一國志演義 趙子龍伝 ― 馬具チートと白馬義従で公孫瓚の弔い合戦してたら天下統一しちゃった ―
五平
第1部:覚醒の子龍、乱世に牙を剥く
第1話:記憶の残滓と異世界の朝
焦げたタイヤの匂いが鼻腔を突いた。まるで夏の灼熱のアスファルトに、引きずるように焼き付けられたゴムの生々しい残滓。刹那、耳を裂くようなブレーキの甲高い摩擦音が頭蓋骨に響き渡り、視界が白く、そして激しく弾けた。全身を巨人に殴られたかのような衝撃が襲い、意識が深く、暗い淵へと沈んでいく。
(あ……俺……)
薄れゆく意識の中で、最後に鮮明に蘇ったのは、記憶の底に刻まれた温もりだった。真夏の強い日差しを浴びて、きらきらと輝く毛並みの光沢。深く吸い込めば、牧草と汗が混じり合った、生命力に満ちた匂いがした。駆けるたびに全身を震わせる、蹄が地面を力強く叩く振動。大会で、目標としていた成績には届かず、悔しさに唇を噛んだ日も、あの大きく温かい背中の感触だけは、嘘偽りのない確かな存在だった。
俺、綿家 長可(わたいえ ながよし)は、馬と、共に風を切って走るのが何よりも好きだった。
――目を開けた。
そこは、見慣れない粗末な天井だった。木材が剥き出しになり、土壁は長年の湿気でかび臭く、部屋全体が薄暗い影に包まれている。横たわる身体は、覚えのない軽い感触だ。恐る恐る右手を持ち上げてみる。視界に入ったのは、小さく、けれど引き締まった少年の手だった。節々には薄っすらと硬い皮膚が浮き、剣や槍の訓練を積んだ痕跡がうかがえる。紛れもなく、自分の手ではない。
「……ここは、どこだ……?」
かすれた声が出た。その声も、自分のものじゃない。頭の奥で、膨大な情報が洪水のように流れ込み、長可の思考を掻き乱す。
――趙雲。字は子龍。常山郡真定県の人。
――公孫瓚に仕え……やがて劉備に……。
(……まさか、三国志の世界……?俺が、あの趙雲に……?)
心臓が、まるで乱れた軍鼓のように早鐘を打ち始めた。歴史オタクだった長可の脳裏に、趙雲という武将の生涯が鮮明に浮かび上がる。数々の武功を上げ、五虎大将軍の一人に数えられる栄光の裏で、常に時代の波に翻弄され、主君を何度も変え、やがては蜀漢の滅亡、そして自分自身の死。その悲劇的な結末が、鉛のように重く、長可の胸に沈殿し始めた。
漠然とした不安が、やがて確固たる形を取り始める。
その時、外から賑やかな声が聞こえてきた。
「子龍!今日の訓練は遅れるなよ!」
呼ばれる声に、長可の胸に違和感が生まれた。これはもう物語の中じゃない。生きて、血が通う乱世だ。このまま史実の趙雲と同じ道を辿れば、俺もきっと――この、見知らぬ体ごと、死ぬ。
「……死にたくない……」
心臓がどくん、と強く脈打った。漠然とした不安は、今や全身を焼くような焦燥へと変わり、彼を突き動かす。
(俺は未来を知っている。このままじゃ史実通りに殺されるだけだ……!だったら、俺の知識で変えるしかない!この命を、みすみす歴史の波に飲ませてたまるか!)
その瞬間、趙雲の小さな身体の奥底から、彼の価値観が発動した。ただ生き延びたいという本能的な欲望だけじゃない。この世界で、彼の知識が、彼の「馬」への愛情が、「意味」を持つという確信。この荒れ狂う乱世を、自らの手でより良い方向へと導く「必然性」を感じ取ったのだ。
窓の外からは、兵士の足音と蹄の乾いた音が響く。その蹄音と、俺の心臓の鼓動が、一瞬、完全にシンクロした気がした。それは、まるで自分を待つ、荒れ狂う乱世の足音のようだ。
趙雲はゆっくりと身体を起こし、決意に満ちた目で、粗末な部屋の入り口を見つめた。拳を固く握りしめる。
(まずは……馬だ。この世界の“騎馬”が、どれほどのものなのか。俺の目で確かめてやる)
俺は、史実に殺されない。
この乱世を、俺の馬で駆け抜けてやる――。夜明けの光が、その決意を照らした。
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