19話:曹操の反撃と戦場の「布石」
白馬陥落の報は、中原の覇者・曹操の陣営に深い衝撃と混乱をもたらした。曹操は軍議の席で怒りを爆発させ、その咆哮は陣幕を揺るがすほどだった。
「あの趙子龍め!見えざる手で我らを翻弄しおって!この曹操が、若造の術中に嵌るとは!」
その目は血走り、憔悴しきった軍師たちを睨みつけた。荀彧は静かに目を閉じ、その筆はぴたりと止まっている。郭嘉は激しい咳き込みに耐えながら顔を伏せ、その顔色は土気色だ。程昱は、唇を固く結び、その悔しさを奥歯で噛み締めている。彼らは、趙雲の策がもたらす「不可解さ」に、未だ有効な対抗策を見出せずにいた。もはや、彼らの冷静な「智」は、趙雲の常識外れの計略と、曹操の苛烈な怒りの前に、有効に機能することができなかった。
「貴様ら!何をしている!すぐにでも趙子龍を討ち取る策を練れ!このままでは、我らの威信が地に落ちる!天下の笑い者となるぞ!」
曹操の怒号を受け、軍師たちは再び思考を巡らせるが、その思考はまるで霧の中を彷徨うように、明確な光を見出せずにいた。曹操は全軍に厳戒態勢を敷き、来るべき趙雲軍との直接対決に備え、大規模な兵力の再編成を号令した。各地の守備隊を中原の最前線へと集結させ、これまで温存していた精鋭部隊を惜しみなく投入する。彼の胸には、趙雲への激しい憎悪と、必ずや逆襲を果たすという、強い執念が燃え盛っていた。もはや、彼の目は、勝利のためならば、どんな犠牲も厭わないという、狂気にも似た光を帯びていた。
その頃、趙雲の陣営は、中原へのさらなる進出準備を着々と進めていた。白馬の陥落は、公孫瓚軍の士気を最高潮に高め、兵士たちは趙雲への絶対的な信頼を寄せていた。練兵場では、兵士たちがこれまで以上に精力的に訓練に励み、彼らの顔には、未来への期待と、趙雲と共に戦う誇りが満ち溢れている。しかし、趙雲の心は、勝利の余韻に浸る間もなく、既に次の段階へと向かっていた。
(曹操は必ず反撃に出る。それも、全力を挙げてくるだろう。彼の持つ兵力は、袁紹以上だ。これまでの心理戦や兵站戦だけでは、もはや決定打にはならない。直接、その牙を砕く必要がある)
趙雲は公孫瓚に進言し、中原での初の本格的な野戦に向けた準備を開始した。公孫瓚も、趙雲の言葉に異を唱えることなく、その指示を全面的に承認する。公孫瓚の瞳には、趙雲への揺るぎない信頼が宿っていた。趙雲の指揮の下、白馬義従は、中原の広大な平野での大規模な騎兵運用を想定した、新たな陣形訓練や連携訓練を開始する。彼らは、まるで生き物のように滑らかな動きで隊列を変え、高速で密集と拡散を繰り返す。その動きは、見る者を圧倒するほどだった。同時に、馬騰・馬超といった西涼の騎兵勢力との合流も視野に入れ、その力を最大限に引き出す戦術を練る。趙雲の脳裏には、馬騰・馬超の騎兵部隊が、鉄鐙を装備して大地を疾走する光景が鮮明に浮かんでいた。
しかし、趙雲の真の狙いは、単なる軍事訓練だけではなかった。彼は、曹操との戦いを「決定的な一撃」で終わらせるための、より巧妙な戦術を準備していた。それは、これまでの情報戦や心理戦で作り上げた「布石」を、戦場という物理的な舞台で結実させるものだ。彼の胸中には、乱世を早期に終わらせ、民の犠牲を最小限に抑えるという、強い「必然性」があった。
夜の帳が降りる頃、趙雲は自室で一枚の大きな地図を広げた。蝋燭の微かな光が、中原の複雑な地形図を照らし出す。彼の指が、曹操軍の進軍路となりうる地点をなぞる。そこには、事前に選定された、いくつかの「戦場となるべき場所」が記されていた。それらは、地形的に曹操軍の得意とする戦術を封じ込め、かつ白馬義従の機動力を最大限に活かせる場所だった。
(曹操は、必ず『あの場所』を選ぶだろう。彼の傲慢さと、残された軍師たちの能力を考えれば、必ずそこへ来る)
趙雲の瞳に、未来の戦場が鮮明に映る。彼の知性は、曹操の思考、そして彼の軍師たちの残された能力を正確に読み解き、彼らが最も合理的に選択するであろう戦場を予測していた。そして、その選ばれた場所に、趙雲は既に罠を仕掛け始めていた。それは、ただの伏兵ではない。白馬義従の圧倒的な機動力と、現代知識が融合した、相手の常識を覆すような「決定的な戦術」のための布石だ。大地の下には、見えざる落とし穴が掘られ、森の奥には、偽の退却路が用意されている。すべてが、曹操軍を誘導し、その力を完全に削ぎ落とすために周到に準備されていた。
遠く、曹操軍の陣営から、夜空に不気味なほどの篝火の光が立ち上るのが見えた。それは、曹操が総力を挙げて反撃に出る準備が整いつつあることを示唆していた。彼の怒りが、炎となって空を焦がしているかのようだ。中原の覇者と、歴史を改変する若き英雄。二人の英傑の、知と力の激突が、刻一刻と迫りつつあった。
中原の広大な平野で、新たな血が流れるであろう戦場の狼煙が、静かに、しかし確実に上がろうとしていた。それは、天下の命運を賭けた、壮絶な戦いの序曲だった。
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