第2話:白馬の揺れと「身体的な苛立ち」の蓄積
朝餉は質素だった。粟の粥に、硬く干された肉の切れ端、それに野草の汁。現代日本のコンビニで手軽に手に入った、温かい弁当や甘いパンとは似てもつかない、味気ないどころか、まるで罰ゲームのような食事だ。しかし、周囲の兵士たちは皆、一言も発することなく、むしろ感謝するようにそれを胃に収めている。彼らの痩せ細った顔には、この乱世の厳しさと、生き抜くことの必死さが刻み込まれている。
(これが、この世界の『当たり前』か……)
趙雲(長可)の胸の奥底で、再びじわりと違和感が生まれるのを感じた。前世の飽食の時代から、この過酷な環境への適応。そして何より、頭の中に膨大に流れ込む史実の知識が、この世界の「当たり前」を決して「当然」として受け入れさせてはくれない。自分はこの世界の常識に身を置いても、どこかでその「当たり前」を疑い、そして変えなければならない。その思いが、彼の心の中で、熱く、重く、膨らんでいくのを感じた。
食後、広場から彼を呼ぶ声が響く。今日の訓練だ。公孫瓚の配下となって数日。まだ幼い体ながら、趙雲としての身体能力は、長可の感覚からしても際立っていた。剣や槍を握れば、まるで何年も使い慣れたかのように手に馴染む。体の動かし方も、自然と理にかなった動きになる。これまでの前世の経験からくる身体能力とは全く異なる、不思議な感覚だ。だが、その日の訓練は、彼が最も関心を持ち、同時に最も「違和感」を抱くものだった。
白馬義従の騎馬訓練。
公孫瓚がその名を天下に轟かせる、誇り高き精鋭騎兵部隊だ。純白の馬に跨った兵士たちが、号令と共に砂煙を上げながら、荒野を風のように駆け抜けていく。彼らの姿は確かに勇壮だった。しかし、趙雲の目には、その動きがひどく不完全に映ったのだ。
(速い……確かに速い。だが、重心が全く安定していない。こんな速度で、どうやって正確に槍を突き出すというんだ?)
自身も訓練用の馬に乗り、兵士たちと共に荒野を駆ける。馬の背に跨り、その荒々しい揺れに合わせて必死に体を動かす。前世で馬術部に所属し、馬との一体感を追求し、完璧な姿勢と重心制御を学んできた彼にとって、この時代の騎乗は、あまりにも「未完成」だった。加速するたびに身体が大きく振られ、急制動をかけるとバランスを崩しそうになる。馬もまた、その度に身体を大きく傾け、不自然な負担をかけているのがわかる。鐙がないため、足で馬体を踏ん張ることができず、ただ鞍に跨っているだけの状態だ。馬の背中で、まるで洗濯機の中に放り込まれたかのように、身体が揺さぶられる。
「くっ……!」
幾度となく激しく揺さぶられ、体幹に激痛が走る。馬の背に必死に体重を預けても、蹄が地面を力強く叩く衝撃がダイレクトに、そして容赦なく全身に伝わってくる。その振動は、骨の髄まで響き渡り、まるで身体がバラバラになりそうだ。鞍の不安定さも相まって、体力の消耗は尋常ではない。
(こんな状態で、どうやって何日も、何週間も長時間の行軍に耐える?どうやって敵とまともに戦うんだ?これじゃ、馬の力も、乗り手の力も、半分も引き出せていない……これでは、ただの突撃隊だ。槍も剣も、まともに振れるはずがない!)
心の中に微細な苛立ちが募り始めた。それは、単なる身体的な疲労ではない。一流の馬術家として、目の前の「常識」が、あまりにも非効率で、そして「間違い」であることに、「納得できない沈黙」を強いられるような、根源的な苛立ちだった。無駄ばかりで、見ているだけで胸がざわつく。
周囲の兵士たちは、この不安定な騎乗を当たり前のこととして受け入れている。彼らの額には汗が流れ、呼吸は荒いが、その表情に疑問の色はない。ただひたすらに、教官の指示に従い、馬を走らせる。彼らにとって、これが「騎兵」なのだ。そして趙雲は、彼らの「当たり前」の中に、史実で公孫瓚が袁紹に敗れ、自分自身が流浪することになった「必然性の一部」が隠されていることを改めて悟った。
(このままでは、また同じ過ちが繰り返される。俺は、この非効率な『当たり前』を、変えなければならない。俺の馬術の知識が、きっとこの世界で役立つはずだ。いや、役立てなければ、俺はまた史実に殺される!)
胸中で、何かが激しく、しかし確実に膨張していくのを感じた。それは、騎馬民族の誇りを傷つけることへの葛藤などではない。ただひたすらに、馬も人も、もっと生き生きと、もっと力強く走れるはずだ、という切実な願いが、彼を突き動かす衝動だった。そのために、この世界の「当たり前」を根本から見直すのだ。
日が傾き、訓練が終わる頃。趙雲は疲れ切った身体で、汗を掻いた馬の首筋を優しく撫でた。掌からじんわりと、馬の体温と、頑張った証の汗が伝わってくる。
(お前たちも、きっともっと楽に走れるはずだ……。もっと、その雄大な力を、存分に発揮できるはずだ……)
疲弊した身体とは裏腹に、彼の思考は高速で回転し始めていた。この「違和感」の根源を突き止め、その解決策を見つけ出す。それが、彼自身の生き残り、そして、この乱世の未来を切り開くための、確かな一歩となるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます