第2部:白馬の疾走、北方を統一せよ

第13話:白馬義従、重装突撃騎兵への進化と袁紹との前哨戦

公孫瓚の元で趙雲が推し進める軍制改革は、目覚ましい成果を上げていた。日中の練兵場では、朝早くから兵士たちの力強い掛け声が響き渡り、空には砂塵が舞い上がる。彼らは新しい馬具と訓練法に完全に慣れ、その動きは日を追うごとに洗練されていく。鉄鐙と改良鞍を装備した騎兵隊は、かつての白馬義従の精強さを遥かに凌駕し、その練度と機動力は、もはやこの乱世の常識では測り知れないものとなっていた。一糸乱れぬ隊列で大地を駆け抜ける馬群の蹄の音は、まるで未来の戦場を予感させるような、力強い響きを伴っていた。


(この軍勢ならば、中原も攻略できる。だが、その前に……)


趙雲の意識は、常に北方の大敵、袁紹へと向けられていた。董卓討伐戦での袁紹の卑劣な策謀、そして孫堅を陥れようとしたその本性は、趙雲の記憶に深く刻まれている。公孫瓚と袁紹の対立は、既に避けられない段階にまで達していた。北の広大な平野を巡る両者の緊張は、今にも張り詰め、破裂寸前の弦のように震えている。


その予感は、すぐに現実となる。


袁紹軍が、公孫瓚の支配する北の領地へと侵攻を開始したという急報が、公孫瓚の本陣に届いたのだ。その兵力は二十万とも三十万とも言われ、公孫瓚軍の数倍に及ぶ。圧倒的な兵力差を告げる報せに、公孫瓚の顔に、かつてないほどの緊張が走った。


「袁紹め、ついに仕掛けてきおったか……!」


公孫瓚は即座に軍議を招集した。陣幕の中には、重苦しい空気が充満している。将兵たちの間には、敵の大軍を前に、動揺と警戒の色が広がる。しかし、その中にあって、趙雲の瞳は冷静な光を宿していた。彼は袁紹という男が、いかに兵力に頼り、いかに組織が硬直しているかを知っている。そして、いかに優秀な軍師の諫言を聞き入れないか、も。


「公孫瓚様、敵は兵数で我らを圧倒しております。正面からの決戦は避けるべきかと」


趙雲の言葉に、何人かの将兵は訝しげな顔をした。勇猛果敢な公孫瓚軍が、敵に背を見せるなど、これまでの常識ではありえない。しかし、公孫瓚は趙雲の進言に耳を傾けた。趙雲がもたらした白馬義従の変革を、公孫瓚は目の当たりにしていたからだ。その圧倒的な力の前に、彼の心は既に常識から解放されつつあった。


趙雲は、袁紹軍との本格的な衝突を前に、「兵站」と「情報戦」を駆使した前哨戦を提案した。


「敵の兵力は確かに多大。しかし、その分、兵站は脆弱となるでしょう。長大な補給線は、必ずや弱点となります。我らの高速な騎兵ならば、敵の補給を寸断し、その大軍を内側から崩すことができます」


趙雲は、公孫瓚から与えられた権限をフル活用し、斥候網をさらに強化した。彼の命を受けた密偵たちは、袁紹軍の補給路、兵糧庫、そして行軍速度に関する情報を綿密に収集する。同時に、偽の退却や、少数の騎兵による神出鬼没の襲撃を繰り返させ、袁紹軍を常に消耗させ、補給線を過度に伸ばさせるよう仕向けた。


ある夜、袁紹軍の輜重隊が夜陰に乗じて物資を輸送していた。漆黒の闇の中、突如として砂塵が舞い上がり、蹄の轟音が響く。白馬義従の騎兵たちが、夜の帳から現れた亡霊のように輜重隊を襲撃し、兵糧に火を放ち、あっという間に消え去った。火の手が上がり、兵士たちの悲鳴が響き渡るが、敵の姿はどこにもない。翌朝、焼け落ちた物資と、混乱する兵士たちの姿だけが残されていた。焦げた匂いが風に乗って遠くまで運ばれ、どこかで怯えた馬の嘶きだけが静かに響く。その「見えぬ恐怖」は、袁紹軍の兵士たちの心を深く蝕んでいった。夜ごと現れる白馬の亡霊に、兵たちは「天が我らを見放したのでは」と囁き合い、恐怖の噂は瞬く間に陣営に広がった。


袁紹軍は、公孫瓚軍が正面からぶつかってこないことに苛立ちを募らせる。


袁紹は軍議の席で、焼け焦げた兵糧の報告書を足元に叩きつけた。「小賊風情が我を翻弄するか!」彼の顔には、慢心と、そして侮られたことへの激しい怒りが鮮明に浮かんでいた。


彼は、その傲慢な性格ゆえに、自軍の強大さに慢心しきっていた。彼は、軍師たちの「敵は何か企んでいる」「補給線が伸びすぎている」という諫言に耳を傾けず、ただただ公孫瓚軍を追撃するよう命じる。その背景には、趙雲が仕掛けた情報操作によって、彼の軍師たちが既に「違和感」と「困惑」に苛まれ始めていたこともある。特に、郭嘉の体調は芳しくなく、連日の思考と疲労で顔色は土気色だ。彼の目は窪み、その天才的な頭脳も、趙雲の予測不能な動きと消耗戦に喘いでいた。程昱の策はことごとく裏目に出ており、彼の冷徹な表情には珍しく苛立ちが滲んでいる。彼らは袁紹に進言しようにも、その言葉は届かない。郭嘉が疲弊した目で進言を試みるが、袁紹は聞く耳を持たず、苛立ちを隠せない程昱は、兵士たちの動揺を目にして歯噛みした。盟主の耳は、自身の勝利への陶酔と、慢心によって塞がれていた。


(袁紹は、その慢心ゆえに、いずれ自滅する……)


趙雲の瞳は、冷静に、しかし深く未来を見据えていた。彼の策略は、袁紹軍を消耗させるだけでなく、袁紹自身の「慢心」を増幅させ、彼が「必然的」に破滅へと向かう道を舗装していた。それは、外科医が病巣を切り開くかのような、冷徹なまでの正確さだった。


数週間にも及ぶ前哨戦の結果は、公孫瓚軍にとって驚くべきものだった。袁紹軍の兵力は依然として公孫瓚軍を上回るものの、長引く行軍と補給の困難、そして予測不能な趙雲の騎兵による襲撃に、兵士たちの疲弊は著しく、士気は低下の一途を辿っていた。陣営のあちこちで、兵士たちが不満を口にし、脱走する者まで現れ始めていた。袁紹軍の軍師たちは焦り、袁紹に進言するが、彼は聞く耳を持たない。彼らは、自らの知が、見えざる敵によって翻弄されている事実に、深い「納得できない沈黙」を強いられていた。


公孫瓚は、趙雲の策がもたらした成果に、改めて目を丸くした。


「子龍よ……まさか、これほどまでに袁紹軍が疲弊するとは……。貴様の策は、まるで鬼神のごとし!」


趙雲はただ静かに頷いた。彼の胸には、公孫瓚が袁紹に敗れるという史実を覆す、確かな手応えが満ちていた。乱世の風が、新たな物語の始まりを告げている。


嵐の前の静けさ。荒れ狂う戦雲の兆しが、北の空に大きく広がっていた。


夜の帳が、公孫瓚の陣幕を深く包み込む。趙雲は蝋燭の明かりの下、広げられた戦況図に目を落とした。白馬義従の突撃路を指でなぞりながら、静かに呟く。


「次は……一撃で決める」

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