第14話:決戦!白馬義従、袁紹軍を穿つ

夜明け前の北の平野は、不気味なほど静まり返っていた。しかし、その静寂は、やがて始まる嵐の前の兆候に過ぎない。公孫瓚の本陣では、最終軍議が行われていた。陣幕の中には、張り詰めた空気が満ちている。袁紹軍の兵力は依然として公孫瓚軍の数倍に及び、その圧倒的な規模は、将兵たちの心を重く圧し続けていた。しかし、前哨戦で敵の補給を寸断し、兵士たちの士気を大きく削いだことで、公孫瓚の顔には、かつてない自信が宿っていた。彼の瞳は、燃え盛る炎のように、袁紹への積年の恨みを映し出している。


「袁紹め、我らを侮りおったな。その慢心、必ずや後悔させてくれる!」


公孫瓚の言葉に、将兵たちの士気が高まる。しかし、その顔に映るのは、まだ確かな勝利への予感ではない。長年の袁紹との戦いの中で染み付いた、大軍への畏怖が、彼らの心の奥底に深く残っている。彼らは、目の前の圧倒的な兵力差を前に、内心では震えを隠せないでいた。


そんな中、趙雲は公孫瓚の傍らに控えていた。彼の胸には、公孫瓚が袁紹に滅ぼされるという史実が重くのしかかる。だが、その未来は、今まさにこの手で変えられる。彼の「価値観」、すなわち「この乱世を終わらせる」という強い信念が、彼の思考と行動を鋭く研ぎ澄ましていた。


(公孫瓚様、あなたにはここで退場してもらわなければならない。それが、この乱世を終わらせる、一番の近道だ)


趙雲の心は、冷徹なまでに勝利へと向かっていた。個人の感情は一切なく、ただ「最適な解」を導き出し、乱世を終わらせるための最善手を追求していた。


号令と共に、公孫瓚軍が動き出す。白馬義従は中央に配置され、その白い鎧が夜明けの薄明かりの中でぼんやりと輝いていた。兵士たちの顔には、緊張と、しかし趙雲がもたらした新たな力への確かな自信が浮かんでいる。彼らは、自分たちがかつての白馬義従とは全く異なる、新たな強さを手に入れたことを自覚していた。馬の蹄が大地を震わせ、その轟音は、まるで嵐の到来を告げる雷鳴のようだった。


袁紹軍の布陣は、兵数の多さを誇示するかのように、広大な平野を埋め尽くしていた。その数、二十万。旗が林立し、兵士たちのざわめきが地響きのように伝わってくる。しかし、その長大な陣形は、同時に脆弱な補給線を意味する。趙雲の狙いは、まさにそこにあった。彼の瞳は、敵の弱点を正確に見抜いていた。


公孫瓚の命により、白馬義従の一部が、袁紹軍の側面を狙って電撃的な突撃を開始する。それは、決して敵陣を深く穿つものではない。その真の目的は、袁紹軍の注意を引きつけ、補給線をさらに延伸させることだ。


「敵は我らから逃げ回るばかりか!この好機を逃すな!追撃せよ!」


袁紹は、公孫瓚軍の動きを見て、高らかに号令を下した。前哨戦で公孫瓚が正面衝突を避けたことに慢心しきっている彼は、兵站の重要性を軽視し、ただ目の前の敵を追い詰めることしか考えていない。彼の顔には、勝利への確信と、公孫瓚への侮りが混じり合っていた。郭嘉や程昱といった軍師たちは、消耗し、あるいは忠言が届かなくなったことで、その指揮に疑問を呈することすらできない。彼らの顔には、疲労と諦めの色が浮かんでいた。袁紹の耳は、自身の勝利への陶酔によって完全に塞がれていた。


しかし、その袁紹の「慢心」こそが、趙雲の望む「必然性」だった。


白馬義従は、袁紹軍の追撃を受け流しながら、巧みに敵を誘導していく。その裏で、趙雲の指揮下にある斥候部隊と情報部隊が、密かに活動を開始する。彼らは、まるで影のように敵陣の奥深くへと潜り込み、その中枢を蝕んでいく。


(敵の補給部隊は、この地点を通過する。そこを狙え)


(偽の伝令を流し、敵の別働隊を奥地へ誘い込め)


趙雲の指示は、的確かつ冷徹だった。彼の脳裏では、戦場のあらゆる情報が瞬時に解析され、最適な行動が導き出される。白馬義従の高速な機動力を活かし、袁紹軍の補給路を次々と寸断していく。兵糧庫は焼き払われ、物資を運ぶ輜重隊は壊滅させられる。夜陰に乗じて行われるこれらの襲撃は、袁紹軍を物理的に疲弊させるだけでなく、彼らの心に「見えない敵」への恐怖を植え付けた。兵士たちは、いつどこから現れるか分からない「白馬の亡霊」に怯え、夜もまともに眠ることができない。


袁紹軍の兵士たちは、徐々に飢えと疲労に苦しみ始める。軍中で、「白馬の幽霊に襲われた」「飯が食えない」といった不満の声が囁かれ、士気は低下の一途を辿った。多くの兵士が、理由も分からぬまま消耗していくことに「違和感」と「納得できない沈黙」を強いられていた。彼らの目には、希望の光が失われつつあった。


公孫瓚は、その変化を肌で感じ取っていた。袁紹軍の勢いが、まるで病に侵されたかのように衰え始めている。それは、趙雲の言う通り、彼らの兵站が崩壊し、情報網が混乱している証拠だ。公孫瓚の顔に、確かな勝利への予感が浮かび上がる。


「子龍よ……貴様は、本当に恐ろしい男だ……」


公孫瓚の呟きは、畏怖と、そして確かな信頼が入り混じっていた。彼の心は、趙雲の才覚に完全に魅了されていた。


戦場の風が、袁紹軍の旗を無情に揺らし、その敗北の時が刻一刻と近づいていることを告げていた。袁紹軍の陣営からは、もはや戦意の高揚した声は聞こえず、ただ疲弊と絶望の呻きだけが響いていた。


夜の帳が、公孫瓚の陣幕を深く包み込む。趙雲は蝋燭の明かりの下、広げられた戦況図に目を落とした。白馬義従の突撃路を指でなぞりながら、静かに呟く。


「まもなく、この乱世の顔が、大きく変わる」


彼の瞳の奥には、勝利への確信と、乱世を終わらせるという揺るぎない決意が宿っていた。白馬義従の新たな時代が、まさに始まろうとしていた。

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