第29話 フードの男?

―― 《スキル吸収・成功》――

対象:帝国軍 上級兵 リヴィア=グレンデル

死因:斬撃

最後の言葉:「……ネフ……」

吸収スキル:《陽環(サン・レジリエンス)》


息が、苦しい。

喉に鉛を流し込まれたみたいに、呼吸ができない。

リヴィアが死んだ。

俺を庇って、斬られて。

目の奥が熱いのに、涙は出ない。

ただ、心臓の鼓動だけが耳の奥で狂ったように鳴り響く。


かすかに聞こえるミルルの泣き声。

遠く、壊れた音のように響く。


どうしてリヴィアは死ななきゃいけなかった。

そうだ、全部……俺が弱いせいだ。

拳を握り、爪が掌に食い込んでも痛みすら感じない。


「今行かなければ」

「ここで立ち止まれば、すべてが無駄になる」


身体をそんな焦燥だけが、無理やり動かしていた。

フードの奴は――まだ、この家の中にいる。

今にも逃げ出す準備をしているかもしれない。

逃げられたら、リヴィアの死は本当に意味を失う。


「待ってよ!」


背後でミルルの泣き声が響いた。


「リヴィア姉さんが……死んじゃったんだよ! どこに行くのよ!」


俺は足を止めずに言った。

声だけは不思議と落ち着いていた。


「……お前はそこにいろ」


ミルルの嗚咽が遠ざかる。

もう後ろを振り返らない。

俺は軋む扉を押し開け、家の中に足を踏み入れた。


**


正面には古びた赤いカーペット。

毛羽立ち、色もすっかり褪せているが、きちんと掃除はされている。

廃墟同然の外観とは裏腹に、内部は妙に整っていた。

横一列に並んだ木の扉が、息を潜めるように並んでいる。


――この中のどこかに、奴が。

俺は一つずつドアノブを回し、部屋を確かめていった。

中はどれも質素で、家具は最低限。

誰かが「住める状態に無理やり整えた」という雰囲気だ。

しかし、決定的に違和感があった。

本。


床に散らばり、机に積み上げられ、棚から溢れ出したまま放置された本。

どの部屋にも共通して、分厚い魔導書が散乱していた。

思わず一冊を手に取る。

ページをめくった瞬間、目に飛び込んできたのは「蘇生魔法」という文字。

その隣のページには攻撃魔法、転移魔法、聞いたことのない魔法理論がびっしりと書き込まれていた。


「……なんだ、これ」


俺には難しすぎて内容が頭に入らない。

だが、どうでもいい。今は追うことが先だ。

俺は本を投げ捨て、次々と部屋を開けていった。

物置のような場所、広い台所、石造りの大きな浴場、古びた便所。

一つ開けるごとに剣を構えるが、奴の姿はない。

そして――残るは最後の扉。


「……ここにいるな」


俺はドアノブを強く握りしめた。

汗で手が滑るが、力を込め直し、一気に扉を押し開ける。

そこにいたのは――

フードを被った“男”ではなかった。

紫がかった髪が肩に流れ、華奢な体つき。

大きな瞳は驚きに見開かれ、可憐な顔立ち。

明らかに“女”だった。


「…女…?」

思わず言葉が漏れる。

女は俺を見て、目を丸くした後、顔をしかめて叫んだ。


「え!? もう来たのか! ルークの奴は何をしておるんじゃ!」


張りのある声が部屋に響く。

俺の中で何かが軋んだ。

――この女もリヴィアを殺した奴の仲間なんだ。

拳を握り締め、俺は一歩踏み出した。


女の瞳が大きく見開かれ、次の瞬間、思い出したように声を上げた。


「お前は……! 確か、ネフ=アシュトン!」


その顔には怯えにも似た色が走る。

まるで嫌な記憶をえぐられたかのように、彼女は身を翻し出口へ駆け出そうとした。

だが――逃がすわけがない。

俺は瞬時に肩を掴み、力任せに引き止める。


「おい、逃げるんじゃない。お前の仲間に……こっちは大切な仲間を殺されてるんだ」


女の身体が震え、抵抗が止まった。

そして観念したのか、その場に崩れ落ち、床に座り込む。


「わ、わかった、わかった…!私はマナ。一回、落ち着いて話をしようじゃないか……!」


俺は見下ろし、必要なことだけを口にした。


「お前が教国軍の人間だということは知っている。……お前は俺に何をした?戦争に行く前に俺にかけた魔法はなんだ?」


「そ、それは答えられない。そんなこと知る必要は――」


女――マナはそっぽを向き、子供のように拗ねた仕草を見せた。

だが俺は迷わなかった。


――シュッ。


腰の剣を抜き、ためらいなくその切っ先を彼女の目の前へ突き出す。

その鋭い光がマナの瞳に映り込み、彼女の顔色が変わった。


「抵抗権はない。……早く答えろ」


淡々と、しかし一切の隙を見せない。


「ひっ……!」


マナの肩が跳ね、強がっていた態度が崩れ、慌てて両手を振った。


「わ、わかった! わかった! 分かったから、剣を下ろすのじゃ! 落ち着け……!」


彼女は大きく息をつき、観念したように肩を落とした。

「……話す。話すから」

その声色には、恐怖と、どこか諦めの混じった響きがあった。


そして彼女はゆっくりと話し始めた。


「お前は失敗作なんじゃ。ネフ=アシュトン

私は教国の研究者じゃ。だから攻撃なんぞできん。……剣を下ろしてくれんか?」


その言葉に、俺は一瞬だけためらった。


――ミルルが言っていた通りだ。

やはり俺は、ただの実験台だったのか。

ゆっくりと剣を下げながら、絞り出すように問いかける。


「……なんの研究をしてたんだ」

マナは躊躇わず答えた。

「“蘇生魔法”じゃ」

「……蘇生魔法?」

思わず声が漏れる。

俺はこれまで、魔法に触れることはほとんどなかった。


多少の回復魔法を扱える者がごくわずかにいると耳にしたことはあったが――死者を蘇らせる魔法など、聞いたこともない。


「蘇生魔法なんて……本当に存在するのか?」


マナは小さく頷き、指先で床をなぞりながら呟く。


「普通、人は死ねば魂が肉体を離れ、そのまま消えてしまう。……じゃが、もしもその魂を強引に繋ぎ止め、肉体へ戻すことができれば――死者を“復活”させることができると私は考えた。」


「……魂を戻す…」

魂とはなんだ。そんなことが本当に可能なのか。


マナは肩をすくめ、少し得意げに話続ける。


「研究を進めるにも、この国の知識は乏しいし、私が出歩けばすぐ目をつけられる。……だからお前を使ったんじゃ。お前が新聞や材料を運んでくれたおかげで、どれだけ助かったことか」


皮肉げに笑みを浮かべるその顔が、無性に腹立たしい。


「……そうか」

「ふん、覚えとるか? お前が“戦争に行く”と言った日のことを」


マナは口元を歪め、思い出すように目を細めた。


「あの時、お前は泣きそうな顔で“死にたくない!”って言いに来たじゃろう。……あれは滑稽で面白かったわ」


心臓を鷲掴みにされたような感覚。

思わず拳を握りしめる。


「……」


「だから、試しに研究中の魔法をかけてやったんじゃ。“死ななくなる魔法”だとでも言ってな」

マナは小さく肩を揺らして笑った。


「……だが、あれは失敗じゃ。手順が足りなかった。だから私はずっと、お前はこの戦争で死ぬと思っておった」


その言葉を聞いた瞬間、彼女の視線がふと鋭さを帯びる。

じっと俺を見つめ、まるで何かを確かめるように


「……なぁ、お前本当にネフ=アシュトンか?」


部屋の空気が、重く沈んだ。

心臓が高鳴る音だけが耳に残り、彼女の瞳から逃げられなかった。



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